「情報処理技術遺産」にみる温故知新Weekly Memo(2/3 ページ)

» 2009年03月09日 10時59分 公開
[松岡功ITmedia]

活気に溢れた国産コンピュータ開発の黎明期

 パラメトロン素子が国内で発明されたのは54年のことだ。パラメトロンは記憶、論理演算、増幅の3つの機能を持ち、コンピュータの素子として当時は極めて信頼性の高いものだった。同年、電気通信学会でこの素子が発表されると、電電公社(現・NTT)電気通信研究所やKDDが強い関心を示し、これに東大を加えた三者で共同研究が始まった。

 電電公社電気通信研究所は57年にパラメトロン・コンピュータの第1号機「MUSASINO-1」を開発、翌58年には記憶容量256語のものを完成させた。また民間では、日立製作所が57年に「HITAC-1」、NECが浮動小数点方式を採用した「NEAC1101」を完成させた。

 一方、トランジスタ・コンピュータの開発もパラメトロン式とほぼ同時に開始され、国内ではソニーが55年に商品化した。産業用でのトランジスタ応用は、電気試験所が56年に開発した「ETL-MarkIII」が最初のものだ。当時、トランジスタはまだ信頼性が低く、しかも高価なものだったが、電気試験所はその将来性を見越してあえて採用に踏み切った。

 こうして国産コンピュータメーカーは50年代後半から製品の開発とともに、その事業化に力を入れていった。素子についても真空管はすでに消え、パラメトロンとトランジスタもどちらが本命かが見え始めた頃だった。

 ただ、そうした機運が高まる中で、IBMやユニバック(現・ユニシス)などによる輸入製品の攻勢も一段と強まってきた。国内の企業ユーザーが事務処理用などにコンピュータを導入し始めたのもこの頃からだが、企業ユーザーの多くが選んだのは国産製品ではなく「IBM704」であり、ユニバックの「UFC」といった輸入製品だった。さらにIBMの戦略商品「IBM7070/1401」が市場に出回った段階では、国産メーカーは完全に後手に回ってしまった。

 それというのも、トランジスタの採用という点ではさほど差異はなかったものの、IBMをはじめとした外国機はパンチカードシステム(PCS)以来の経験をベースに豊富なソフトウェアを持ち、汎用機として必要な周辺・入出力機器を備えていたからである。

 中でもIBM1401の隆盛は国産メーカーに大きなインパクトを与え、その後の通産省(現・経産省)の国産コンピュータ育成政策にも大いに影響を及ぼした。この時点から国産勢の“IBM対抗の歴史”が本格化したのである。

 このIBM1401に対抗するため、国産メーカーは富士通を除いて相次いで海外メーカーと技術提携を結んでいった。61年に日立がRCAと、63年にはNECはハネウェル、東芝がセネラル・エレクトリック(GE)とそれぞれ提携し、技術供与や製品供給を受けてIBM1401対抗製品を投入した。

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