「計画購買」を制する者が、小売を制す Amazonダッシュボタンの失敗に学ぶ、DXの本質:がっかりしないDX 小売業の新時代
選ばれる小売店になるという目的において、作業としての買い物を楽にしてあげるサービスの提供は、重要な差別化要因となり得る。今回は、ボタンを押すだけで特定の商品を再注文できる「Amazonダッシュボタン」の失敗からDXの本質を探る。
連載:がっかりしないDX 小売業の新時代
デジタル技術を用いて業務改善を目指すDXの必要性が叫ばれて久しい。しかし、ちまたには、形ばかりの残念なDX「がっかりDX」であふれている。とりわけ、人手不足が深刻な小売業でDXを成功させるには、どうすればいいのか。長年、小売業のDX支援を手掛けてきた郡司昇氏が解説する。
買い物と聞くと、「楽しみ」や「新商品との出会い」といった、ポジティブなイメージを思い浮かべる人が多いでしょう。
しかし、買い物にはもう一つの重要な側面があります。それは、いつも使っているものがなくなる前に補充しなければならないという“作業としての買い物”です。この種の購買を「計画購買」と呼びます。
トイレットペーパー、ティッシュペーパー、洗剤、しょうゆ、マヨネーズといった代替が効きにくい商品。これらを買い忘れると家庭で大きな問題が発生します。記憶に頼って買い物すると、売り場を見ている間に新製品や魅力的な商品に気を取られて必需品を買い忘れることが多発します。そのため、買い物メモを作成して管理している人も多いでしょう。こうした“作業としての買い物”を楽しいと感じる人は少ないはずです。
この計画購買を楽にするソリューションとして、かつて登場したのが、Amazonダッシュボタンです。2016年12月から日本でもAmazonプライム会員向けに税込500円で販売され、ボタンを押すだけで特定の商品を再注文できるIoTデバイスでした。
しかし、その後、わずか3年弱で終了することになったこのサービスには、大きな課題がありました。
著者プロフィール:郡司昇(ぐんじ・のぼる)
20代で株式会社を作りドラッグストア経営。大手ココカラファインでドラッグストア・保険調剤薬局の販社統合プロジェクト後、EC事業会社社長として事業の黒字化を達成。同時に、全社顧客戦略であるマーケティング戦略を策定・実行。
現職は小売業のDXにおいての小売業・IT企業双方のアドバイザーとして、顧客体験向上による収益向上を支援。「日本オムニチャネル協会」シニアフェロー Nextリテール分科会リーダーなどを兼務する。
公式Webサイト:小売業へのIT活用アドバイザー 店舗のICT活用研究所 郡司昇
公式X:@otc_tyouzai、著書:『小売業の本質2025DX』
ボタンひとつで再注文――Amazonの挑戦とその壁
作業としての買い物を楽にするサービスとして登場したAmazonダッシュボタンでしたが、まず、実際に家庭内で運用するとなると、買い忘れてはいけない商品の数だけボタンが必要となります。
現実的に、そんなに多くのボタンを自宅に設置することはできません。さらに、それぞれを自宅のWi-Fiネットワークに接続する作業も煩雑でした。
より深刻な問題は、物流コストです。
例えば200円の食器洗剤1本を配送する場合、仮に商品原価150円に加えて配送費400円、梱包費100円、システム費用などを考慮すると、1注文あたり約500円前後の赤字が発生する計算となります。
つまり、低単価な生活必需品単品の補充購買をテクノロジーだけで解決することは、経済的に不可能なのです。
ダッシュボタンは2019年2月末に販売が終了し、同年8月31日には注文受付も終了しました。終了の背景として、バーチャルダッシュ(Webやアプリ上のボタン)、Alexa音声ショッピング、家電が自動で消耗品を発注するDash Replenishmentなど、代替サービスの充実があったとされていますが、真の終了理由は前述のとおり、運用とコストです。
ダッシュボタンは終了しましたが、購買の負担を減らすための試行錯誤を、国内外の企業が進めています。なぜなら、それが企業の競争優位性に直結するからです。
冷蔵庫の中まで届ける Walmartの「ラスト1センチ」戦略
現在、最も踏み込んだ取り組みとして注目されるのが、米小売り最大手Walmart(ウォルマート)の有料会員向けサービス「インホームデリバリー」です。年会費148ドルのこのサービスでは、配達員がスマートロックを使用して顧客の留守宅に入り、冷蔵庫に直接食品を配送します。
配達員はボディカメラを装着し、顧客はスマートフォンでライブ映像を確認できます。これは単に冷蔵庫まで届けるという「ラストワンマイル」を「ラスト1センチ」まで縮めるサービスであるだけでなく、冷蔵庫の在庫状況を把握し、補充を可能にする仕組みでもあります。
サービスを利用したことがないので推測ですが、デリバリーした際にそろそろマヨネーズがなくなりそうだということで、配達員が買い物リストに登録しておいたり、次回デリバリー発注候補に入れておくということが考えられます。
IoT技術を活用した冷蔵庫カメラによる在庫監視など、必需品の消費状況を測定して自動発注をかけること自体は技術的に可能ですが、問題はAmazonダッシュボタンのように単品で配送すると、配送コストが全く見合わないことにあります。
日本の実例:オイシックスに見る購買の未来形
特定の小売店を継続的に利用する顧客に対しては、消費サイクルを学習し、商品がなくなるタイミングの少し前に自動的にレコメンドする仕組みが有効です。
食材宅配サービスのオイシックスでは「定期ボックス」というシステムを採用しています。毎週木曜日午後7時頃に、顧客ごとにカスタマイズされたおすすめ商品が自動的に買い物かごに入り、締切日まで自由に商品の追加・削除が可能です。これは実質的に、消費予測に基づくレコメンドシステムとして機能しています。
“買い物の手間”を減らす店が生き残る 小売の新たな競争軸とは
特定のスーパーを継続利用している顧客の場合、消費予測は季節変動があっても対応可能です。なぜなら、なくなっては困る消費財の多くは、使用期限が数週間から数カ月と比較的長いからです。短いものでも牛乳、納豆、豆腐などの日配品程度です。使い捨てカイロ、鍋つゆなど季節変動の大きい商品は、前年の購買履歴が参考になります。
生鮮品以外の需要はそこまで大きく変動しないので、購買履歴データに基づいて次回までの購買間隔を予測し、買い物メモ候補を自動生成することは可能です。
このような作業の買い物を楽にするソリューションは、複数のスーパーを使い分ける生活者にとって、特定の1社を選ぶ強い理由となり得ます。企業がこのようなサービスを提供すれば、コロナ禍で特定のECサービスが支持され続けたように、サービスを提供しない企業は選択されなくなる可能性があります。
米国において、Walmartがインホームデリバリーで差別化を図っているのは、この競争優位を確立するのも目的の一つにありそうです。
選ばれる小売店になるという目的において、作業としての買い物を楽にしてあげるサービスの提供は、重要な差別化要因となり得ます。そしてそれは、持続可能性の低い単品ベースの配送ではなく、顧客に寄り添って複数の生活必需品を常に過不足なく、手頃な価格で、鮮度よく供給するというものに他なりません。
テクノロジーは手段であって目的ではありません。重要なのは、顧客の購買における負担を軽減し、生活を支える存在となることにあります。
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