「社費で資格」取った若手が転職……会社は「研修費用」の返還を求められるか?
資格取得や大学院への進学を支援するなど、会社の費用で従業員のスキルアップをサポートする制度が増える中、一部制度を”悪用”する社員もいるようで……?
資格取得や大学院への進学を支援するなど、会社の費用で従業員のスキルアップをサポートする制度が増えています。
しかし、せっかく時間とお金をかけて育てた若手人材(IT人材・デジタル人材)が、短期間で転職してしまうケースも。この記事では会社の制度でスキルアップを図る社員が転職する場合、「会社が退職を拒否できるのか」「転職する場合会社が支給した学費、研修費用などの返還を請求できるか」「社員のスキルアップ費用を会社で負担する場合の注意点」について、実例をあげて解説します。
【事例】会社負担でプログラミング勉強→転職 「費用の返還」は義務?
Aさん(25歳)は大学卒業後、機械メーカーの営業職に就いていましたが、もともとはシステムエンジニアの仕事がしたかったので、昨年から本腰を入れて転職先を探すようになりました。
昨年9月、ネットの求人媒体でIT企業である甲社の求人広告を見つけたAさんは、「未経験者大歓迎」のキャッチコピーにひかれ、面接試験を受けたところ採用。10月からプログラマーとして働くことになりました。未経験者のため、会社の費用で3カ月間、専門学校でプログラミングを学ぶことになり、昼は上司の補助業務をしながら週3日の夜間コースに通いました。
今年の3月中旬、製造業である乙社の社長をしているBさん(大学時代に勤めていたバイト先の先輩・35歳)から「自社で流通システムを開発することになったので、技術者として来てもらえないか」と誘いを受けたAさん。かなり悩みましたが、当面は補助業務で良いことと甲社よりも8万円高い月収額を提示されたことで、甲社を辞めてBさんの会社で働くことに決めました。
3月下旬。AさんはC部長(人事・総務担当の責任者)に話しかけました。
Aさん: C部長、せっかく雇ってもらったのに申し訳ありませんが、4月いっぱいで会社を辞めたいんです。
C部長: 一体どうしたの? 理由を教えてもらえませんか?
Aさん: 正直に言いますが、大学時代の先輩が経営する会社から誘われました。
C部長: 転職を引き留めるつもりはありませんが、Aさんは未経験者だったので専門学校でプログラマーの養成研修を受けましたね。今退職するのであれば、その学費30万円を一括で返済してもらいます
Aさん: えーっ! そんなお金はありません。
C部長: 入社時の誓約書には「入社後3年以内に退職する場合は学費を一括で返還すること」と書いてあり、Aさんには承諾済みのサインももらっています。
C部長は誓約書の原本をAさんに見せました。
Aさん: しかし……。
C部長: ウチの会社は人材不足なので業界未経験者でも積極的に雇っています。会社の負担で専門的な教育を受けてもらうので、少なくとも3年間はここで働いてもらわないと困ります。会社は慈善事業ではありません。スキルだけを得てすぐに退職するのはずるいですよ。
C部長に諭され、Aさんは困ってしまいました。
Aさん: C部長の言う通り、ホントに全額返さないといけないのかな。安い給料で働いてきたんだから免除してくれてもいいのに……。
会社費用でスキルアップに取り組む社員が「転職」 会社は拒否できる?
民法第627条および第628条に退職の自由に関する定めがあり、憲法では職業選択の自由(第22条)が保障されています。従って社員が退職を申し出た場合、会社の説得に応じなければ、最終的には退職の意思を尊重する必要があります。
しかし、会社が社員にスキルアップの目的で大きな投資をしている場合、退職は認めてもその費用を退職後、返還請求ができるか否かはまた別の問題として考えます。
研修費用の返還、社員の請求できるのか
労働基準法第16条によると、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならないと」されています。この条文からすると、次のケースでは研修費用などの返還請求が認められない可能性があります。
- 業務に就くために必須の研修であること。
- 従業員の自由意思ではなく、会社から命令を受けて参加したもの。
- 研修費用が会社負担となっており、貸与ではないこと。
Aさんの場合は、甲社が業務未経験者であることを承知で雇用契約を結び、仕事に必要なスキル習得のため専門学校で学ぶことを指示しています。そのため会社が負担した学費の返還を請求することは難しいでしょう。
また、会社によっては就業規則や雇用契約書、誓約書などに「一定期間経過前に退職する場合は、学費等を返還すること」の明記がされていることがありますが、法律的には無効になります。あくまでも退職抑止効果としてみた方がよいでしょう。
逆に、次のケースでは返還請求が認められることがあります。
業務に直接関係のない自己研鑽的な研修の場合(参加は従業員の自由意思で決められる)で、なおかつ社員に学費、研修費用を貸与すること。この場合、「研修期間終了後○年以上の勤務で、研修費用の返済を免除する。免除になる前に退職の場合費用を返済すること」などの条件を付けることが多く、〇年以上の勤務期間の部分は、会社で独自に決めることができます。
人材への投資は業績に結び付くか──会社が考えるべきポイントは?
特に国家資格の取得や大学院への入学など、社員のスキルアップ費用が高額になる場合(上記のスキルは汎用性が高く、転職や独立したときにも使える場合が多い)は、学費支給ではなく貸与の形にし、「資格取得後一定期間を経て在籍している場合は返済を免除とし、一定期間を経ずに退職した場合は返還する」旨の誓約書を取り交わし、社員に説明し納得してもらうようにします。ただし一定期間の設定が不当に長期間の場合は契約が無効とされますので注意が必要です。
社員のスキルアップを後押しすることでモチベーションが上がる効果は期待できますが、会社経営から見て、人材への投資が業績アップにどう結び付くのかをよく考え、長期戦略として計画的に行うことが必要です。
せっかく高額の費用を投入してスキルアップを図っても、その後短期間で退職されてしまっては会社の損失につながります。退職リスクを防ぐには、普段から上司の適切な指導とフォローアップを心掛ける、スキルに対応した賃金設計を行うなどの策を講じることが大切です。
木村政美
1963年生まれ。旅行会社、話し方セミナー運営会社、大手生命保険会社の営業職を経て2004年社会保険労務士・行政書士・FP事務所を開業。労務管理に関する企業相談、セミナー講師、執筆を多数行う。2011年より千葉産業保健総合支援センターメンタルヘルス対策促進員、2020年より厚生労働省働き方改革推進支援センター派遣専門家受嘱。
現代ビジネス、ダイヤモンド・オンライン、オトナンサーなどで執筆中。
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