消えたPC-98、Mac互換機――「互換機ビジネス」の末路を追う今日から使えるITトリビア(1/2 ページ)

コンピュータ業界では、他社が開発したアーキテクチャの製品を製造・販売する互換機ビジネスが盛んだった。つい数カ月前までPC-98互換機が出荷されていたし、過去にはあのパイオニアがMac互換機を発売していたこともある。

» 2008年12月06日 15時56分 公開
[吉森ゆき,ITmedia]

メインフレームから始まった互換機ビジネス

 最近、あまり聞かなくなった言葉に「互換機」がある。コンピュータ業界は、互換機によって発展してきたといっても過言ではないほど、昔から互換機ビジネスが盛んだ。現在は、あらゆる仕様に業界標準が策定され、無駄な開発競争をなくし、ユーザーの投資を保護することが当たり前になっている。しかし、かつては業界の覇者を狙った独自色の強い開発競争が繰り広げられてきた。互換機の製造・販売は、そういう隙間から発生したビジネスだった。

 そもそも互換機ビジネスが生まれたのは、メインフレームからだった。1960年代にメインフレーム市場に参入したIBMは、初の汎用コンピュータ「System/360」のアーキテクチャの一部を公開した。これは、System/360向けの周辺機器メーカーを育てる意味があり、そのとおりIBMは1960年代後半以降、現在に至るまでメインフレーム市場の覇者となった。IBMと競合する独自のメインフレームを開発してきたベンダーは続々と撤退に追い込まれていったが、その中で生き残ってきたのが、IBM互換機のメインフレームを開発してきたベンダーだ。

 日本のコンピュータベンダーも、通産省(現・経産省)の主導によってグループに分けられ、IBM対抗機の開発に取り組んだが、現在でもメインフレームビジネスを続けているのは、IBM互換機路線に転じた日立や富士通などの数社だけになってしまった。

出発点が互換機だった今のPC

IBMのPC5150 IBMのPC5150。こちらでそのヒストリーを追える(リンク先は英語)

 メインフレームと同様、PCのビジネスもIBM互換機から始まった。IBMは、1981年に「IBM Personal Computer 5150」というインテルのプロセッサを採用した16ビットPCを発売した。その後、アーキテクチャを改善した「5160」「5170」というPCを投入するが、いずれも仕様を公開した。アーキテクチャをオープンにするというこの措置は、他社が周辺機器や互換ソフトウェアを製造できるようにすることを目的としたもので、メインフレームの施策を手本にしたものだった。

 そのIBM PCの互換機を製造・販売する企業として1982年に設立されたのが、コンパック(買収により、現・HP)だった。コンパック(Compaq)は、「Compatibility and Quality」の略であり、互換機ビジネスを展開するベンダーであることを社名で宣言していた。その後、IBM PC互換機の主流は、5170互換が主力となり、5170の正式名称「Personal Computer for Advanced Technologies 5170」の頭文字をとって「PC/AT」、さらにその互換機という意味で「PC/AT互換機」という言葉が生まれた。1980年代半ばから後半にかけては、PC/AT互換機の専業ベンダーが続々と創業したほか、ヒューレット・パッカード(HP)やディジタル・イクイップメント(DEC)といった当時の大手コンピュータベンダーも、PC/AT互換機を製造。すでに1980年代において、日本を除く全世界ではPC/AT互換機が標準になっていた。

 一方、日本では、コンピュータベンダー各社が独自のアーキテクチャに基づくPCを製造・販売していた。PC/AT互換機を製造する海外メーカーの日本進出を阻んできたのは、日本語という壁だった。言語の壁を打破したのが、1990年にIBMが発売したソフトウェア処理で日本語を表示する「DOS/V」だった。これ以降、日本ではPC/AT互換機よりも、「DOS/Vパソコン」という呼び方が定着し、雑誌の誌名にもなるなど定着した。

 PC/AT互換機は、インテルのプロセッサを採用して過去の互換性を維持しながら発展をし続け、現在はどのメーカーのPCでも同じOS、同じソフトウェアが動くようになった。ベースとなったアーキテクチャを作ったIBMはすでにPC事業から撤退するなど、すでにPCは業界標準仕様の下で一人歩きしている。

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