「すし職人をAI開発の輪に入れろ」──オードリー・タンに聞く、米中AI競争で日本が勝つ道
米中が超巨大モデルの性能を競う中、日本の遅れが指摘されている。だが戦場がクラウドから「物理世界」(フィジカルAI)へ移れば、日本の現場力が一転して強みとなる。台湾の元デジタル担当大臣オードリー・タン氏は「勝つために究極のAIは不要。すし職人や漁師など現場の人間をAI開発のループに入れよ」と提言。2030年に19兆円規模に達する市場で、シリコンバレー主導のルールを破り日本が勝つための戦略を明かす。
「勝つために、究極のAIを作る必要はない。すし職人を開発の輪に入れろ」――。
こう力強く言い切るのは、台湾で元デジタル担当大臣を務めたオードリー・タン氏だ。
米国のOpenAIやGoogle、中国のDeepSeekなどが莫大(ばくだい)な資金とエネルギーを投じ、AIの覇権争いは世界規模で激化している。巨大モデルの性能向上を競う米中に比べ、日本はこの開発競争で後塵を拝しているとの見方も強い。しかし、戦場がデータセンターを基盤とするクラウドから、ロボットやデバイスが動く「物理世界」(フィジカル)へとシフトした瞬間、日本の立ち位置は一変する。
2030年に約19兆円規模へ達すると予測される「フィジカルAI」領域において、世界屈指の製造ノウハウと現場力を持つ日本企業が、シリコンバレー主導の巨大モデルの競争から脱却して勝利をつかむための「真の勝ち筋」とは何か。タン氏が提示するのは、膨大な電力消費を避けるエッジAIと、漁師やすし職人といった現場の人間を「AIの処理ループ」へと巻き込む共創モデルだ。
日本がグローバルな主導権を奪い返すための「持続可能なAI戦略」の展望を、タン氏に聞いた。
オードリー・タン 元台湾デジタル発展部部長。1981年、台湾台北市生まれ。2005年、プログラミング言語Perl 6開発への貢献で世界から注目を浴びる。2014年、米Appleでデジタル顧問に就任、Siriなどの人工知能プロジェクトに加わる。その後、蔡英文政権において、35歳の史上最年少で行政院(内閣)に入閣。台湾の新型コロナウイルス対応では、マスク在庫管理システムを構築、感染拡大防止に大きく寄与した(撮影:河嶌太郎)
「究極のAI」はいらない 米中の陰で日本が勝つ「エッジAI」の領域
――AI開発競争が激化する中で、日本はどのような方向を目指すべきだとお考えですか。
競争において重要なのは、究極のAIを作ることではなく、どれだけ早くそれぞれの領域に入り込めるかだと思います。多くの企業は今、社会の中で特定の領域に特化したバーティカルなAIを作ろうとしています。それは翻訳や通訳かもしれないし、要約や業務支援かもしれません。これらは毎日機能するものでありながら、それほど膨大なエネルギーを必要とするわけではありません。
こうしたAIを、できるだけユーザーに近いエッジ側のコンピュータで演算させる。そうすれば、サーバにデータを送る必要がなくなり、監視やプライバシーの問題も起きません。
私はこれを、電気のようなものだと紹介しています。電気はあらゆる動力源、全ての車、あるいは超小型原子炉のような形で社会に埋め込まれていなければなりません。送電網が整備されていなければ、電気を使うことができないのと同じです。
私はこれを、電気のようなものだと紹介しています。電気はあらゆる動力源、全ての車に実装されていなければなりません。あるいは超小型原子炉のような形で社会に埋め込まれる必要があるでしょう。送電網がなければ電気を使えないのと同じ(ように、エッジ側にAIを組み込んでおかなければ必要な機能を利用できなくなるの)です。
日本はいまAIにおいて、その電気が普及する瞬間を迎えていると思います。日本には非常にユニークでパワフルな文化的想像力があります。
西洋ではよく「ターミネーター」について語られますが、あれは自然な姿ではありませんよね。もちろん日本でもスーパーインテリジェンスやシンギュラリティ(特異点)といった話はありますが、必ずしもそうした超越的な存在が必要なわけではないかもしれません。
むしろ人々が水平につながり、協力し合うことでさまざまなことができます。そうすれば、全員が勝者になれる、Win-Winな状況が作れるはずです。
「すし職人や漁師」をAIの輪に入れよ 19兆円市場を拓く“唯一の道”
――タンさんは以前、漁業関係のイベント「Sushi Hackathon 2025」で、米スタンフォード大学を訪れました。漁業に限らず、製造業や農業、物流など、現場でAIを活用する際の注意点は何でしょうか。
AIを活用する上で注意すべき点があります。それは「現場に近い人たちのインプットをテクノロジーに取り込むこと」が極めて重要だということです。
単にその人たちのためにAIをデザインするのではなく、その人たちと一緒にAIを作らなければなりません。現場のためとはいえ、一方的にAIを作ってしまうと、例えば漁業なら漁師の人たちに「これを使え」と強制する形になってしまいます。
AIの処理ループは非常に高速です。ですので一度動き出すと方向を変えるのが難しく、人間を単にそのプロセスの一部に組み込むだけでは、この文脈においては意味がありません。そうではなく、AIを人のループの中に入れるべきなのです。実際の人間がニーズを定義し、AIはその補助的な役割を担う形でなければなりません。
例えば、誰かが何か変更をリクエストした際に、元のソリューションにAIが固定化されていてはいけません。もし固定化されてしまうと、ある時点でそのソリューション自体から新たな問題が発生し、持続可能性を保てなくなってしまいます。
ですから、現場に近い人たちが常に継続的に関わり続けることが必要不可欠です。その意味で、実際の漁業関係者や、すし職人のような方々にAI開発・実装プロジェクトへ参加してもらうことは、とても重要だと考えています。
なぜ“上からの強制DX”は失敗するのか 一元化の罠
――日本のデジタル化の進展についてお聞きします。2021年9月にデジタル庁を設立しましたが、一部では「動きが遅い」という声もあります。この点についてどうお考えですか。
指数関数的な成長というのは、初期段階ではどうしても動きが遅く見えるものです。パンデミックの最中、日本のリーダーシップ層は「従来の『ハンコ文化』は安定した世界では機能するが、カオスのような状況下ではもっと素早く順応しなければならない」と指摘しました。
そこで重要なのは「誰も取り残さない」ということです。慶應義塾大学の村井純教授も「デジタルは武士道のようなものだ」と話していました。つまり、テクノロジーを良いものとして使いつつ、誰一人取り残さないという精神が大切だということです。これは日本の強みだと思います。
台湾も同じですが、単にテクノロジーをデザインして、そのループに入るよう人々に強制することはできません。日本でも台湾でも、そうした強制的なやり方はうまくいかないでしょう。なぜなら、人々は会話の完全性やプライバシーを大切にしており、政府に監視されたくないと考えているからです。支払いデータなども、誰が何を払っているか政府に全て把握されることには抵抗があります。
ですから、他の一部の国で通用するような「一元化されたソリューション」は、日本や台湾では受け入れられません。
シリコンバレーにルールを決めさせるな 日本が担うべきリーダーシップ
――プライバシーを守りながらデジタル化を進めるには、何が大切なのでしょうか。
ここで重要になるのが、Web3の文脈でも語られる「データポータビリティー」(移植性)の義務化です。情報のスーパーハイウェイ(高速な情報通信網)を作る際には、そこから降りるための「オフランプ」も用意しておかなければなりません。ソーシャルネットワークであっても、他のネットワークへ自由に移行できるようにする必要があります。
自分のデータを持ち運び、新しい友人や新しい生活圏へ移れるようにしておくこと。例えば米ユタ州や欧州では、そうした移植性を義務付ける法律を整備しています。そうすれば誰も特定のプラットフォームに「ロックイン」されることはありません。
コミュニティーのニーズやプライバシーにより良く対応するためには、シリコンバレーのビッグテック企業だけにルールを決めさせるのではなく、日本のような国がリーダーシップを担えるはずです。デジタル庁はその最先端を進むことになるでしょう。
私が日本に行くたびに使う「Visit Japan Web」も良い例です。スマホで完結し、インターネット接続がない状態でも表示でき、私がいつアプリを開いたかを政府が追跡できないようプライバシーも守られています。
このアプローチと同じで、最初は遅く感じるかもしれませんが、全員から「集団的知性」(コレクティブ・インテリジェンス)を集めることができれば、ある時点で指数関数的に伸びる時が必ず来ると思います。
SNSの分断に企業はどう勝つか 自社AIに組み込む「日本型バランス感覚」
――SNS上で似た意見ばかりに触れることで自分の考えが正しいと思い込む「エコーチェンバー」など、ソーシャルメディアの問題がより深刻になっています。企業はこの問題にどう向き合えばいいのでしょうか。
ソーシャルメディアの悪影響によって、今の米国では社会やコミュニティーの「分極化(分断)の濃度」が異常な高水準に達しています。環境問題におけるCO2(二酸化炭素)濃度になぞらえて表現されるほどで、まさに毎分毎秒、人々の分断と対立が激化している状態です。
オープンなソーシャルメディア上では、過激で攻撃的な言葉ほど拡散されやすく、企業もまたその不毛な「軍拡競争」や炎上リスクに巻き込まれがちです。一方で、日本市場にはまだ冷静な対話が成り立つ状況が残されています。
企業が学ぶべき解決策は非常にシンプルです。それは、日本で培われてきた「多角的な視点を尊重し、偏りを避けるバランス感覚」を自社のコミュニケーションやテクノロジーに組み込むことです。
例えば、社内で運用する顧客対応AIや社内用AIエージェントに対し、一方の過激な意見に偏らない「多様な視点を考慮するトレーニング」を施す。このバランス感覚をAIに学習させれば、極端な声に流されず、多様な価値観を持つ顧客や社員と誠実な関係を築けるようになります。アルゴリズムの分断に飲み込まれず、対話の多元性(プルーラリティ)を重んじる姿勢こそ、AI時代の企業に求められる真の強みなのです。
ダイハツ、旭化成、NOT A HOTELなど登壇:
無料セミナー「ITmedia デジタル戦略EXPO 2026 夏」開催!
ITmedia デジタル戦略EXPO 2026 夏では、各分野の第一人者や企業の現場でビジネス変革に取り組むリーダーの声を通じて、経営×IT×現場のコラボレーションで全社変革を進めるヒントをお届けします。
AIを活用したデジタル戦略が必須となる中、ダイハツ工業や旭化成、NOT A HOTELなどビジネス変革に取り組む企業の「当事者の声」を通じて、現場のリアルな課題解決方法を探ります。視聴登録はこちらから。
- 開催日:7月8日(水)〜8月5日(水)
- 形式:オンラインセミナー
- 参加費:無料
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
「KPIは睡眠時間」──オードリー・タンに聞く、日本企業の生産性が上がらない根本原因
生産性の低さが指摘されている日本。人口減少が追い打ちをかける中で、現状を打開するためには、どうしたらいいのか。企業はAIをどのように使いこなしていくべきなのか。オードリー・タンさんに聞いた。
NVIDIAフアンCEOが語る“日本復活”のシナリオ 10年続く半導体バブルと「原発活用」の勝算
米NVIDIAのジェンスン・フアンCEOが来日し、日本経済の復活を宣言した。国内のAIインフラ構築へ数十億ドル規模の投資を発表。フアン氏は「何兆ものAIがAIを使う時代」の到来によって半導体需要は人口に制約されないと指摘。データセンターの電力不足に対して「原発活用」を日本の強みとして提言した。「材料科学で世界一」とする日本企業への信頼や、任天堂・岩田聡氏との秘話など、日本復活へのビジョンを熱く語った。
「学歴は無価値に」 米トップエンジニアが明かす、AI時代に“大化けする人材”の共通点
「履歴書の時代は終わった」──AIの普及によって、企業の採用や人材評価のルールが大きく変わり始めている。
オードリー・タン氏に聞く「どうしたらテクノロジーは人を幸せにできるの?」
「どうしたらテクノロジーは人を幸せにできるのですか?」。台湾初代デジタル発展相のオードリー・タン氏が、質問に答えた。
日本発のブランドを“世界に売る”AIベンチャー 社長に聞く「海外展開の秘訣」
日本発のさまざまなブランドを海外展開させた実績を持つGDX。日本企業が海外展開する上で何が重要なのか。GDXの洞田(ほらた)潤社長に聞いた。
銀座の寿司をシリコンバレーへ ECサイト支援企業がスタンフォード大とハッカソンを共催したワケ
スタンフォード大学が、日本のECサイト支援企業GDXと「Sushi Hackathon」を共催した。優勝賞金は3万米ドル、最終審査進出者には東京・銀座の「鮨 あらい」の寿司を会場で振る舞った。狙いを共催企業GDXの洞田(ほらた)潤社長に聞いた。
「日本なくしてNVIDIAはなかった」 フアンCEOが語った真意は?
NVIDIAのジェンスン・フアンCEOは都内で主催した自社イベントで「日本はこれまでテクノロジーの分野で遅れていたが、AIを活用すればリセットできる」と話した。「日本なくしてNVIDIAはなかった」と語る真意は?
NVIDIAフアンCEOが「1on1」をしない理由 “階層なき”組織運営は機能する?
半導体大手の米NVIDIAのジェンスン・フアンCEOは、上司と部下が1対1でミーティングをする「1on1」をしないことで知られている。世界で3万人超の従業員を率いているにもかかわらず、直属の部下であるリーダーシップ・チーム(日本で言う経営会議)は60人。その他には階層がないという。特異な組織運営をする狙いを、フアン氏が語った。
ChatGPT創業者が慶大生に明かした「ブレイクスルーの起こし方」
ChatGPT開発企業の米OpenAIのCEOが来日し、慶應義塾大学の学生達と対話した。いま世界に革命をもたらしているアルトマンCEOであっても、かつては昼まで寝て、あとはビデオゲームにいそしむ生活をしていた時期もあったという。そこから得た気付きが、ビジネスをする上での原動力にもなっていることとは?

