テスラが直面する「分岐点」 自動車ビジネスの普遍的構造から読み解く:池田直渡「週刊モータージャーナル」(5/8 ページ)
米テスラは今、大きな分岐点に差し掛かっている。すでにメディアにもさまざまな悲観論があがり始めているが、それらはテスラの現状の表層をなぞっただけで、全く本質に届いていない。
テスラ躍進のきっかけはフリーモント工場
さてようやく話はテスラに戻る。ギガプレスの話だ。テスラの説明によれば、ギガプレスによって部品点数を大幅に削減することで、単位時間の生産能力が上がるという。話としてはすでに述べたスライサーと同じである。
これまた余談だが筆者はちょっとそこに疑問があり、ギガプレスは生産能力の底上げだけでなく、部品調達の問題をクリアする意味の方が大きかったのではないかと思っている。グローバル化以降、サプライヤーのビジネスは全世界をカバーするようになったので、大量生産大量納品が常態化した。今となっては年産100万台近辺のマツダやスバルでさえ、部品の発注ロットが小さいといわれて、サプライヤーに嫌がられる時代である。モデル3デビュー以前のテスラは10万台規模であり、とてもではないがサプライヤーと対等な交渉ができる状態ではなかったはずである。
リヤアンダーフロアの80点にも及ぶ部品を、嫌がる相手と個別交渉して仕入れるくらいなら、自社生産した方が管理が楽になる。どうせ自社で作るなら鋳造の1パーツにしたかったというのが実態なのではないか。
さて、話は戻る。ギガプレスは大型設備投資であり、その減価償却をしていくためには、是が非でも台数を売らなければならない。テスラはこの当時こういう大型投資を極めて積極的に行っていた。
一度少し時間軸を戻そう。テスラの躍進の元になったのは、幸運にもフリーモント工場が捨て値で転がり込んできたことだ。トヨタとGMが共同出資で作ったカリフォルニア州フリーモントのNUMMI(New United Motor Manufacturing)は、リーマンショックによってGMが撤退を決めた後、規模を持て余したトヨタが売却したのだ。
フリーモント工場の取得により、テスラは破格のローコストで、工場と熟練した作業員を入手できた。カリフォルニア州も、失業率上昇を避けるため、税制その他でテスラに大型の援助を行った。セオリー通り、比較的小さな先行投資で効率の良い生産設備を手に入れた。これがテスラの躍進の始まりである。
17年にテスラはこのフリーモント工場でモデル3の生産を開始し、17年の10万台から18年には25万台、19年には37万台、20年には50万台、21年には94万台、そして22年には131万台と恐ろしい勢いで生産台数を拡大していったのだ。
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