言葉は、リーダーの手を離れ暴走する 「ワークライフバランスを捨てる」発言の重さ:働き方の見取り図(1/3 ページ)
言葉が独り歩きした結果、意図せぬ形で人を傷つけたり、組織の判断を誤った方向へ導いたりすることもある。2025年最後の本稿では、「リーダーが発する言葉の重み」について考えてみたい。
リーダーの言葉は、ときに本人の意図を離れ、想像以上の力を持って社会や組織を動かしてしまうことがあります。
就任以来、高市早苗首相が発する言葉は、世間から注目を集め続けています。国際会議のスピーチで引用された漫画『進撃の巨人』の名台詞「いいから黙って、全部自分に投資しろ」、奈良のシカを足で蹴り上げる外国人がいるといった首相就任前の発言など、その一つ一つが話題となり、賛否を呼んできました。
中でも、自民党総裁に選出された直後の「ワークライフバランスという言葉を捨てます」という発言は、働き方をめぐる価値観に強く触れ、今なお余波を残しています。同じ場で発せられた「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」という言葉も、強烈なインパクトを残し、2025年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれました。
一連の発言は、賛否両論を巻き起こしてきました。興味深いのは、賛成する側同士であっても、反対する側同士であっても、その受け取り方が必ずしも一致していないという点です。同じ言葉であっても、解釈は人によって微妙に異なり、ときに発言者の真意とは異なる意味が付与されていきます。
言葉が独り歩きした結果、意図せぬ形で人を傷つけたり、組織の判断を誤った方向へ導いたりすることもあります。2025年最後の本稿では、「リーダーが発する言葉の重み」について考えてみたいと思います。
著者プロフィール:川上敬太郎(かわかみ・けいたろう)
ワークスタイル研究家/しゅふJOB総研 研究顧問/4児の父・兼業主夫
愛知大学文学部卒業。雇用労働分野に20年以上携わり、人材サービス企業、業界専門誌『月刊人材ビジネス』他で事業責任者・経営企画・人事・広報部門等の役員・管理職を歴任。
所長として立ち上げた調査機関『しゅふJOB総研』では、仕事と家庭の両立を希望する主婦・主夫層を中心にのべ5万人以上の声をレポート。
NHK「あさイチ」「クローズアップ現代」他メディア出演多数。
「ワークライフバランスを捨てる」 同じ言葉でも受け取り方は真逆に
ワークライフバランスを捨てるといった一連の発言に対して、高市首相は折に触れて、働き過ぎを推奨する意図ではないと説明しています。意気込みや覚悟を伝えるために、インパクトのある表現を用いたに過ぎないと冷静に受けとっている人も少なくありません。
仕事で成果を出すためには相応の時間をかける必要があると考えている人たちの中には、「ワークライフバランスを捨てる」という首相の発言を聞いて、わが意を得たりと感じた人もいると思います。「ワークライフバランスが大切などと言っている優秀な人を見たことがない」といった趣旨の発言が、SNSで話題になったりもしました。
一方で、家族が過労自殺された遺族の方々をはじめ、この言葉に強い反発を示す人もいます。働き過ぎによって最愛の家族が追い込まれ、命を絶ってしまった経験がある人にとって、この言葉はとても残酷に響くように思います。
ただ、先ほども指摘したように、高市首相自身は働き過ぎを推奨しているわけではないと説明しています。その点を踏まえると、優秀な人はみんなたくさん働くと見なしているわけでも、過労死を容認しているわけでもないはずです。
ところが、発言者の真意とは裏腹に、一度発せられた言葉が意図とは異なる形で受け取られてしまうことがあります。
真意を離れて広まった「お客様は神様です」
こうした事例は、政治の世界に限った話ではありません。さらには、真意からかけ離れて歪められてしまうことさえあります。思い起こされる事例の一つが、国民的歌手だった三波春夫さんが発したとされる「お客様は神様です」という言葉です。
その真意は、三波さんが到達された境地に至らなければつかみ取れないほどに深いものであり、簡単に別の言葉で言い換えられたりはしないのだと思います。三波さんのオフィシャルサイトにはこの言葉に関して、『あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできない』という本人の言葉が掲載されています。
つまり、この言葉は三波さんが舞台に立つ際に大切にしていた心構えを表したものに他なりません。しかし世の中に「客は神様のように絶対的に偉い存在だ」といった意味で広まってしまい、横柄な顧客が自分に都合よく解釈するようなケースが目立ちました。
その結果、カスタマーハラスメントが社会問題となるほどまでに広がってしまった一因になっているとしたら、最も悲しんでいるのは三波さんご自身ではないかと思います。受け手の解釈によって、本来の意味が大きく歪められてしまう典型例だと言えるでしょう。
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