特集
» 2007年10月11日 07時00分 公開

温故知新コラム:「Windows3.1をすべてのPCに」――ウィンテル連合の予兆は“3本の矢” (1/2)

世の中に登場して半世紀しか経たないコンピュータにも、歴史が動いた「瞬間」はいくつも挙げることができる。ここに紹介する「ビジュアル」もまさしくそのひとコマ――。

[大河原克行,ITmedia]

このコンテンツは、オンライン・ムック「運用管理の過去・現在・未来」のコンテンツです。関連する記事はこちらでご覧になれます。


後のウィンテル連合の動きを示す

 1993年5月、パソコンの世界をリードする米国企業3社の幹部が日本に集結した。

 マイクロソフトのビル・ゲイツ会長、コンパックのエッカード・ファイファー会長、インテルのデビッド・ハウス副社長(肩書きはすべて当時のもの。以下同)の3人である。これだけの米国IT企業トップが日本国内に集結するのは、それまでのパソコン業界の歴史を見ても例がなかった。

 コンパックが主催したこの会見では、3人が壇上に上がり、それぞれが1本ずつの「矢」を持って見せた。毛利元就が、3人の息子たちに与えた「3本の矢」をここで再現してみせたのだ。

(右から)マイクロソフトのビル・ゲイツ会長、コンパックのエッカード・ファイファー会長、インテルのデビッド・ハウス副社長(いずれも当時)。これだけのトップが顔を揃えるのは日本では異例の会見だった。3人がそれぞれに矢を持ち、毛利元就の「3本の矢」を実演してみせた

 これは、見事な演出だったといっていい。マイクロソフト、インテル、コンパックというパソコン業界を牛耳る企業のトップ3人がそれぞれに矢を持ち、1本の矢は細くて折れやすいが、3本になれば決して折れないという、その後のウィンテル連合の動きを示して見せたからだ。3社の蜜月ぶりを、日本で強力にアピールしたのである。

 この会見の直前となる5月18日、マイクロソフトは、日本でWindows 3.1を出荷したばかりだった。

 米国から1年遅れで出荷されたWindows 3.1は、全世界の60%のパソコンで利用されるという実績を獲得していただけに、マイクロソフト日本法人にとっても「成功」は必達の条件となっていた。

 ゲイツ会長も、それを示すように、「Windows 3.0では、日本では44万本の出荷に留まり、パソコン全体の20%で利用されたに過ぎなかった。決して幅広く利用されたわけではない。しかし、Windows 3.1によって、1年半後にはすべてのDOSパソコンでWindowsが利用されることになるだろう」と発言した。

 ゲイツ氏が、Windowsの本格普及を予測した理由は、「高性能パソコンが安価な価格で購入できるようになったこと」(ゲイツ会長)だ。

 この日、コンパックの会見にインテルの幹部が登場したのは、新世代CPUと位置付けられるペンティアムを搭載したパソコンをコンパックが発表したからだ。

 当時、Windows 3.1パソコンは、全世界で300万台が出荷されていたが、そのうち100万台がコンパック。低価格戦略を武器としていたコンパックが、ペンティアムとWindows 3.1との組み合わせによって、さらに事業を加速させようと目論んでいたのである。

 コンパックの日本法人が誕生したのは、この会見からさかのぼることわずか8カ月前の1992年9月。コンパックにとって、20社目の海外法人となる日本法人の社長には、日本IBM情報通信事業統括本部長だった村井勝氏を迎え、40人体制でスタート。社員のうち20人を占めるエンジニアは、米国本社で日本向け製品開発に携わるという形で動き出した。

 そして、その翌月には、最低価格12万8000円という、当時のパソコンの半額以下となる低価格パソコンを国内市場に投入し、「コンパック・ショック」として話題を呼んだ。

       1|2 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ