イオンが手掛けた“謎の百貨店”「ボンベルタ」 密かに姿を消した理由とは?:前編(2/4 ページ)
2024年2月、千葉県成田市のある百貨店が姿を消した。流通大手イオングループが手掛けるものの、知名度は皆無。知る人ぞ知る存在だった同店が、イオンの今後の戦略に示した新たな道筋とは。
「タヌキやキツネの出るところ」
ボンベルタ成田は1992年3月に千葉県都市公社(現千葉県まちづくり公社)の商業核として開業。開業当初は4フロア、店舗面積は1万8500平方メートルであったが、郊外型百貨店としては日本最大級の規模を誇っていた。
ボンベルタ成田では、首都圏郊外の新興住宅地「成田ニュータウン」という立地特性を生かし、イオンが当時合弁事業として展開していた外資系「ローラアシュレイ」「ボディショップ」といった日本では新進気鋭のブランドに加え、老舗呉服系百貨店との力関係を背景に総合スーパー系への入居に消極的だった、いわゆる百貨店アパレル「三陽商会」「オンワード」「レナウン」のブランド、ダイエー系食品スーパー「マルエツ」を始めとする日常利用を想定した専門店を多数導入するなど、百貨店とモールの融合を志向した。
開業当初の商圏は成田市と近隣町村であったが、本館5階駐車場フロアへの増床や複合アミューズメント施設「ジャスコスペースレーン(現ラクゾー)」の導入、成田空港最寄りという立地特性を生かしたドル紙幣の受け入れを行うなど、ユニークな試みを打ち出すことで集客力向上を図った。
さらに、1999年10月にはイオン系外資系大型家具インテリア雑貨店「Rooms To Go」と家電量販店「石丸電気」を核とする別館2棟を新設。店舗面積の制約から実現困難だった家具家電を導入することで、衣食住のフルライン化を果たした。
宇治知英・イオンリテール執行役員南関東カンパニー支社長によると、ボンベルタ成田は最盛期「北側は川を渡って茨城県南部、東側は佐原あるいは(50km以上離れた)銚子」という超広域な商圏設定を掲げていたが、商圏設定の根拠に「百貨店という業態」があったという。
ボンベルタ成田をめぐる一連の試みは、イオンの前身となる呉服店「岡田屋」の社訓「大黒柱に車をつけよ」「タヌキやキツネの出るところ」に通ずるものがあり、同時期に開業したアミューズメント複合商業施設「ジャスコノア店(現イオンノア店)」とともに郊外シフトを体現する施設として、グループの旗艦店としての立ち位置を示した。
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