糸井重里に聞く「ほぼ日手帳」売上30%増のワケ デジタル時代なのになぜ?:累計1000万部(1/2 ページ)
年間82万部を売り上げ、累計販売部数が1000万部を超えた「ほぼ日手帳」。デジタル時代なのに売上30%増の理由は? ほぼ日代表取締役社長の糸井重里さんと、取締役の小泉絢子さんに聞いた。
年間82万部を売り上げ、累計販売部数が1000万部を超えた「ほぼ日手帳」。発行元はロールプレイングゲーム「MOTHER」シリーズの生みの親として知られるコピーライターの糸井重里が代表取締役社長を務める株式会社ほぼ日だ。
累計販売部数が1000万部を超えた「ほぼ日手帳」。2024年版のMOTHERシリーズ。©Nintendo / SHIGESATO ITOI / APE inc. ©1994 Nintendo / APE inc.
手帳市場の歴史自体は古く、国内で約4割のシェアを占める高橋書店の手帳や、1949年以降70年以上の歴史を持つ日本能率協会マネジメントセンターが発行する能率手帳が有力だ。そんな中、ほぼ日は2001年10月に「ほぼ日手帳」を発売し、同市場に新規参入した。デジタルへの移行が進む23年現在でも、前年比30 .3%増という売り上げを叩き出している(2023年8月期 第3四半期 決算説明資料より)。国内・海外ともに成長していて、海外では特に北中米(67.5%増)とヨーロッパ(104.5%増)で拡大しているという。
年々スマホなどでのスケジュール管理が進む中、一見は時代に逆行しているようにもみえるのに、なぜなのか。
「ほぼ日手帳」が登場した01年当時でも、手帳のデジタル化の未来を予見する動きはあった。いったいなぜ、21世紀になってから紙の手帳に新規参入したのか。狙いはどこにあったのか。ほぼ日代表取締役社長の糸井重里さんと、取締役の小泉絢子さんに聞いた。
糸井重里(いとい・しげさと)株式会社ほぼ日 代表取締役社長。1948年生まれ、群馬県出身。コピーライターとして一世を風靡し、作詞や文筆、ゲーム制作などでも活躍。98年に毎日更新のWebサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」創刊。『ほぼ日手帳』をはじめ、AR地球儀『ほぼ日のアースボール』、「人に会おう、話を聞こう。」をテーマにアプリ・Webでお届けする『ほぼ日の學校』など多様なコンテンツの企画開発を手掛ける(以下、糸井社長と小泉取締役の撮影は斉藤順子)
小泉絢子(こいずみ・あやこ)株式会社ほぼ日 取締役。学生時代からアルバイトでほぼ日に勤務した後、2001年4月に入社。01年に発売したほぼ日のロングセラー商品「ほぼ日手帳」を、立ち上げから担当する。08年11月に事業支援部長に就任した後、12年12月に商品事業部長に就任。13年6月に取締役に就任
糸井重里に聞く「1000万部突破の秘密」
――02年版から始まった「ほぼ日手帳」は、20年以上がたった今でも前年比30%増、82万部と売り上げを拡大し続けています。予定をWebで管理する人も少なくない中、なぜ伸び続けていると分析していますか。
関連記事
- 糸井重里74歳、ほぼ日は「僕の最高の作品」 創業した会社をどう残していきたいか?
キャッチコピーからゲーム、メディアから手帳まで多様な作品を生み出してきた糸井重里さんが「最高の作品」と評するもの。それが会社としてのほぼ日だ。「経営者・糸井重里」とは一体どんな人物なのか。糸井さんと、ほぼ日取締役の小泉絢子さんに聞いた。 - 糸井重里の「ほぼ日」会社経営論 社員を飽きさせないことで生まれる「偽りの絆」
糸井重里さんが社長を務める「ほぼ日」。同社は、社内のエリート人材を稼ぎ頭の手帳部門に回すという人事配置をしていない。一人でも多くの社員に活躍の場を与えることを考え、柔軟なチーム体制を構築していることが特徴だ。その真意を聞いた。 - 「ほぼ日手帳」ヒット支えた“糸井重里流”チーム作り “リコール”の危機を販促につなげた独自手法
年間82万部を売り上げ、累計販売部数は1000万部を超えた「ほぼ日手帳」。その誕生の背景にはさまざまな苦難があった。ほぼ日代表取締役社長の糸井重里さんと、取締役の小泉絢子さんに聞く。 - 本田宗一郎が「すぐにやれ」と命じたこと ホンダ倉石誠司会長に聞く
本田宗一郎が、ソニーを創業した井深大に誘われて見に行き、『これこそホンダがやるべきことじゃないか。すぐにやれ』と本社に電話して設立されたのがホンダ太陽だ。本田宗一郎は技術で人を喜ばせて、技術で人の生活の可能性を広げることがホンダのやることだと言ってきた。本田技研工業の倉石誠司取締役会長に「多様性こそがホンダのDNA」だと語る真意を聞いた - 部下に気を遣いすぎて疲れる上司 「心理的安全性の意味」を誤解している?
最近の職場でよく見られる心理的安全性への誤解の例を挙げながら、本当の意味での心理的安全性につながる職場でのコミュニケーションを紹介します。 - 「希望退職を募集することになったら、私はJALを辞めます」 日本航空・菊山英樹専務
コロナ禍による国際、国内の旅客数減少が長期化して日本航空(JAL)は苦しい経営が続いている。経営破綻後に当時の稲盛和夫会長(現在は名誉顧問)から経営のやり方を巡って叱責された経験がある菊山英樹専務にインタビューした。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.