番外編 ポケベルが鳴りすぎて(前)緊急特集「さらばポケベル」(1/2 ページ)

ヘビーユーザーとしてポケベルとともに青春時代を過ごした懐かしい日々。ついにはポケベルビジネスに携わるようになった。ポケベルと深く関わっていたあの頃の思い出をつづる。

» 2007年03月29日 10時00分 公開
[樋口由美子,ITmedia]

 唐突だがポケベルについてはいろいろな思いがある。理由は幾つかあるが、1つめはポケベルがその次にブームとなったPHSが気軽に持てるようになるまで、とてもメジャーな連絡方法だったことだ。2つめは、使い方や機能が短期間に次々と進化していったので、常に話題に事欠かなかった。

 そして個人的な理由になるが、私自身がヘビーユーザーだったことも大きい。最後に、なぜか自分が運営サイドになったこともある。最初の2つの理由は読者もおぼろげに記憶されていると思う。今回は、ポケベルをユーザー目線から簡単に振り返ってみたい。

 ポケベルが仕事の道具から恋心を伝えるモノになったのは、いつからだったのだろう。とにかく、ポケベルの全盛期に間違いなく私は、自分の時計よりも、財布よりも、ポケベルを気にして一日を過ごしていた。そんなちょっと懐かしい日々だ。

 ポケベルを持つようになるまで、恋人との電話はすべて家族のお見通しだった。彼から家に電話してもらって、お母さんに電話をつないでもらっていた。一人暮らしをするようになると、外から家の留守電メッセージを聞くのがとても大切だった。これがポケベルを持ったことで劇的に変わっていった。

 私は、ポケベルを持った時期がとても早かった。最初に持ったポケベル端末は、NTTドコモから貸与されたもので、お父さんが持つようなグレーの四角いデザインだった。伝達できる文字は、もちろん数字のみだ。

 それでも自分の電話番号だけを送るのはダサくて、「0840(オハヨウ)」とか「14106(アイシテル)」「3341(サミシイ)」などの語呂合わせが流行っていたので、これと自分のあだ名を数字化したものを一緒に送っていた。今になって考えると、「1010?(今ヒマ?)」――なんてメッセージは、ホントに無理矢理だ。ほかにも、「新宿が1番、渋谷が2番」というような、友達だけが分かる番号もメッセージコードにしていた。

マンボウ 旧テレメッセージの通称「マンボウ」(YOZAN提供、編注:旧テレメッセージの事業を継承するYOZANは「マジックメール」という名称でサービスを継続しています) 

 テレメッセージの端末だった「マンボウ」(モーラ)も印象が深い。彼がブルーで私がピンク色の端末を持っていた。小さくて可愛いく、すごく流行っていた。電池の減りは早かったが、対応しているボタン電池がそこら中で売られていたので、あまり苦労はなかったし、予備の電池をいつもバッグに入れていたように思う。

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