なぜJR東海は、わざわざ奈良でキャンペーンを始めたのか:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(9/9 ページ)
JR東海の奈良キャンペーン「いざいざ奈良」がスタートした。これまで17年間、JR東海の奈良キャンペーンは「うましうるわし奈良」として展開されてきた。それをなぜ変えたか。なぜ今なのか。背景を考える。
奈良とJR東海の関係もまた「伝統」
歴史ある寺社は、信徒、参拝客を大切にする。物見遊山の観光キャンペーンに消極的なはずだ。
前出の中西氏は、キャンペーンの始まりのころの話を聞かせてくれた。
「奈良の寺社は商業化に消極的で、『ウチは貸館商売はしない』というくらいでした」
貸館商売は、境内や建物をコンサート会場などにする事業だ。維持費を稼ぐために敷地を賃貸しする業態は全国の寺社に事例がある。しかし、歴史と伝統を重んじる寺社にとって、商業的な行為は不要だ。プライドと言ってもいい。
「JR東海の副社長だった石塚正孝(当時・現、関電工取締役)さんが奈良のファンでした。観光キャンペーンは貸館商売にしない。奈良の歴史と文化を知ってもらいたい。そんな思いでお寺さんを説得したのです。その中で、興福寺の森谷英俊(後に貫首となられた)さんとお話しが通じました」(中西氏)
森谷氏は高崎市出身、鎌倉市役所勤務を経て75年に入山された。19年の就任会見で「時代がどんなに変わっても1300年前の姿がずっとある。興福寺はそんなほっとできる空間だということを発信していきたい」と毎日新聞の記事で語っている。伝統を重んじ、しかし伝統に縛られない考えをお持ちのようだ。
森谷氏は石塚氏の真意をくみ、隣山会に紹介する。隣山会は奈良の寺社の宗派を超えたつながりだ。ここで、若手の住職に奈良の歴史と伝統を広めることを尊重する取り組み、発信していこうという機運が生まれた。「うましうるわし奈良の10年」の写真と広告コピーに、歴史と伝統への尊敬が読み取れる。
参拝客が増えることは信仰への理解が増えることでもある。大規模修繕を控えた寺社にとって、参拝客、観光客の増加は良い話だった。JR東海のキャンペーンは、「うましうるわし奈良」の広告ビジュアルの巧みさによって理解ある観光客を増やし、互いの信頼関係を築いた。「いざいざ奈良」は現在の奈良をテーマとしている。もちろん寺社の現在も含まれる。
「春日大社は1300年間、欠かさずに日誌を綴っています。私の来訪も載っているでしょうね。ヘンな奴が来た、みたいに書いてあるかも(笑)。それが永遠に残ります」(中西氏)
それが奈良の歴史であり、現在であり、未来へ残される遺産になる。93年の「いま、奈良にいます」から始まったJR東海のキャンペーンも約30年。もはや奈良の伝統になった。時間を掛けて信頼関係を築き、新たな試みを共にする。「いざいざ奈良」は新しいようでいて、地域の歴史、伝統を継承する。観光キャンペーンの理想の姿といえそうだ。
「MIROKU 奈良」は地域との共生を目指すホテルブランド「THE SHARE HOTELS」の奈良店。インテリアにこだわり、滞在して心地よい空間を作った。借景の荒池は農業用の溜池を平成時代に整備し、木々の緑と水辺の景勝地となった。広々としたカフェバーはワーケーションにも良さそうだ。池の堤の緑がまぶしく、ときおり鹿が散歩する
杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)
乗り鉄。書き鉄。1967年東京都生まれ。年齢=鉄道趣味歴。信州大学経済学部卒。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。出版社アスキーにてPC雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年よりフリーライター。IT・ゲーム系ライターを経て、現在は鉄道分野で活動。著書に『(ゲームソフト)A列車で行こうシリーズ公式ガイドブック(KADOKAWA)』『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。(幻冬舎)』『列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法(河出書房新社)』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」。
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