所沢駅前に巨大商業施設が出現、そこは昔「電車の工場」だった:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/6 ページ)
2024年9月、西武線所沢駅西口から徒歩3分の場所に大型商業施設「エミテラス所沢」が誕生する。敷地面積はベルーナドームの約8割、延べ床面積はイオンモール幕張新都心とほぼ同じ。地上7階建てで142店舗が入居する。この用地の歴史をさかのぼり、鉄道用地開発について考えてみたい。
さかのぼれば陸軍の部品工場
西武鉄道所沢車両工場について、そのものズバリ解説した文献がある。『所沢車両工場ものがたり』(西尾恵介著)だ。本書によると、ルーツは1921年(大正10年)に山林を切り拓いてつくった「帝国陸軍立川航空工廠(しょう)南倉庫」だった。武蔵野鉄道の所沢駅から引き込み線も設置された。太平洋戦争後、軍需工場を都心部から郊外へ移すことになり、南倉庫は「帝国陸軍立川航空工廠所沢支所」として航空部品の生産を始めた。
戦時中に武蔵野鉄道は、西武鉄道と食糧増産を合併して西武農業鉄道となった。1946年に新生西武鉄道となる。西武鉄道の創始者、堤康次郎は企業グループ内に戦時中の資材生産を手がけた東京耐火煉瓦をつくり、戦後は復興社と名前を変えた。堤康次郎は戦後復興のために自社で電車を調達すべく、連合軍の資産だった航空工廠所沢支所を借り受けた。1947年、復興社所沢車両工場が発足した。
ただし、当時は新車をつくれるほどの資金も物資もない。国が国鉄と同型の車両を造って私鉄に割り当てるという状況だった。西武鉄道はそんな割り当てを待てないと、各地にある被災車両を集めて修繕し、電車を仕立てた。この経験が職人たちの技術力を高めていく。仕立てた電車や貨車の修繕や点検も行った。そのなかには西武鉄道の歴史で有名な「人糞貨車」もあった。西武農業鉄道は沿線の食糧増産を使命としており、都心で集めた人糞を農村部に輸送していた。西武鉄道も引き継いだ人糞輸送は1951年に終了した。
復興社所沢車両工場は、国鉄から払い下げられた木造電車を鋼製車体に改造する工事を手がけており、その合間に西武山口線の前身となる「おとぎ電車」のバッテリー機関車と客車も製造している。また、木工、建設機械、自動車販売などの会社や工場を合併しつつ、建設機械や重機、ヘリコプターの修繕や点検も行っていた。西武園ゆうえんち・としまえんの遊戯物の点検修理も手がけたという。
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