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「マーケットシェアは3割以上取るな」 独占が企業を弱くする理由

コクヨ創業者は、なぜ「マーケットを独占してはいけない」と考えていたのか。その理由を解説する。

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この記事は『THE BEST WORK 「最高の仕事」を生きる』(原丈人著、サンマーク出版)の内容に一部編集を加えて転載したものです(無断転載禁止)。


 1961年、9歳のときに初めて訪れた外国が香港だった。車道に突き出した看板や聞き慣れない言葉、2階建てトラム(路面電車)が走る街のにぎわいの中で、両親は私に「スマーティーズ」という色とりどりの粒状チョコレートを買ってくれた。色合いの美しさ、カリカリとした食感で大事に食べて大好きになったのを覚えている。

 日本への帰国後、母はよく似たマーブルチョコレートを見つけて持ち帰って、「弟と妹と3人で分けなさい」と私に渡した。私は紙の上にチョコを広げ、色ごとに同じ数になるよう三等分した。

 最後に2粒だけ余ると、母は弟と妹に「お兄ちゃんがきちんと分けたのだから、これはお兄ちゃんにあげてもいいと思わない?」と聞いてくれた。結局、私は2つ余計にチョコをもらった。

 香港の思い出と母のその言葉は、「おいしいものはみんなで分け合う」という感覚とともに、私の中に残った。

マーケットシェアは3割以上取るな

 そんな感覚を当たり前にして育った私だが、27歳のときにスタンフォード大学経営大学院でまったく異なる価値観と遭遇することになる。

 ビジネススクールではフィリップ・コトラーのマーケティング理論が主流で、マーケティングの企業戦略論(マーケティングストラテジー)の授業では、「競争相手を潰し、自分たちで価格支配力を持つことを目指せ」と教えられた。

 相手を潰して、マーケットシェアをひとり占めしろ。競合とともに繁栄するギバーではなく、全てを奪い、勝ち取るテイカーであれ。米国では「Winner takes all(勝者が全てを支配する)」という考え方が主流となっていく時代だった。

 どうも米国では、自分の肌感覚とは合わない手法が良いとされている。最初は自分にビジネスの知識と経験がないからだろうと思っていたが、成功者としてメディアに称賛される経営者を見るにつれ、その違和感は大きくなっていった。

 周囲の学生が熱心にノートを取る中で、私はどうしてもコトラーの理論に賛成できない。コトラーの理論は、せっけんやコーンフレークといった形のある「物的工業製品」についてのマーケティング戦略であり、当時勃興してきたソフトウェアや通信といった形のない「知的工業製品」に関しては通用しないと感じた。このことは、のちにいくらかスタンフォードで論文も執筆した。

 実際、そんな考え方は祖父からも、父からも聞いたことがなかったのだ。私の母方の祖父・黒田善太郎は、文房具やオフィス家具、事務機器を製造・販売する「コクヨ」の創業者だ。子どもの頃は事業のことはよく分からなかったが、祖父が「同業者を潰してはいけない」と言っていたことを、のちに父や母を通じて聞かされた。

 市場をひとり占めしない。競合とともに繁栄しろ。祖父の真意を調べていくと、背景にはこんな考え方があった。

 「なぜ同業と共存共栄するのが重要かと言うと、市場を独占するとあぐらをかいて必ず商品が弱くなるからだ。すると、ダメな商品を高くするからお客さんに対して尽くさなくなる。大事なのは、競合の会社といっしょに切磋琢磨していくこと。競争相手を潰してマーケットをひとり占めするのではなく、共に繁栄しながらマーケット自体を大きくすることが重要だ。そうすれば、お客さんの数も増えていく」

 「事業は社会のために行うものであり、そこで得られる利益は貢献に対する報酬である」という言葉を残した祖父らしい考え方だった。そんな祖父の教えを受け継いだ父からも、こう聞かされてきた。

 「市場のシェアの3割以上を取るな」――同業者との共存共栄こそが、マーケット全体を豊かにする。米国流の「勝者総取り」とは真逆をいくこの教えこそが、私の原点だ。

THE BEST WORK 「最高の仕事」を生きる

力のある人、お金のある人、声の大きな人が人々から奪い、さらに強くなっていくのを見ながらどこかおかしい……と思っている人に「誠実な仕事とは何か?」を問い直す。

悩んだとき、葛藤したとき、苦しいときに、自分を「誠実な世界」にとどめるための“11の自問”

世界中の財界人から尊敬を集めるシリコンバレー最高峰の日本人事業家である著者が、死ぬときに後悔しない「最高の仕事を生きる」ために魂を込めた1冊です。


著者プロフィール:原丈人(はら・じょうじ)

1952年大阪府生まれ。慶應義塾大学法学部在学中から中米考古学を研究。27歳でスタンフォード大学経営大学院MBA課程に入学。その後、工学部大学院に転籍。在学中にシリコンバレーで光ファイバーディスプレイ開発メーカーを創業。1984年デフタ・パートナーズを創業し、ソフトウエア、情報通信、半導体技術、バイオ、創薬等のベンチャー企業やベンチャーキャピタルに出資、経営を行う。国内でも大阪にデータコントロール社を創業し、社長に就任。1990年代には自身がパートナーを務めるアクセル・パートナーズが全米第2位のベンチャーキャピタルとなり、シリコンバレーを代表するベンチャーキャピタリストとなる。

1985年にスタンフォードで設立したアライアンス・フォーラム財団は現在、国連経済社会理事会の特別協議資格を有する米合衆国非政府機関となり「世界中に健康で教育を受けた豊かな中間層を生むこと」を目的とした活動を40年間にわたり続けている。並行して各国の大統領顧問や国際機関大使等を歴任。日本では、財務省参与(2005〜2009年)、内閣府本府参与(2013〜2020年)、経済財政諮問会議専門調査会会長代理、法務省危機管理会社法制会議議長などを務める。大阪大学、大阪市立大学、香港中文大学、香港理工大学等の医学部や工学部で教授職を歴任した。著書に『新しい資本主義』『増補 21世紀の国富論』『「公益」資本主義』などがある。


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