「明治ブルガリアヨーグルト」は万博から生まれた 鳴かず飛ばずだった商品が国民的ヨーグルトに進化できた理由:長浜淳之介のトレンドアンテナ(2/4 ページ)
万博はビジネス創造の場としても機能している。例えば、回転寿司は1970年の大阪万博をきっかけに普及していった。明治ブルガリアヨーグルトも、同万博をきっかけに生まれた商品だ。
昭和・平成・令和の天皇が楽しんだ味
明治がブルガリアのヨーグルトに注目したのは「乳業をやるからには本場のヨーグルトの味を日本人の食卓に届けたい」という想いからだった。
ブルガリア共和国は、ヨーロッパ東南部、地中海と黒海の間に突き出たバルカン半島東部に位置し、東端は黒海に面している。南はギリシャとトルコ、北はルーマニア、西はセルビアと北マケドニアに面する。外務省のデータによれば、人口は約645万人(2023年)、面積は11.09万平方キロメートル(日本の約3分の1)、民族はブルガリア人(約80%)が多数、言語はブルガリア語となっている。
当時のブルガリアは、欧州の中でも日本に近い西側諸国とは社会体制が異なっていて、交流も少なく、謎に包まれていた。しかし、1970年の大阪万博では、東側諸国もこれを機に自国の魅力を日本人に知ってもらおうと、科学技術や文化について積極的にアピールする国も多く、例えばソビエト連邦館ではロケット「ソユーズ」の実物を展示して、大人気となっていた。
ブルガリア館はソビエト連邦館の近くに立地し、人気のソビエト連邦館に来た人を取り込む作戦で臨んだ。「母なるバルカンの山々」をテーマに、三角錐が4つ並ぶシンプルながらも印象的なパビリオンを建設。紀元前4世紀に精巧な黄金細工を生み出した、トラキア人の古代文明に始まる、ブルガリアの歴史、産業、文化を紹介する展示となっていた。ブルガリア館には昭和天皇も訪れて、ヨーグルトを試食。絶賛したのもニュースとなった。
各種報道によれば、今上陛下は5月19日に皇居・御所で大阪万博のブルガリア・ナショナルデーに出席するため来日した、ブルガリアのルメン・ラデフ大統領と面会している。上皇陛下がヨーグルトの種菌をもらってきて育てていて、そのヨーグルトを子どもの頃食べていたというエピソードを記者会見で披露した。何と、ブルガリアのヨーグルトは、ブルガリア館を昭和天皇が訪問したのをきっかけに、皇室の食卓に上っていたのだ。
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