東大卒、デュポン、メルカリ経由で梨農園に飛び込んだ 「畑に入らない農家の右腕」の正体【特集】Transborder 〜デジタル変革の旗手たち〜(2/4 ページ)

» 2019年03月14日 08時00分 公開
[池田憲弘ITmedia]

「これは出遅れた」 メルカリで感じた“組織の完成度”

photo 阿部梨園 マネージャー 佐川友彦さん

 佐川さんが入社した当時、メルカリはまだ10数人程度の規模だった。大手メーカーと出来たてほやほやのスタートアップ。仕事の進め方から社内制度まで、何から何まで違っていたという。

 「当時はまだ、六本木にあるシェアオフィスで1部屋の半分くらいを使っていた頃でした。デュポンも頑張っている企業だとは思っていたんですが、メルカリの方がはるかにレベルが高いという感覚がありましたね。

 やはり起業家同士が集まって作っている会社だったので、社内制度や組織の在り方、そしてエンジニアリングというものが、とてもよく練られていた印象です。創業のタイミングから、いつスケールしてもいいように設計しているというのは、僕にとって結構衝撃で『これは出遅れたな』と感じてしまいました」(佐川さん)

 カスタマーサポートを中心に、さまざまな業務を行っていた佐川さんだったが、つくば駅から六本木まで、2時間以上かけて通勤していたこともあり、夜遅くまで続く業務の負担がだんだんと大きくなってしまった。

 「当初はリハビリのつもりで始めたのですが、入社するタイミングを間違えた……というか、普通に考えて病み上がりには無謀でしたね(笑)。そのままメルカリに通いで働き続けるのは体力的に難しく、東京に引っ越さないなら別のことを探さなければいけないと思って、妻と話し合いました。私も妻も群馬の出身だったので、北関東の生活感が合っているのではないか、ということで話がまとまり仕事も決めずに栃木に行くことに決めました」(佐川さん)

 デュポンに勤めていたときに宇都宮に住んでいたこともあり、慣れた土地で知り合いも多い。栃木に移ってから、次の仕事が決まるまではしばらく「暇なときにしかできないことをしよう」と考え、Webデザインやプログラミング、簿記などを勉強したそうだ。学生時代にWebデザインのバイトやWebサイトの開発などを行っていた経験があったため、その知識を刷新したかったのだという。

 仕事については、一般的な求人は魅力的に映るものがなかったため、NPO法人の「とちぎユースサポーターズネットワーク」を通じて、栃木ならではの面白そうな案件を探した。地元の事業者と若者をインターンなどでマッチングさせる団体で、農学部卒業という経歴から、理事長を通じて紹介されたのが「阿部梨園」だった。

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