“良かれと思った施策”が裏目に バブルを生き延びた「べっぷ駅市場」で何が起きたのか?(2/6 ページ)
半世紀以上に渡って地元住民や観光客に親しまれ、昭和の面影を残す「べっぷ駅市場」。日本一長い高架下商店街はどのようにして生まれたのか、なぜ生まれ変わらなければならなかったのか。
当時の国鉄の狙い
令和では珍しくないものの、当時の九州では高架駅は佐世保駅など数えるほどしかなかった。大分県内はおろか、別府駅がある日豊本線(小倉−西鹿児島、現・鹿児島中央)全体でも高架駅が全く存在しない時代。国鉄は1950年代から地元企業や自治体などとの共同出資で、駅に商業施設を設けて民間テナントを導入して収益化する「民衆駅」を増やしており、別府駅も高架下を収益物件とする先進的な「別府民衆駅」とすることが決まった。
1966年、新たな別府駅と、国鉄を中心に別府市や地元バス会社である亀の井バスなどが出資する高架下商業施設「別府ステーション・センター」が1期開業した。高架下はそれぞれ南側から「南高架商店街」「南名店街」、別府駅舎とコンコース・待合室を挟んで「北名店街」「北高架商店街」の4街区で構成され、1970年代初めまでに各街区が順次開業した。この時点では商店街の店舗面積は1万平方メートル以上、総延長は2キロメートル近くあり、「日本一長い高架下商店街」とも称された。
当初の出店状況をまとめると、
- 南高架商店街(現・べっぷ駅市場):主に食品店
- 南名店街(現・BIS南館):福岡県に本社を置く総合スーパー「渕上丸栄」、衣料品店、飲食店、土産品店など
- 北名店街(現・B-Passage):福岡県に本社を置く家電量販店「平野電機」、近鉄グループが運営する「近鉄食堂」を核に飲食店、土産品店など
- 北高架商店街:食品店、衣料品店、飲食店、事務所など
となっていた。
中でも、のちに「べっぷ駅市場」と改名する南高架商店街は、ほとんどが個人商店という昔ながらの商店街形態でありながら、入口にエアカーテンを設けるなど当時最新の設備を導入。近隣のアーケード商店街から移転出店する店舗もあり、大いににぎわった。
地上駅時代の別府駅跡地にはバス停や平面駐車場が設けられたほか、駅北側を再開発して商業ビルを建設、百貨店を誘致する計画もあった。しかし、当時は駅前に別府近鉄百貨店があったほか、1988年には徒歩圏に地場百貨店・トキハ別府店も開業したことからビルは2005年まで完成せず、のちに平面駐車場となった。
1980年代末には駅南側の街区が改装され、南名店街は一般的な駅ビルのような内装となり「BIS南館」に、南高架商店街は商店街のまま維持されて「べっぷ駅市場」に改称。合わせて3階建ての立体駐車場と店舗・交番の複合ビルも完成した。
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