2015年7月27日以前の記事
検索
連載

『ルックバック』国際アワード受賞 アニメの更なる成長を確信できる理由エンタメ×ビジネスを科学する(3/3 ページ)

アニメ『ルックバック』が国際アワードで最高賞を受賞。なぜ“日本的”な作品が海外で評価されたのか? 背景から未来の潮流までを読み解く。

Share
Tweet
LINE
Hatena
-
前のページへ |       

『ルックバック』の受賞にみる一つの潮流

 本年度の受賞作品もバトル要素を持つ作品が多く並んでいるが、その中で著しく毛色が異なる作品がある。それが『ルックバック』だ。(同作品については、その特徴的なメディア展開手法について昨年も取り上げた

 『ルックバック』は、藤本タツキ氏の同名漫画を原作としたアニメ映画であり、漫画を描く2人の女性クリエイターの内面や心情に焦点を当てた作品だ。

 物語は日本における学校生活を背景に、若手クリエイターの友情、成長、葛藤、喪失と再生など細かな心情が丁寧に描かれている。当然、日本が舞台であることもあり、作中に登場する風景や習慣はもちろん、メインテーマとして描かれているクリエイターの心情なども、日本の文化や価値観に基づいたものといえる。このようなコンテキストの理解を前提とした作品は、前述したバトルものと比較して異なる文化や価値観を持つ市場では、広く受け入れられにくい傾向があった。

 それにもかかわらず『ルックバック』は海外アニメファンにも高く評価され、他のバトル要素を含む作品に勝り「フィルム・オブ・ザ・イヤー」を受賞したのである。これは、本作が文化的な違いを超えて共感を呼び起こしたことを示している。日本を舞台とし、日本特有の漫画のクリエイターが持つ複雑な心情が前面に出ているにもかかわらず、それが異文化の視聴者にも伝わったという事実は、日本のアニメビジネスにとって大きなトピックだといえる。

アニメを通じた新世代による価値観の理解

 1990年代以降日本のアニメは世界中に広がり、成長の過程で触れるエンターテインメントの選択肢の一つとして位置付けられるようになった。特に現在30歳未満の世代は、日本のアニメ文化に自然と親しみを持ち、作品で描かれている文化や価値観の受容度も高いと想定できる。日本在住経験のない海外のアニメファンであっても、日本のアニメの中で描かれるテーマや価値観に対して違和感を抱くことなく、むしろそれを魅力の一つとして受け入れているのである。

 「文化の受容」と言葉で述べるのは簡単だが、その重みは計り知れない。なぜならB2Cにおけるマーケティングは突き詰めれば個々人の価値観に帰着するからである。

 そして、価値観は論理だけに基づくものではないため、言語化が難しく、再現性も得にくい。ましてや集団の価値観を変えることには膨大な時間と労力、金銭を要するのが通例である。日本だけ異様に高いiPhone所有率、欧州由来のハイブランドが集める羨望(せんぼう)、そして米国発のテーマパークの巨人東京ディズニーリゾート、全ては価値観に基づく現象である。

 そうした文化や価値観という“壁”を、日本のアニメは乗り越えつつある。今後20年、30年と浸透し続ければ、文化的コンテキストの理解が求められるような作品もより自然と受容されるようになる。より広く、世界中のファンに受け入れられる可能性がますます高まる。『ルックバック』の受賞は、その兆しとして注目に値するのではないか。

「狙わない」からこそ伝わる強さ

 日本のアニメや漫画は、現在世界中で高い評価を受けており、今後もその影響力は強まるだろう。アニメは単なるエンターテインメントの枠を超え、文化的な理解を深める手段として、世界中の視聴者に受け入れられ続けている。

 特筆すべきは、人気を博した作品は、いずれも海外向けに制作されたもの“ではない”という点だ。日本が誇るクリエイターたちが、純粋にエンターテインメントを追求した作品が、結果として受け入れられたという事実が、なにより重要なのである。

 さまざまな業界において、「海外ウケを狙った」ことで従来持っていた強みを失い、失速した例は少なくない。アニメを通じて日本の文化や価値観が理解・受容されることは、日本のコンテンツ産業にとってビジネス面の大きな後押しとなるだろう。

 こうした試みは、ビジネスの文脈で意図的に狙うべきものではないだろう。繰り返しとなるが、クリエイターたちが純粋にエンターテインメントを追求した作品が、結果として受け入れられる状態が重要なのであって、そのように少しずつ価値観が受け入れられた結果が、今日の成功につながっているのだ。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

前のページへ |       
ページトップに戻る