田園調布は本当に「オワコン」なのか 今あえて、「お屋敷街」に注目すべき理由:かつては「住むことがステータス」だったが(2/4 ページ)
かつて栄華を誇ったお屋敷街だが、職住近接や利便性の追求などのトレンドの中で、ブランド力を落としているエリアも多い。果たして、お屋敷街はもはや「オワコン」なのだろうか。
田園調布は1923年8月、つまり同年9月に起こる関東大震災の直前に販売が開始され、震災で被害が少なかったことが話題になった。関東大震災以降、首都圏の人口は東京低地のある東側から武蔵野台地、多摩丘陵などのある西側に移動していくのだが、そのきっかけとなった住宅地といってもよいかもしれない。
関東大震災期から戦前に作られた住宅街を挙げると成城学園、久が原、洗足、大泉学園、常盤台、玉川学園、国立――などかなり広範にわたる。現在の東京都内だけでなく、神奈川県、埼玉県、千葉県などにも点在している。大正期までに開発された住宅地に比べると郊外立地が中心なのである。
ここまで、いわゆるお屋敷街を大別した3分類を紹介した。庶民が住宅を取得できるようになったのは一般に戦後であると考えると、3種類の住宅地は当時、それなりにお金のある人を対象に分譲されていたといえるだろう。分譲から長い時間がたち、すでに地元ですら開発経緯が忘れられているところも少なくない。一方で、こうした土地のいくつかは今でもお屋敷街然とした風情を残している。
例えば、1928年に箱根土地(西武グループの中核企業の一つで、のちの「コクド」。2006年に旧プリンスホテルに吸収合併されて解散)が世田谷区代沢で販売した「清風園」。明治から昭和にかけて「日本三大船成金」と呼ばれた海運会社創業者で、1938年の阪神大水害からの神戸の復興を支えた第8代神戸市長・勝田銀次郎氏の邸宅跡地を1坪58円均一で売り出したもので、佐藤栄作や竹下登といった首相経験者の邸宅があった一画だ。物価指数などから類推すると、当時の1円は現代の660円ほどなので、坪単価は現代基準だと3万8280円。実際に行ってみると分かるのだが、明らかに周辺エリアよりも区画が広く、なるほどそうした土地だったのだろうと思わされる。
「忘れられたお屋敷街」も
清風園のように世田谷区内などであれば周囲より不動産価格も高く、ブランド力も維持しやすいだろうが、現在ではお屋敷街として忘れられている地域もある。
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