ITの上流工程部分には、多くのフレームワークが存在する。使い勝手のいいものもあるが、本来の目標はそれらを使いこなしながら、自分の型を作り出すことだ。
『守・破・離』とは、茶道や書道などの芸事や武芸などをたしなむ人に、「道」を究める手段を教えたものである。
ということになり、およそ「道」と名の付く修行は、この『離』を目指さなければいけない、ということである。この教えを誰が言い出したのかについては定かでない。世阿弥、千利休、江戸時代の茶人・川上不白など諸説ある。
どんなものでも、とまではいわないが、多くの仕事には「道」と呼ぶべき鍛錬の道があり、ITの世界にもそれは通じると思う。そしてIT道を究めるのも『守・破・離』と同じようなステップがある。
書道の世界では臨書という学習法がある。書家の北山直高氏によれば、「古典の造形・筆遣い・線質を何度も繰り返し真似ることにより、創作の架け橋となる、書における学習法」のことだそうだ。書聖といわれる王羲之や顔真卿など先人の書を手本にして、同じように書いていくのである。1日千枚の練習を欠かさないという書家もいるそうである。
書家の柿沼康二氏によれば、氏の師匠は「原本より上手くないと臨書とは言わない、古典は率意の書だから…」と教えたそうだから奥が深い。
IT道の上流工程、要件定義のさらに上流あたりの経営戦略やマーケティング分野には、書聖の書に相当するものとして、多数の理論やフレームワークが存在する。
経営学者のミンツバーグによれば、世の中でチョット知られた経営戦略の先生は世界で300名はいるそうである。有名どころを挙げれば、競争戦略のマイケル・ポーター、セグメンテーションや7P理論のフィリップ・コトラー、今が旬のバランスト・スコアカードのキャプランとノートンなど書いているだけで紙面が尽きる。
MBAなどのビジネススクールでは、こうした諸先生の理論やコンサルティング・ファームの繰り出す数々のフレームワークが紹介され、使い方を伝授される。
つまりこうした先人の考えを吸収、体得していく段階が『守』である。多くの人はここに留まってしまう。そして、ポーター先生曰くとか、コトラー先生曰くとか、理論やフレームワークに寄りかかり、マニュアルのごとく使って課題解決をしようとする。社会科学には自然科学の物理のように正解や真理は存在しない。
したがって、先人の教えをそのまま使っても、品質やレベルを気にしなければ、正解らしいものは出るのである。なお、IT道のうち下流方面は、いかにして道を踏み外さないかが要諦となる。
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