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“良かれと思った施策”が裏目に バブルを生き延びた「べっぷ駅市場」で何が起きたのか?(3/6 ページ)

半世紀以上に渡って地元住民や観光客に親しまれ、昭和の面影を残す「べっぷ駅市場」。日本一長い高架下商店街はどのようにして生まれたのか、なぜ生まれ変わらなければならなかったのか。

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なぜ、べっぷ駅市場はバブルで衰退しなかったのか

 べっぷ駅市場のように、主に食品を扱う商店街は高度成長期までは全国各地でみられ、特に西日本では「市場」と呼ばれて親しまれた。こうした市場は、地方都市ではバブル期ごろには大型店の進出により衰退してしまう例も少なくなかった。

 一方で、べっぷ駅市場は駅・バスターミナルと大型店が隣接するという好立地であり、完全空調ということもあって21世紀に入るころまで初期に出店した多くのテナントがそのまま営業を継続。空き店舗が出てもJR九州グループが一括管理しているため、多くの商店街が抱える「建物を所有している居住者が貸したがらない」という問題が起きず、空き店舗が少ない状態が続いた。

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ダイエーが営業していた頃の「べっぷ駅市場」商店街。ダイエー側の入口(写真:若杉優貴)
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「べっぷ駅市場」は2010年代に入っても多くの店が並び「昭和の商店街」のままだった(写真:若杉優貴)

 なお、駅北側にあった「北名店街」は、2005年に近代的な駅ビルと同様の内装に改装されて「B-Passage」(一部は駐車場増設)に改称。合わせて、長年着工が見送られてきた商業ビルも、地上3階建ての規模で完成した。北名店街で家電を販売していたミスターマックス(旧・平野電機)が閉店したため、JR九州が同業のヤマダ電機(現:ヤマダデンキ)を誘致し、同社初の駅併設型店舗として出店した。

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現在の別府駅コンコース「えきマチ1丁目別府B-Passage」エントランス。柱にデジタルサイネージがあるなど、駅に近い街区は一般的な駅ビルと同様の内装だ(写真:若杉優貴)

 ヤマダ電機の出店により駐車場無料サービスが大幅に拡充され、マイカーで駅に買い物に来る客も増えた。また、空き店舗が増えていた北高架商店街はこのころからアート系店舗や若手店主の出店が増えたほか、駅から遠いエリアは貸事務所や貸倉庫、ライブハウスなどに転用され、空き店舗は大きく減ることとなった。

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アート系店舗が増えた2010年代の北高架商店街。個性的な店が並び、ディープな魅力を発信する(写真:若杉優貴)

 その後、JR九州の駅ビル名称の統一に伴い、2016年から駅に近い2つの街区はそれぞれ「えきマチ1丁目別府BIS南館」「えきマチ1丁目別府B-Passage」に改称。近年は他のJR九州の駅ビルと同様にデジタルサイネージが設置され、観光案内所の増設なども図られている。

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