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「ディズニー誘致」の歴史に“地上の星”がいた! 何者かスピン経済の歩き方(1/5 ページ)

ディズニーランドが開業40周年を迎えたことで、誘致成功に導いた人々があらためて注目されている。オリエンタルランドの初代社長など、さまざまな人物にスポットが当たっているが、筆者の窪田氏はある人物に注目している。何者かというと……。

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 ディズニーランドが開業40周年を迎えたことで、構想段階では「実現不可能」とまで言われたこの前代未聞のプロジェクトを成功に導いた人々があらためて注目されている。

 まず、名前が挙がるのは、オリエンタルランド初代社長の川崎千春氏だろう。戦後間もない1958年、日本にディズニーランドを持ってくる、という壮大な夢をぶち上げた以降、十数年にわたって粘り強くウォルト・ディズニー社と交渉を続けた「日本テーマパークの父」だ。


オリエンタルランド初代社長の川崎千春氏(左、出典:オリエンタルランド)

 その川崎氏からタスキを受け取って開業へとこぎつけた高橋政和氏も有名だ。千葉県浦安沖の埋め立て計画の漁業協同組合の補償交渉を担当した後、社長になってからは反対勢力に屈することなく、議会や県知事との複雑な折衝や、決裂寸前になったディズニー社との交渉をまとめたハードネゴシエーターだ。


昼間のパレードで手を振る赤いコートを着たミニーマウス(2012年12月撮影、出典:ゲッティイメージズ)

 一方で、まったくスポットライトがあたらない人々もいる。経営判断のための情報収集や分析でトップを陰で支えていた懐刀的な人や、トップが交渉にあたる前に、ある程度の道筋をつくっておく事務方だ。彼らのがんばりがなければ、このプロジェクトは成功しなかった。

 しかし、それほどの輝かしい功績があっても、「ディズニーランド正史」にも入っていない。中島みゆきの『地上の星』ではないが、「スター」の活躍は人々の記憶に刻まれるが、名もない「地上の星」のことはもはや誰も覚えていないのだ。

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