インタビュー
名鉄の撤退で深い溝、シャッター通りだった犬山城下町……なぜ年間69万人の聖地に化けたのか?:地域経済の底力(2/3 ページ)
一時は観光客が激減した犬山市だが、見事なV字回復を見せている。その理由は何なのか?
かつてはシャッター通りだった……
犬山が観光名所としての地位を確立したのは国内でも早く、150年以上前である。その背景には、犬山城の天守が1876年から一般公開されたことがある。
また、戦後は日本モンキーパークや「博物館明治村」といった施設も相次いでオープンし、一大観光地として栄えていった。城下の商店街も活気があり、住民が日々の買い物などをしていた。
ところが、平成に入ると観光客は減少。犬山城の入場者は、2003年に19万585人と過去最低を記録した。
衰退の原因の一つは旅行スタイルの変化だ。かつての観光は団体旅行が中心で、大型バスで乗り付け、犬山城を見学すると次の目的地へ向かう「点の観光」だった。
それが平成以降、個人旅行へとシフトした。これにより、城見学の前後に城下町を歩き、地元の人と触れ合いたいというニーズが高まった。しかし当時の犬山では、それを受け入れる体制が整っていなかった。同時期には郊外型ショッピングモールの出店が相次ぎ、商店街は衰退。多くの店が廃業してシャッターが下り、城下町は住宅街のような姿になっていたからだ。
1990年代後半以降、城下町の通りにある店は10店舗にも満たない状態が続いた。わずかに残る駄菓子屋や花屋も、基本的には地元住民向けで、城を訪れる観光客が街でお金を落とす仕組みにはなっていなかった。そして低迷が長引くにつれ、地域内では不毛な責任の押し付け合いが生まれ、連帯して状況を変えようとする空気も失われていった。
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