“ビッグデータ”が経営を変える

ニューヨーク市に学ぶ大規模データ活用の真髄(3/4 ページ)

» 2012年06月06日 08時00分 公開
[工藤卓哉,アクセンチュア]

データ分析によるダイナミックな政策実行

 ここで私が立ち上げにかかわったプライマリケア情報化プロジェクト(PCIP:Primary Care Information Project)を紹介しよう。PCIPとは、診断予約管理から、電子レセプト、検査結果の電子ファイル連携、電子処方箋、電子診療報酬請求コードまで、全てを1つのクラウドコンピューティングで、統一規格と統一コード体系として提供するプロジェクトだ。

プライマリケア情報戦略プロジェクトの概要(出典:アクセンチュア) プライマリケア情報戦略プロジェクトの概要(出典:アクセンチュア)

 2011年末時点で、参加開業医はニューヨーク市内だけで2500人程度、約470の診療所、34の地域中核病院と4つの総合病院が参加しており、約200万人が患者としてこのサービスを利用している。世界最大級の1つに挙げられる統合的な医療政策プロジェクトである。ここで特筆すべきは、これだけのスケールで展開しておきながら、データ活用がなければ、単なるシステム基盤の共通化、コスト削減施策で終わり、プロジェクト自体が公共医療政策にインパクトを持つことはそれほどないといわれている点である。データ活用が重要と言われる最大の所以である。

 このプロジェクトが真価を発揮し始めたのは、データ解析を初めて政策につなげ始めた時からである。中でも、ピンポイントでの質の高い診療提供を可能にする、2大疾病にフォーカスした医療意思決定システム(CDSS)が代表例だ。CDSSに直結する34の健康関連のKPIや健康促進教育プログラムが、各患者のプロファイル(属性)に応じて、統計情報を基に、その場で動的に提供される。これによって、リアルタイムに患者個別に必要な予防教育や追加診察がアラートで介入され、その診療結果が集約されると、さらにデータが蓄積され、多変量解析の予測モデルが高度化されていくという好循環をもたらす。

 例えば、筆者がローワーマンハッタンの掛かりつけ医に行くと、過去の既往症と、現状の病状の処方箋の相性を自動判定し(判別分析や、多元配置の分散分析による交互作用の検知結果が埋め込まれている)、最適な処方箋を返しながら、危険な飲み合わせを回避できるアラートを即時に出してくれる。

 またダッシュボートという形でBI(Business Intelligence)を通じてニューヨーク市全域の健康状況をモニタリングしたり、ヘルスケアの質に関する情報ネットワークと基盤連携し、伝染病、疫病の伝播状況をリアルタイムに地図上で確認したり、参加診療所や病院の医師たちのPCIP利用状況(稼働状況)なども参照することが可能となった。これによって、利用が芳しくない医師への改善指導ができたり、伝染病が急速に拡大している場合、診療所に対して中央省庁からアラートを促すこともできてしまう点は画期的であり、完成度の高さに感心せざるを得ない。

 筆者が統計ディレクターを務めていたこともあるニューヨーク市教育委員会は、市内でインフルエンザなどの伝染病が広がり、学校・学級閉鎖の措置を取る際、市長がこのリアルタイムシステムの情報を加味して省庁横断で連携して意思決定を下し、閉校措置を発表している。まさに大規模データを前提とした、ダイナミックな政策指導である。

 この大規模データ処理で画期的なのは、単にクラウド型で、並列分散処理させている基盤技術が整備されているだけでなく、実際にデータを用いた政策を設計し、患者に対して展開できていることだ。Pay for Prevention Program などはその代表例である。診療報酬スコアをいかにたくさんつけたかで医師を評価しても、結局それは病院側の不正請求につながったり、不要な診療を施したりしているだけで、患者が未然に防げたであろう疾病を必ずしも予防することにはつながらない。

 高齢化社会の中で、先進国が直面する社会保障費を削減していくためには、未然に疾病を防ぐことが重要で、これにより莫大な社会医療費が削減できると期待されているのだ。ニューヨークのように、診療に来た患者に対して、ダッシュボードやCDSS連携でアラートを受けた流行病やインフルエンザの免疫注射を事前に提供したり、予防的教育をほどこしたりすることは非常に重要なのである。

 例えば、血液検査機関との基盤連携で、ヘモグロビンA1Cの増加傾向が時系列分析の結果検知できれば、食事制限をかけるなどの予防措置を患者に提案することで未然に2型糖尿病抑止策を打てるはずである。事実、筆者のニューヨークの主治医もCDSSシステムを活用しており、診察時に「糖尿病疑いとして」統計的有意性アラートが出たとして、その場で食事制限及び血液の追加検査を促されたことがある。

 こうした事前の抑止策こそ、医師の予見的能力として、事後的な診断よりも評価すべきであるという画期的な考え方であり、既にニューヨークの医療現場では実践されている。こうした領域は推測統計といって、ビジネスの世界では予測モデルとして古くからイールドマネジメントにおける収益最適化などで活用されている。因果関係を読み解き、事前に方向性を導くというモデルである。

 大規模データ処理における解析にはもう1つある。それが現状のパターン認識など、いわゆる探究的データ解析と呼ばれる領域で、クラスタリングや修正成分分析、相関分析などがこのカテゴリに該当する。このモデルから因果関係を明らかにすることは期待されていないが、それ故に、モデルの堅牢性よりも、データ更新と判定の即時性が求められる傾向があり、活用シーンは異なる。例えば、豚ウイルスで有名になったH1N1については、患者への対応はさておき、手洗い実施励行などのマスメディア対策という意味では、いかに早く検知するかが重要であった。このシステムが早い段階でアウトブレイクの異常値をパターン検知できていたのである。

 映画にもよく登場する世界的な権威を持つ疫学センターCDC(全米疾病管理予防センター)とも基盤連携しており、リアルタイムで展開される大規模データ処理は、従来型のバッチ処理を前提としたデータ解析領域と比べると、ライフサイエンスなどの分野で大きな期待がなされているとともに、その重要性は増していくだろう。

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