ビッグデータは物語と仮説を求めている

ビッグデータは本当にこれからのビジネスに変化をもたらすのだろうか? 実は現状では有効に使われているとは言い難い。むしろ実際の有効活用はこれから始まる。やるべきことは何か。そのヒントを探った。

» 2014年03月03日 10時00分 公開
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 マーケティングツールとしてのビッグデータの活用が今注目されている。それは顧客に関する大量のデータを分析すれば、きっと新しい知見が得られるだろうという期待が高まっているためだ。ただ、その一方で課題も多い。あまりもデータが膨大であるがゆえに、どこから手をつけていいのかわからないからだ。だが、私たちは今、ビッグデータを前にして立ち止まることはできない。ビッグデータは確実に未来を変えていくエンジンになりつつあるのだから。では、どう私たちはビッグデータと向き合えばいいのだろうか。

 今回は編集工学の第一人者にして、文化、ビジネスに関するさまざまなプロジェクトにかかわり、“伝説のカリスマ編集者”といわれる松岡正剛氏に話を聞いた。

プロフィール

松岡正剛 編集工学研究所所長

1944年生まれ。早稲田大学文学部卒。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授などを経て、現職。イシス編集学校校長。日本流次世代リーダー育成塾の「ハイパーコーポレートユニバーシティ」などを主催。『フライジャイル』『空海の夢』『知の編集工学』『多読術』『松岡正剛の千夜千冊』など著書多数。


ビッグデータは近代史を乗り越える

――ビッグデータという言葉がITのテーマとして注目されていますが、私たちは今ビッグデータというものをどう捉えればいいのでしょうか。

松岡 ビッグデータというものは古代からあったと思うのです。データといったって、もともとは人の意識や脳、コミュニケーション、行動、生活ですからね。それが外部化されたビッグデータとして、エンサイクロペディアから文学、新聞、歌謡曲といったアナログ的な記録に変わり、それが今や全部デジタル化されて残されるようになった。

 そのとき、コモディティが間に入って、そのコモディティを媒介とした情報のデータ化に変わっていったわけです。

 ただし、そのコモディティを媒介にするということ自体は必ずしも新しいわけではなく、「市場調査」という言い方で、アナログ時代からコモディティを取り巻く、コンシューマー、カスタマー、メーカー、ロジスティクスなどのデータ化の基本はできていたわけです。

 では、ビッグデータも今まで通りやればいいではないかというと、それができなくなった。それはデータが膨大な量になっていることと、かつては市場流通するコモディティに関する情報の取り方が粗雑であったせいだろうと思います。

――ビッグデータと関連して統計学、データサイエンティストも注目されています。

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松岡 もともと19世紀の後半に統計学が出来上がって、“統計官僚”というべき役人たちがいたわけです。一言で言えば、ナポレオン時代以降に確率的統計学の基礎ができたと言えるのですが、それはありあらゆる国家の中の平均像というものを求めざるを得なくなったからですね。

 その平均像というのは、軍隊の平均な身長、体重、視力、行動力。次いで、失業者、疾病者といったものを選別する必要があったからであり、それらを調べ上げて、近代国家の納税対象者と徴兵制というものの基本をつくらなければいけなくなったせいです。

 それが20世紀の国家では、国勢調査によって国家というものをビッグデータ化したわけです。これに対応したのが、インターナショナル・ビジネス・マシーン社、つまり、IBMだったのです。国家というものは全部ビッグデータになる。では、我々が全部面倒を見ましょうということで、それがピークだったわけです。

 しかし、パーソナルコンピュータが出来上がって、1人ひとりが情報の出入りに関与するようになった。そのために昔の市場調査が、あるところで、そのままでは使えなくなってきた。

 その理由として、カスタマーやユーザーそのものがコモディティを買うだけでなく、データの入力者であって、データの送信者であるという極めてややこしい、複雑度を増していったからです。

 したがって、ビッグデータという市場・行動データを見ようとすると、これは一体、人の欲望なのか、購買動機なのか、あるいは、下高井戸と明大前で買うものが違うのはなぜなのか、ということを全部総合化しなければならなくなった。

 その意味で、現在のデータサイエンティストは、その膨大になったデータを何とかしなければならないということを考えている段階にあると思っています。

 私は、近代国家が抱えた確率統計型の国勢調査や、軍事にまで達したビッグデータと、今日のビッグデータ解析とが、どこが違うのかを解明しないと最終的なビッグデータの本質はわからないと思う。今はもうIBM型ではなく、ネット型であり、クライアントサーバー型であり、そこにはIDもかかわっている。だから、本気でビッグデータをやるんだったら、今までの近代史とは別のものに向かうというようなことをやらなければならないと思います。

ビッグデータを読むには物語と仮説が必要である

――国家ではなく、産業界がビッグデータにいち早く注目したのは、そこにデータが蓄積されたからなのでしょうか。

松岡 ただ、データの蓄積からだけでは、たいした内容は読めませんね。幾つかのストーリーを入れて、どうしたらいいのかということ考えなければならない。つまり、物語もなく、仮説もないようなビッグデータ分析はほとんどダメだということです。

 物語と仮説があれば、ビジネスチャンスになる。ただ、あるアメリカの、日本で一般消費財を大量に売っているメーカーの重役が、グローバルなデータ構造で分析したところ、日本はどうも結果が違うと言う。例えば、ベルリン、ニューヨーク、アトランタで当てはまるものが、日本では当てはまならない。

 なぜかと言えば、ロイヤリティが違うのです。例えば、日本ではお客さんが「キリンビールある?」と聞いて、「うちはキリンじゃなく、エビスなんですけど」と答えると、「いいや、エビスで」となる。

 ところがアメリカでは、「キリンがないならば、いらない。別の店にいく」というように商品に対するロイヤリティが高い。日本では、そのあたりのデータが非常に曖昧なので、それが膨大に重なると、日本的な市場の中の欲望動向というものをうまく切り出せなくなるんでしょうね。それで私のところに相談にきた。ビッグデータ分析が不得意なのは非構造データだけではなく、文化的な意味あいの分析でもあるのです。

――なぜ日本ではデータを活かせないのでしょうか。

松岡 それは情報というものを分かっていないからでしょうね。情報を完全に形式値としての数値化されたデータとして見てしまう。しかし、情報というものは、データであるとともにカプタなんです。キャプション(説明するための文字情報)をもつデータなんですね。

 つまり、情報は読みようによって変わる、もっと言えば、読みようと置き方によって変わる、データをどのロケーションに置いたかで読み方が変わっていく。

 でも、今の段階では、データサイエンティストたちは、そうした編集力まで追いついていないのでしょうね。なぜかと言うと、いわゆる今データと呼ばれているものは、情報の入ってくる入口の位置と、取り出していく位置が決まっているからです。

 一方で、編集というのは、そもそも入口から出口までのプロセスで、情報を解釈可能なものとして扱っていく。それが編集力ですから。例えば、舛添要一氏が都知事選に当選した結果を分析する際に得票数、各選挙区での男女比などはデータですが、舛添氏をどう見るか、ということはデータには入ってこない。

 だからこそ新聞や雑誌ではデータではないものも編集として加えているわけです。これは到底、今のビッグデータからは出てこない。ただ、それは入れようと思えば、入れられますよ。

複雑な物語に人は魅かれる

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――松岡さんのところには多くのビジネスマンが相談に来られていると思いますが、彼らの共通した悩みはありますか?

松岡 日本、アジアといった市場がビッグデータ上では同じように入ってしまうのに、リージョナルデータというのかな、そういったものの特質が見えにくくなっているという気がします。

 その際、アブダクティブ(ある現象を説明しやすくする仮説を立てるための推論法、演繹・帰納と並ぶ第三の推論)アプローチという特別な手法が必要です。いわば編集工学的な手法をうまく導入しなければうまくいかないと思っています。

 だからこそ、物語や仮説が必要になってくる。では、物語のどこが長所かと言えば、情報保存能力が高いところですね。例えば、ランダムな文字列か何かを見せられて、その情報をあとで自分が本当に認識しているのかを想定した場合に、そこに有意的な並びや物語性が加わっているのと、加わっていないのとではまったく違ってきます。つまり、情報にはナラティブ・サーキット(物語回路)をこっそり埋め込んでおくことが必要になってくる。

 これだけ消費財がたくさんあって、ありとあらゆるメッセージが同時に何百万ものユーザーに向かってくると、やっぱり物語回路を使ったほうがいいだろうと思います。

――何かを買う際にあまりにもモノが多くて、選べなくなっています。

松岡 でもね、エルメスや虎屋の19世紀や江戸時代から始まる物語性だって、結局は遡ると、「神話」「伝説」「英雄」や「信仰」「ご利益」というものにつながっていくのです。それはナイキやローソンだってあてはまる。

 今のマーケッターやビジネスシーンにいる人たちは、やはりそういうものまでもう一度回帰してみるといいんじゃないでしょうか。満足と不服、喜怒哀楽、噂とトレンドというものはギリシア劇や昔話にいっぱいつまっているのです。

 とくにポップス、ゲーム、芸能、TV番組といったものは、バロック時代や江戸時代と本質的に変わりません。ただ、どんどん薄まっていますけどね。

 あんまり薄まってくると、宮崎駿やジェームズ・キャメロンなど、ちょっと複雑な物語をやっているクリエイターが勝ってしまうでしょうね。でも、ビジネスの世界はそこまで行っていないと思います。

 もっと言えば、複雑系というものにも我々はまみれているのですが、現在の市場はその中にいるんだということを、もうちょっとビジネスでは覚悟して理解しないとダメだと思います。

アナログとデジタルの隙間に時代を変える技術が埋もれている

――複雑な時代を迎えて、ビジネスも複雑にならざるを得ないのでしょうか。

松岡 21世紀の世界と市場を解くカギは、複雑系をどのように解釈するかということでしょうね。そこにひそむ複数のオーダーパラメータをどうピックアップするかです。ただ、そう考える前に、ラジオやATMや自販機だって、もしかしたらビッグデータマシーンになっていたかもしれないということも振り返るといい。そうしたものが一杯あったのに、なぜスマホやタブレットだけなのか。それが、わからないのは皆が一度立ち止まってないからですね。まあ、立ち止りようがなかったんだと思いますが。

 例えば、自動車はコンピュータ化しているけれど、アナログ的なラジオを聞くしかない。こうしたデジタルとアナログの間、隙間に落ちている技術と、その技術が拾える情報がたくさんあると思うのです。

 その意味で、車椅子は将来、超高性能になる可能性が高いわけです。自動車メーカーにとって、クルマを売るというのも大事ですが、「あと50年後に車椅子で世界を制する。それは未来の新しいクルマなんだ」と考えたっていい。

 複雑系というのは、どこからでも情報が出入りするということです。今は天気予報を見て大雪かなと思うしかないわけだけれど、もしかしたら、冷暖房機からその情報が取れるかもしれない。冷暖房機というセマンティック(意味的)なものには人が向くわけです。セマンティックな欲望が動いたところには、それ以上のものがそこから出てくる可能性があるわけです。その点、スマホやタブレットのようにフラットで何もないものに全部ありますと言っているのは、いつか限界がくると思います。

 人が意味を感じて動くものには必ず意味の動きがあって、そこに仮説力があり、物語性があるんです。そこにもっと技術を導入しなければダメなんです。

 ですから、スマホ、タブレット以外のものが、本当はビッグデータに関係があるんだと言いたいですね。アナログだからとバカにしないことも大事です。そうしたものこそすぐにデジタル化できますからね。

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提供:株式会社日立製作所
アイティメディア営業企画/制作:東洋経済オンライン ブランドコンテンツチーム/掲載内容有効期限:2014年3月24日

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