前述したように、日本には日本語という壁があり、PC/AT互換機の侵入を長年阻んできた。もちろん、中国や韓国など日本以外に多文字を扱う言語はあるが、それらの国におけるPC市場規模は、現地語の仕組みを開発するまでもないほど小さいものだった。また、米国と日本、それに欧州の一部を除けば、コンピュータを独自開発する能力を持ったベンダーはその当時、皆無。むしろ、安価な労働力によってPC/AT互換機の製造工場になっていった。
ところが日本には、独自アーキテクチャのコンピュータを開発できるベンダーがたくさんある。しかも、どのベンダーもコンピュータの黎明期から日本語表示機能の拡充に取り組んでいる。こういう特殊な市場に、PC/AT互換機ベンダーが簡単に参入できるわけがなかったのだ。
日本では、IBM PCに比べて勝るとも劣らない機能・性能を備えたPCが1980年代前半には出そろっていた。中でも、NECが開発した「PC-98」は、日本のPC市場シェアの過半数を獲得していた。そのため、ソフトウェア資産も群を抜いて多かった。そうしたPC-98の市場を狙い、互換機ビジネスも登場した。
エプソンが1987年に発売した「EPSON PC」は、PC-98互換機として広く普及した。一時期は、NECに次いで2位の市場シェアを獲得したこともある。ただし、NECはPC-98の使用を公開したわけではないので、著作権侵害などの争いが絶えることはなかった。シャープも「MZ」の一部の機種でPC-98互換機を発売したことがあったが、こうした争いに嫌気が差したのか、早々に撤退している。また、PC-98互換機路線をとってきたエプソンも、Windows 95によってPC-98互換機のメリットがなくなると、すぐさま撤退してしまった。NEC自身も1997年に「PC98-NX」を発売してからPC/AT互換機路線へと転じ、2003年にはPC-98の製造を中止している。
ただし、1990年代まで数多く採用されてきたPC-98の資産を今なお使い続けているユーザーは多く、その後もエルミック・ウェスコムの「iNHERITOR」(2008年9月に出荷中止)、ロムウィンの「98Base」といった互換機が製造・販売されている。
もう一つ、1994年から1997年までのわずか3年間という短い期間だけ製造されていた互換機がある。アップル「Macintosh」の互換機だ。
アップルは、PCとの市場争いに敗戦濃厚となった1994年、Mac OSを他社にライセンス供給して互換機ビジネスを進め、市場拡大を狙う方針に転換した。この施策を受け、米国のモトローラ、パワーコンピューティング、ラディウスなどの各社が相次いでMac互換機を発売。日本では、台湾UMAXの低価格互換機が話題になったほか、アキア(カシオ傘下を経て消滅)や、意外なことにパイオニアが、高品質なスピーカーをウリにMac互換機ビジネスを展開していた。
しかし1997年、アップルに創業者のスティーブ・ジョブズが復帰すると、突如として互換機ビジネスを中断。互換機最大手だったパワーコンピューティングも、アップルに買収されてしまい、終焉を迎えた。
その後、アップルはインテルのプロセッサへとプラットフォームを移行し、現在はMac OSを引き続き主力に置きつつも、Windowsも稼働するコンピュータとしてアピールしている。
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