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名鉄の撤退で深い溝、シャッター通りだった犬山城下町……なぜ年間69万人の聖地に化けたのか?地域経済の底力(3/3 ページ)

一時は観光客が激減した犬山市だが、見事なV字回復を見せている。その理由は何なのか?

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「20万人を割ったらまずい」

 潮目が変わったのは、2005年に愛知県で開催された万博「愛・地球博」だった。後藤氏が犬山市観光協会に加わったのも、この年である。

 名古屋市出身で、旅行会社に勤めていた後藤氏が観光協会で働こうと考えたのは、「城と祭りなどの文化財が好きで、その保存と活用の両立に関心があった」のが理由だ。


犬山市観光協会の後藤真司事務局長(筆者撮影)

 当時の犬山の観光は、底を脱していた。しかし、「観光協会に入った時に先輩職員に『犬山城は年間20万人を割ったらまずい』と言われました。ここが最低ラインでした」と後藤氏は振り返る。

 かつてのにぎわいはなくなっていた犬山だったが、万博という大型イベントを盛り上げるため、観光面などでの連携を図ることとなった。ユネスコ無形文化遺産に登録された「犬山祭」で使われる、からくり人形が備え付けられた高さ約8メートルの車山(やま)を万博会場で披露。地域全体が一つの目標に向かって動く経験は、長年すれ違ってきた人々の間に「協力すれば何かが変わる」という感覚を生んだ。


犬山祭りの車山(出典:犬山市観光協会の公式Webサイト)

 しかし、犬山の内部には解決すべき課題がもう一つあった。地域観光を長年支えてきた名鉄が2003年、採算悪化を理由に「日本ライン下り」と呼ばれる木曽川の遊覧船事業から突如撤退したのだ。あまりに急な知らせに怒りを覚える人々もいたが、名鉄側にも「採算度外視で続けてきた」という事情があった。

 その後、両者には深い溝ができてしまい、観光協会はその間に入り関係修復に奔走した。地元と名鉄のつながりを何とか修復し、2007年には住民や地元店舗、行政、名鉄、観光協会などが一体となって取り組む観光と街づくりの施策「犬山キャンペーン」が始動。その中核組織として、行政と観光協会による「犬山プロモーション協議会」が発足し、関係各所への橋渡し役を担うこととなった。

 キャンペーンの立ち上げ当初、地元の人々の反応は冷ややかだった。名鉄などに対する不信感が根強く、後藤氏は何度も門前払いを食らいながら、粘り強く説明を重ねた。

 「協議会という立場は嫌われていましたよ。悪いやつらがグルになっていると思われていましたね」と後藤氏は苦笑いする。

 そんな中でも、観光用ポスターを共同で作成するなどして、目に見える具体的な成果物が生まれてくると、徐々に地元の人たちの心もほぐれていった。そして、自発的に行った企画が犬山の城下町を活性化する起爆剤となり、犬山観光のV字回復につながったのである(後編に続く)。

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