“夕日ビール”はなぜ蘇ったのか シェア1割、アサヒ大逆転の舞台裏:大阪ビジネス(1/3 ページ)
「苦味が強いほど良い」とされた時代に、アサヒビールは消費者の声に耳を傾けた。その結果生まれたのがスーパードライだ。業界3位からの復活劇を、大阪商人の精神とともに振り返る。
この記事は、書籍『大阪ビジネス』(大野雄斗/クロスメディア・パブリッシング)に、編集を加えて転載したものです。なお、文中の内容・肩書などは全て出版当時のものです。
大阪にルーツを持つビールメーカーは、サントリーのほかに、もう1社あります。それが「アサヒビール」です。現在は東京に本社がありますが、そのルーツは大阪にあります。
1889年(明治22年)、アサヒビールの前身である「大阪麦酒会社」が設立され、1891年(明治25年)には現在の大阪府吹田市に「吹田村醸造所」がつくられました。
こうして大阪麦酒は地元関西で売り上げを伸ばしていきます。1900年(明治33年)には日本初の熱処理を施さない瓶詰生ビール「アサヒ生ビール」を発売します。
1876年にはサッポロビールの前身「開拓使麦酒醸造所」が北海道に生まれるなど、一気にビール業界が勢力を強め、1906年(明治39年)、アサヒ、サッポロ、エビスが合併し「大日本麦酒株式会社」を設立します。
しかし、戦後の財閥解体の動きの中で「朝日麦酒株式会社」として1949年(昭和24年)に分割され、1989年(昭和64年)に「アサヒビール株式会社」に社名を変更します。
時代背景も相まって何度も形を変えてきた「アサヒビール」ですが、経営は順風満帆ではありませんでした。実は、1987年(昭和62年)までアサヒビールは業界3位で「夕日ビール」と陰口をたたかれるほど業績は低迷していました。一時、シェア率は1割ほどに落ち込み、大逆転できるような商品が求められていました。
当時のビールといえば「苦味と重厚さ」が良しとされ、ラガービール(「貯蔵庫」で二次発酵を行うビール)が市場を独占していました。しかし、当時の経営陣は、崖っぷちでビジネスの原点に立ち返る選択を取りました。
「市場で売れているビールではなく、客が飲みたいビールは何か?」を徹底的に調査したのです。「日本人にビールの味の違いはわからない」と言われた時代に、消費者の味覚を信じて、5000人規模の味覚調査を行った結果、驚くべき事実が判明しました。
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