2015年7月27日以前の記事
検索
コラム

大量失業論のウソ 米CEOの8割が「AIで人員削減しない」と舵を切った真意

AIを理由にした人員削減を株式市場が評価してきた米国で、人を排除するのではなく、人を生かすことこそAI投資の回収に欠かせないという認識への転換が、この1〜2カ月で急速に進んでいる。

PC用表示 関連情報
Share
Tweet
LINE
Hatena
ExaWizards

 あなたの会社で、ベテラン社員がAIの出力を手直ししたとき、その修正はどこへ行くのだろうか。おそらく、ほとんどの企業で答えは同じだ。どこにも行かず、そのまま消えていく。

 この「消えていく修正」の価値に、米国企業が気付き始めた。AIを理由にした人員削減を株式市場が評価してきた米国で、人を排除するのではなく、人を生かすことこそAI投資の回収に欠かせないという認識への転換が、この1〜2カ月で急速に進んでいる。

photo
AIを理由にした人員削減を株式市場が評価してきた米国で、何が変わっている?(以下、写真提供:ゲッティイメージズ)

OpenAI、AnthropicのCEOが「大量失業」の預言を撤回したワケ

 つい1年ほど前まで、AI業界のトップたちは競うように雇用の消失を語っていた。米Anthropicのダリオ・アモデイ(Dario Amodei)氏は2025年5月、AIが1〜5年のうちにホワイトカラーの新卒級の仕事の半分を消し、失業率を10〜20%に押し上げかねないと警告した。

 その論調が、この数カ月で反転した。米紙Wall Street Journal(WSJ)は7月上旬、テック企業のCEOたちが雇用消失の物語を捨て始めたと報じている。この傾向は数字にも表れている。コンサル大手EY系の米EY-Parthenonの調査では、AI投資が大幅な人員削減につながると見るCEOの割合は、2025年1月の約46%から2026年5月には20%へと半分以下に減った。

 当人たちの発言も変わった。米OpenAIのサム・アルトマン(Sam Altman)氏は「AIの時代にも人間が全ての中心であり続ける、その度合いを業界は見くびっていた」と軌道修正した。1年ほど前に仕事の半分がなくなると唱えたアモデイ氏は「自分は破滅の預言者になろうとしていたわけではない」と釈明する。

 米Amazon創業者のジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)氏に至っては「AIはむしろ労働力不足を招きうる」と述べ、一部の専門家やメディアの発言はAI脅威論に偏りすぎているのではないか、と語った。米Metaのマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)氏も、雇用はむしろ増えると語っている。とはいうものの、AmazonもMetaも人員削減自体は継続しているのだが。

 これらの経営者の言動に関し、専門家は冷めた目で見ている。米マサチューセッツ工科大学(MIT)の経済学者デビッド・オーター(David Autor)氏は2つの可能性を挙げる。労働市場が言われたほど急には崩れていないと気付いたか、あるいは、自社の目玉商品が経済を壊すと吹聴(ふいちょう)するのは商売として下手だと悟ったか、のどちらかだ、と。

 背景には、OpenAI(評価額約1兆ドル)やAnthropic(評価額約3800億ドル)が新規株式公開(IPO)を控える事情もある。雇用を蒸発させる機械より、人間を助ける道具のほうが、投資家にも規制当局にも売り込みやすいかもしれない。

ただ使わせるだけでは終わらない 「AIチャンピオン」の進化

 失業論が退いたあと、米企業が力を注いでいるのは社内の推進体制づくりだ。WSJの7月8日の報道によれば「AIチャンピオン」と呼ばれるAIに前向きな推進役の社員が、消極的な同僚を巻き込む取り組みが広がっている。

 米銀行大手のCitiは4000人を超える推進役を組織し、18万2000人の従業員のうち、社内公認AIツールの利用率を70%超まで引き上げた。

 この種の推進役制度そのものは、日本企業でもすでに珍しくない。その点で日米の差は大きくない。だが米国では今、この制度の意味が変わり始めている。

 チャンピオンの役割が、AIを使わせることから、人間の判断をAIに教え込むことへと移りつつあるのだ。なぜそうなるのかは、AIが賢くなる仕組みそのものに立ち入らなければ見えてこない。

ベテランの「手直し」が極上のデータに 人件費が「資本」へ変わる学習ループ

 米Microsoftのサティア・ナデラ(Satya Nadella)氏が6月に公表したエッセイは、企業が蓄えるべき資本を2つに分けた。社員の知識や判断力である「人間資本」と、自社で構築し所有するAI能力である「トークン資本」。そして本当の勝負は、この2つが複利で増幅し合う「学習ループ」を回せるかどうかにあると説いた。

 この抽象的な構想を具体的な仕組みに落とし込んだのが、英Google DeepMind出身の研究者が創業したAI新興、米Trajectory社である。同社は、専門家がAIの成果物に加えた修正を教師データに変え、モデルそのものに刻み込む仕組みを構築した。同社のクライアント企業の1社であるリーガルAIの米Harvey社では、弁護士の実務から作った基準で鍛えた小型モデルが、わずか24時間の追加訓練で最上位級の性能に達したという。

 Trajectoryのロナック・マルデ(Ronak Malde)氏は、チャット画面の「いいね」ボタンは教師データとしては十分ではないと言う。専門家がAIの出力に手を入れた修正そのものこそが、AIを訓練する上での極上のデータだ、と語っている。AIが仕事の8割をこなせても、その修正など残り2割の仕事は人間に残る。そこには、どの論点を見落としてはならないか、どの表現が危ういかという、長年の実務で培われた判断が凝縮されているというわけだ。

 AIが賢くなる速度は、質の高い判断を注げる人間をどれだけ抱えているかで決まる。人員を削れば短期のコストは下がるが、同時に学習ループに提供する学習データも失うことになる。人を生かす側への転換は、倫理の問題である以上に、AIの性能を左右する損得の問題なのだ。

 そう捉え直すと、前出のAIチャンピオンの姿も変わって見える。使わせる役としてのチャンピオンの価値は、利用率が上限に近づけば頭打ちになる。だが学習ループの時代のチャンピオンは、現場で誰がAIの出力をどう直しているかを最もよく知る立場にいる。散らばった修正データの在りかを押さえる、いわば判断の目利きとなる。制度の形は同じでも、担う役割が完全に入れ替わるわけだ。

 これを裏づけるような動きもある。4000人の推進役を擁するCitiは2026年2月、日本のSakana AIに戦略的投資を行った。Citiにとって日本企業への初めての出資であり、金融分野に特化したAIモデルを作ってきた実績と技術力を評価したものだという。

 Sakana AIが得意とするのは、既存のモデルを特定領域向けに鍛え直すポストトレーニングの技術である。現場の判断を拾う人のネットワークと、その判断をモデルに刻む技術。人間資本とトークン資本を複利で増幅し合う学習ループを構築しようとしているのではないだろうか。

 この構図は、雇用をめぐる議論の前提を書き換える。大量失業論は、AIが人の仕事を奪うという一方向の関係を思い描いていた。だが学習ループの中では、関係は双方向だ。人間の判断がAIを育て、育ったAIが人間をより高度な判断へ解放し、その判断がまた次の教師データになる。専門人材は、削るべきコストから、複利を生む資本へと位置付けが変わる。米国の論調が反転した底流には、この計算のやり直しがあるのだ。

クビを恐れてAIを妨害する米国 「解雇しづらい」日本型雇用の勝機

 日本にも、ベテランの判断をAIに取り込む試みは実施されている。しかしそのほとんどが、ベテランへのインタビューで暗黙知を聞き出し、それを形式知に変換するというものだ。ベテラン社員の退職前に1回だけインタビューするものもある。複数回インタビューする場合でも暗黙知の形式知への変換には、半年以上かかるものが多い。日々の業務中の修正が、そのまま自動でAIに学習され続けるTrajectoryの手法とは、スピードも仕組みも大きく異なる。

 日本の雇用慣行は、この学習ループと相性がよい可能性がある。米国では、AIに判断を教え込むことに従業員が身構える。自分を置き換えるかもしれない道具を、自らの手で賢くすることになりかねないからだ。

 米AIライティング企業Writerの2026年の調査では、従業員の29%、Z世代では44%が、自社のAI戦略をひそかに妨げたと認めている。レイオフが日常の国では、AIに修正を教えることが、自らの立場を危うくしかねないのだ。

 日本の終身雇用的な雇用慣行は、この警戒を和らげる。導入競争で日本を遅らせてきた雇用の固定性が、ループ競争では、社員が安心して判断を注げるという利点に変わりうる。

 ただし、人間資本を抱えているだけでは資産は生まれない。ベテランの修正が日々捨てられている現状を変え、それを拾って学習に回す仕組みがなければ、優位は宝の持ち腐れに終わる。人事評価に「AIへの教師データ提供」という項目を持つ日本企業は、まだ多くない。人を削らずにきた日本こそ、人を生かすAIの最大の受益者になりうるのかもしれない。

photo
人を削らずに来た日本こそ、人を生かすAIの最大の受益者になりうるのかもしれない

視聴無料・LIVE配信:
無料セミナー「ROI視点で考える本気のAI PC選定」開催!

photo

  • 開催日:8月28日(金)
  • 形式:オンラインセミナー
  • 参加費:無料

本記事は、エクサウィザーズが運営するAI新聞内の記事「人を削減するAIから、人を活用するAIへ、米企業が気付き始めた新潮流」(2026年7月9日掲載)を、ITmedia ビジネスオンライン編集部で一部編集の上、転載したものです。

著者プロフィール

湯川鶴章

AIスタートアップのエクサウィザーズ AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。17年12月から現職。主な著書に『人工知能、ロボット、人の心。』(15年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(07年)、『ネットは新聞を殺すのか』(03年)などがある。


© エクサウィザーズ AI新聞

ページトップに戻る