沈みゆく「百貨店」 老舗の暖簾を脱ぎ捨て転生した地方企業の“したたかな”生存戦略:前編(2/4 ページ)
かつては「街の顔」と呼ばれ、都市の中心ににぎわいを生み出す存在だった百貨店。百貨店を取り巻く経営環境は、競争の激化や少子高齢化の進展を背景に年々厳しさを増している。そうした中、「百貨店からの業態転換」によって生き残りを図る動きが広がっている。
百貨店をやめた後、百貨店事業を再開した企業も
一旦百貨店業をやめ不動産業を主業としたものの、再び百貨店に近い業態へと返り咲いた企業もある。鹿児島市の一等地・天文館エリアで複合商業施設「マルヤガーデンズ」を運営するマルヤ(丸屋本社)だ。
マルヤは1892年創業の呉服店を起源とする老舗百貨店だったが、1984年に店舗を三越グループに貸し出し「鹿児島三越」(当初は丸屋との合弁、のち三越直営)の建物や駐車場を管理する不動産主業へと転換。しかし、鹿児島三越は競争激化などにより2009年に閉店する。
そこでマルヤが選んだのは、自社による老舗の立地と経験を生かした店舗運営の再開だった。三越だった建物を改装して「マルヤガーデンズ」とし、2010年に再び「マルヤ」の看板を掲げて営業することとなった。
マルヤガーデンズは売り手と買い手、そして住民などのステークホルダーが有機的につながりあう「ユナイトメントストア」を標榜する複合商業施設で、各フロアには商品を売るのみではないコミュニティ・イベントスペース「ガーデン」を配置。さまざまなポップアップやイベントを開催しているのが特徴だ。
もともと鹿児島で1番の繁華街に近接することもあり「ロフト」「無印良品」「淳久堂書店(ジュンク堂書店)」など数多くの人気テナントの誘致に成功。館内にはマルヤによる食品や地元の土産品・銘品などを扱う自主編集売場も設けられている。日本百貨店協会には加盟していないものの、実質的に不動産業から百貨店に近い業態の運営に返り咲いた企業であるといえよう。
鹿児島三越跡の複合商業施設「マルヤガーデンズ」。マルヤは三越に建物を貸し出していたものの、三越閉店後は立地と経験を生かして時代に合わせた改装で自社運営に返り咲いた。エントランスには百貨店時代の(や)のマークと「since1892」の文字が掲げられる(写真:若杉優貴)
南九州にも、立地を生かして百貨店だった建物の全面改装による業態転換を図った企業がある。宮崎県都城市の中心商店街にあった百貨店「ナカムラ」だ。
ナカムラは1960年に開業(1973年増床)した地場百貨店だったが、都城市内のショッピングセンター増加などに伴い百貨店を廃業。建物と立体駐車場を増改築し、1995年に会議室なども併設する大型宿泊施設「メインホテルナカムラ」としてリニューアルした。
都城市ではショッピングセンター進出の影響を受けて中心商店街の店舗が大きく減少。大型店としては厳しい立地となってしまったものの、商店街周辺には公共施設やオフィスなどが多くあるため、ホテルや会議室、駐車場としては好立地だ。ナカムラはホテルへの業態転換後、30年以上にわたって営業を続けている。
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