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5年間でベトナム3位の人気企業に 1500人の多国籍IT集団はどのようにして生まれたのか「エンジニアは未来を作るヒーロー」(3/4 ページ)

約1500人のIT人材を抱え、ほとんどをベトナムなどの海外エンジニアが占めるSun Asterisk。同社がベトナムに目をつけたのはなぜか。そして、ベトナムで3番目の人気企業になるまで、どのようなプロセスで規模を拡大してきたのか。

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 最初は平井の人脈でしたが、そこで実績を出すと、スタートアップコミュニティーの中で発信してくださる方がいました。皆が「日本にエンジニアが少ない」という同じ課題を持っていたと思います。その中で僕らの会社は、与えられた仕様書通りに作るより、コミュニケーションをとりながら、開発しながら仕様書を固めていくスタイルでした。それが口コミで広がっていきました。

 この頃から、エンジニア同士が知識やノウハウを共有できるメディアプラットフォームも作りました。社内勉強会はよくやっていたのですが、そこで蓄積したナレッジを外に発信しようと。それは僕らの仲間を増やすことにもなりますし、何より、ベトナムでのエンジニアの底上げにもなる。ここでビジネスをさせてもらっている以上、何かしらリターンしたいと思っていました。このメディアプラットフォームは、ベトナムのエンジニア界隈(かいわい)ではトップクラスのメディアになっています。

 その他、Google Developers Groupsとハッカソンイベントを実施。こういう活動が、現地での評価や知名度につながったと思っています。

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メディアプラットフォームのトップ画面

現地トップ大学の授業に、エース級エンジニアを教師として派遣

 もう一つ、大きな取り組みだったのが、ベトナムの理系大学と産学連携してIT人材を育成したことです。

 もともと、ベトナムのハノイ工科大学では、JICA(外務省管轄の独立行政法人国際協力機構)と連携して、日本語のできる高度IT人材を育成する授業を大学の公式学科として行っていました。ハノイ工科大学は、国内トップの理系大学です。その授業に、うちの会社のエース級エンジニアを教師として派遣しました。

 その後、JICAのプログラムは終了したのですが、大学は存続を希望していましたし、僕らもここで終わらせるのはベトナム・日本の双方にとってよくないと思い、このプログラムを継承しました。費用も僕らの持ち出しです。

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当時の大学連携授業の様子

 最初は1学年120人ほどの学生が参加し、そのうち20人ほどがプログラムの延長で国費留学に。それ以外の学生は、一部うちに来る子もいましたが、ほとんどは他の企業に就職していました。

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