技術資産の持ち腐れはなぜ発生するか R&D部門のアナログ業務にメスを入れるAIスタートアップが登場

大ヒット製品のコア技術が実はその他市場での新しい商品開発に活用できていない、他チームが開発した技術と連携できておらずに市場ローンチに時間が掛かっているなど、笑えない機会損失はなぜ起こるのか。R&D部門のサイロ化を解消するAIサービスを提案する企業に話を聞いた。

» 2023年01月18日 10時30分 公開
[ITmedia]

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STANDARD 遠藤 亜里沙氏

 「業務のデジタル化」推進といったとき、ほとんどのソリューションはバックオフィス業務のペーパーワーク解消、アナログ作業のデジタル化、オンライン化を対象としたものだった。これらの施策も間違いなく企業の生産性向上に寄与するものだが、根本的な収益力の強化というよりは、効率化や低コスト化に主眼が置かれてきた。

 一方で、企業の収益力のもととなる製品開発や基礎研究を進める研究開発部門(R&D部門)の生産性はどうだろうか。R&D部門であれば実験データなどを多数持っており、そもそもデジタル化されたデータをきちんと活用しているだろうと考えられてきた。

 「もちろんR&D部門はそれぞれのチームでしっかりと実験データなどを持っている。だがそれが『事業推進において使えるデータ』になっているかどうかは別問題。R&D部門こそデータがサイロ化しており、知的財産が使われずに塩漬けにされている」と指摘するのが、STANDARDの遠藤 亜里沙氏(ビジネスデザイン事業部 シニアマネージャー)だ。

企業にはびこる「技術の持ち腐れ」

 事業のタネ(シーズ)があちこちに眠っているが「事業所や部門ごとにそれぞれが研究を進める状況。全体の活動を俯瞰(ふかん)して技術ポートフォリオを整理することも困難だ」と遠藤氏は指摘する。

 部門内でデータを持っていたとしても他部門から確認できる情報は業務報告資料のスライド数枚しかないといったケースもあるという。「研究者はそのスライドを作成する前工程で多数の有用な成果を打ち立てたはずだがそれらの情報が欠落してしまうことも多い」。この結果、「マーケターやセールス担当が市場ニーズの情報を持っていても、それを自社のシーズと突合させる方法が確立されていないため、気づかないうちに機会損失をしているケースが散見される」という。

 この問題を解消すべくSTANDARDが開発したのが「データドリブン型R&D戦略策定ソリューション」だ。

データドリブン型R&D戦略策定ソリューションにおけるAI Matchingシステムの概要(出典:STANDARD提供資料)

 STANDARDは企業向けにAI(人工知能)を使ったデータ活用ソリューションを展開するスタートアップだ。「ヒト起点のデジタル変革をSTANDARDにする」をミッションに掲げており、現在650社超の企業でデジタルトランスフォーメーション(DX)推進を支援する。

 スタッフはAIを専門とする技術者の他、各業界向けの経営コンサルティングの経験が長い人材も集まる。

 データドリブン型R&D戦略策定ソリューションは、研究活動の成果や特許、論文データベースなどから得られるシーズと、マーケティング部や営業活動のデータから得られるニーズ、SNSなどのデータに基づく市場ニーズ(ウォンツ)を独自にデータベース化する「STANDARD AI Matching DB」がサービスの核となる。

 研究成果のデータベース化などは専門ドメインへの深い理解が不可欠であり、部門が持つデータを分析できる形に整える工程が成果に大きく影響する。この部分を同社がにない、データベース化した後は、データ探索や資料精読などの工程をAIで効率化する。データベース化することで、労働集約的な資料探索が不要になり、人間が想定しなかった組み合わせや関連研究を発見しやすくなる。

 R&D戦略策定ソリューションは「私自身が企業コンサルティングを実施する中で課題と感じていた問題」と遠藤氏は語る。1社向けに展開するよりも標準化してソリューションとして提供できるのではないかとアイデアを持ちかけたところ、伊藤慎司氏(執行役員 プロダクト&サービス本部 本部長)が賛同し、プロジェクト化するに至った。

伊藤慎司氏

 「データベース構築は教師データやコーパス整備が重要。AI学習用のデータ整備にもノウハウが必要だ。STANDARDには製薬、化学メーカーなどのコンサルティング経験が長い人材が多く、また、技術レベルが高いエンジニアもいることから、彼らの知識を生かしたAIの活用方法を提案できる」(伊藤氏)

 伊藤氏自身も企業の「知財部門の苦労をよく見てきた」と話す。

 「技術職や知財部門は、既存研究との関係やリスク精査などの定型業務に忙殺されており、技術戦略、知財戦略といった戦略検討まで踏み込みきれていない」(伊藤氏)

 遠藤氏もコンサルタントとして企業の事業戦略立案を支援するに当たり、R&D部門が持つ情報整備の重要性を痛感したという。「類似の研究を複数の事業所で研究するといった情報の分断に起因するリソースの“無駄遣い”は、一定規模以上のメーカーであればよくある話だ。成果報告にあたっても情報の共有や蓄積がさほど意識されていない組織もあり、さまざまな実験の積み上げがあったはずの技術なのに、企業内に残された資料は簡易なスライドのみということも現実にある。これでは生産性向上は図れないが、かといって研究者が資料整理に時間を割くことはあってはならない」(伊藤氏)

技術棚卸しを効率化、想定外のタネを発見して技術開発戦略に生かす

 R&D部門においては、まず技術の棚卸しが必要であり、その技術を評価してポートフォリオを用意する必要がある。マーケティングや商品開発においては、顧客の直接の声だけでなく、各分野の論文データベースや各国の特許情報を含む、さまざまな情報源からニーズを分析する必要がある。人力でこれらの体制を組む組織もあるが、「意思決定の手前までの工程はAIに委ねた方が、効率良く運用できる」と遠藤氏は話す。

データドリブン型R&D戦略策定ソリューションにおいてAIが担う領域(出典:STANDARD提供資料)

 人間が思い付く仮説を超えた組み合わせの可能性も公平に示唆できる点もAIに任せるメリットだ。予想外の組み合わせの提示もあり得るが、R&D部門が想定していなかった応用方法を発見したり、販売部門が課題としていた点を解決する糸口を発見したりしやすくなる。

 データベース整備にあたっての技術棚おろしはかなりハードな作業になると予想されるが、同社コンサルタントが参加してデータ整備を実施する。シーズとニーズ、ウォンツの組み合わせからプロダクトポートフォリオマトリクスを作成するサービスも提供する。

プロダクトポートフォリオマトリクスの概要(出典:STANDARD提供資料)

 「フィルムメーカーとして蓄積したコアな知的財産を生かして他業界で大きな成功を収めた富士フイルムの事例は、知的財産の有効活用と技術開発戦略が経営戦略と結びついた理想的なケースだ。経営陣、事業戦略をになうビジネスパーソンが自社技術ポートフォリオを俯瞰して把握し、これとシーズとニーズ、ウォンツを突合させられればコア技術を生かした事業トランスフォームの作戦を、具体的に考えられるようになる。この情報整理の作業について、今までのように専門職の人材を多数投入して手作業で進めていては、生産性は向上しにくい。研究者がより研究に集中できる環境整備が重要だ」(伊藤氏)

 同社ソリューションは、シーズやニーズのマッチングにテキストマイニングの技術を利用している。テキストマイニングというと、過去に試したものの実用化が困難と判断したこともあるだろう。だが、「「3年で日本語の自然言語処理がどこまで進化したかを知ってほしい」ELYZA DIGEST開発企業に聞く」の記事で示した通り、この数年でAIを使った言語処理の技術革新が進み、実用化できるレベルでこなれてきた。業界ごとのコーパス整備や顧客企業独自の要望に合わせたチューニングを得意とする同社がこの技術を生かすにあたり、注力するのは、スケールさせる仕組みづくりだという。現在は個別対応も多いが、分野ごとの技術文書の形式のように共通化できる部分も見えているという。

 「将来的には汎用(はんよう)で提供できるメニューを整備してSaaS型で運用レスな形態で提供していきたい」と遠藤氏は今後の展望を語る。業界別のチューニングができればどのような分野向けにも対応できるが、現段階では創薬や素材といった化学分野での引き合いが多い。このため、まずは言語モデルとして生命科学向けの「SciBERT」、論文データの取得には「Core Dataset」に対応する。顧客ニーズに応じて対象データの拡充も検討する。

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