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「明治ブルガリアヨーグルト」は万博から生まれた 鳴かず飛ばずだった商品が国民的ヨーグルトに進化できた理由長浜淳之介のトレンドアンテナ(3/4 ページ)

万博はビジネス創造の場としても機能している。例えば、回転寿司は1970年の大阪万博をきっかけに普及していった。明治ブルガリアヨーグルトも、同万博をきっかけに生まれた商品だ。

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もともと、商品名は別のものだった

 ヨーグルトの語源には諸説あるが、トラキア語で「ヨーグ」は「硬い」を、「ルト」は「乳」を指すという説がある。いずれにしても、ブルガリアでは古来よりヨーグルトを製造しており、ヨーグルト発祥の国と言われている。ヨーグルトを食生活へ日常的に取り入れていることで、当時のブルガリアは長寿国としても知られていた。このようなブルガリアのヨーグルトに対する評判の高さから、明治としてはどうしても事業化すべきと考えたわけだ。

 1970年の大阪万博が終わってからも、明治の研究所では日々、ヨーグルトの改良が続いた。製品には自信があったが、本場のヨーグルトだというお墨付きがほしい。そこで、スタッフは何度もブルガリアに足を運び、意見を聞いて改良を重ねていった。


発売当初の商品(提供:明治、以下同)

発売当初の商品

 そして、1年後の1971年に「日本初」のプレーンヨーグルトとして「明治プレーンヨーグルト」を発売した。しかし、これまでのヨーグルトとあまりに違うことから、購入した消費者は戸惑ったという。酸味の強さから「腐っているのではないか」といった苦情も多く寄せられ、販売も伸びなかった。

 ただし、当時の社長をはじめ経営陣は、明治プレーンヨーグルトの販売不振について「本場の味はいずれ理解される」と気にも留めなかったという。その頃は高度成長の最中で、日本経済に勢いがあり、社会に楽観的な空気が支配していた。とはいえ、経営陣に機が熟すのを待つ辛抱や胆力、本当に良い商品を売るべきといった哲学がなければ、今日の成功はなかったのは間違いない。

 また、明治では開発中から「明治ブルガリアヨーグルト」を商品名として考えていたが、ブルガリア大使館から良い返事をもらえなかった。「ヨーグルトは民族の心。他国民の企業がつくったものにその名を貸すわけにはいかない」という理由だった。

 それでも、明治はヨーグルトの故郷ブルガリアの乳酸菌を使用しており「どうしても本場のブルガリアヨーグルトを日本の食卓に届けたい」と熱意を伝え続けた。日本になかった味を広めるには、その味を生んだ歴史、文化というような、背景のストーリーを伝える必要があったからだ。すると、大使館のスタッフが工場見学に訪れるなど、徐々に態度を軟化させていった。1972年にはブルガリアの国名の使用許可を得て、翌年に「明治ブルガリアヨーグルト」へ改名している。

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