自動車の誕生とT型フォード 自動車と経済発展の歴史を振り返る:池田直渡「週刊モータージャーナル」(2/4 ページ)
19世紀末に誕生した自動車は、20世紀初頭のT型フォードの登場により大きな転換点を迎えた。大量生産システムの導入で自動車は貴族の玩具から庶民の足へと変貌。これを機に自動車産業は国家経済の発展に大きく寄与するようになる。自動車産業と経済発展の密接な関係を、世界初の自動車から現代に至る七世代の流れに沿って振り返る。
T型フォードの革命:自動車産業と経済発展の起点
さてさて、このように19世紀末に自動動力を採用した発明品として登場した自動車は、20世紀初頭にかけて、貴族のおもちゃとして流行していく。メーカーのおおよその創業順に挙げていくと、ベンツとダイムラーから始まり、プジョー、ド・ディオン、パナール、フォード、ルノーと続く。20世紀に入ると、ロールス・ロイス、イソッタ・フラスキーニなどが登場する。
おおよそというのは、このあたりは全て手作り品なのでクルマができた時期、それを販売した時期、法人化した時期などが錯綜(さくそう)していて、その3つ全てが明らかなケースも少なく、はっきりこの順番とは多分誰も言えないからだ。
当時のクルマは実用品ではなく、新しもの好きの富裕層が興味本位で作らせるような贅沢(ぜいたく)品で、つまりは現在でいうところのスーパーカーの仲間だった。これに大革命を起こしたのがT型フォードである。1908年に米国で発売されたT型フォードは、世界初の量産モデルである。流れ作業とモジュラー組み立て構造を採用し、圧倒的な安価で販売された。
結果論でいえばそういうことなのだが、デビューした年から一足飛びにベルトコンベアがあったわけではない。作りながら効率改善を進めていった結果、徐々に価格低減が進み、さらに従来は専門知識を持つエンジニアが一つ一つ加工しながら現物合わせで組み立てていた作業を、規格化して単純化した。といっても分からないかもしれないが、それ以前の機械は、例えばシリンダーヘッドなら部品かごからどれを取っても取り付けられるというようなものではなく、組み付けられる側と組み付ける側を削ったり曲げたり現物合わせして、ネジ穴の下穴も現物合わせでいちいち開け、そこにねじを切るという作業が必要だった。
それ以前に、少し前まではネジだっておねじとめねじはセットで作られ、特定の一対しか組み合わなかった。当然他のおねじはねじ込めない。なにしろ米国でねじの規格ができたのは1868年のことである。自動車という製品ができるには、その前に内燃機関やタイヤ、ねじなど多くの基礎技術が整う必要があり、そうした積み重ねの集大成ともいえる。「規格化」によって「部品をねじで留めるだけ」の流れ作業で誰でもできるようになり、地域住民を雇用してラインを運営することが可能になった。それによって自動車の量産化が成立したのである。
誰でも従事できるなら当然労働単価は下がるし、人員の確保も規模の拡大もより容易になる。それだけでなく、そこで賃金収入を得た人でもT型を購入できる価格を実現し、支払った賃金が新しい顧客を生み出すという離れ業を演じてみせた。
それはつまり自動車産業が国家経済の発展に大きく寄与する時代の幕開けである。自動車産業は裾野が広い。自動車産業の勃興は多くのサプライヤーや素材産業を潤し、そこで働く民衆を潤す。そうやって多くの経済的果実を労働者に配分しながら巨大化する自動車産業は、その最終製品であるクルマが広まることによって、物流と消費の大規模な拡大を実現していく。
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