「システムのクラウドサービス化率95%」。その数字の裏でオリックス銀行が直面した「クラウドファースト」の壁とは何か。変化を続けるためにクラウドサービス活用の指針を見直した同行の取り組みを追う。
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1993年設立のオリックス銀行は、実店舗や自前のATM(現金自動預払機)網を持たない「無店舗型銀行」というビジネスモデルを貫いている。対面窓口やキャッシュカードさえ用意しない代わりに、インターネットを通じた金融商品の提供に特化する。同行にとってITは、単なる業務支援ツールではない。顧客価値を創出するための唯一無二の“主戦場”であり、競争力の源泉そのものだ。
執行役員として行内ITを統括する同行の清水直彦氏は、ITインフラの中核としてクラウドサービスを積極的に活用する中で直面した課題と、それを乗り越えるための戦略転換を主導してきた。同行における変革の取り組みは、クラウドサービスとの向き合い方に悩むIT担当者にとって、生きた教訓に満ちている。
本稿は、アイティメディアが主催したオンラインセミナー「ITmedia Enterprise IT Summit 2026 冬」(2026年2月16日〜19日)で、オリックス銀行の清水直彦氏(執行役員 システム第一部 システム第二部 IT統括部 デジタル戦略推進部 事務統括部 情報セキュリティ統括部 管掌)が「クラウドファースト戦略からクラウドネイティブファースト戦略について」というテーマで講演した内容を編集部で再構成したものです。
2017年、オリックス銀行はクラウドサービス活用推進プロジェクトを始動させた。当時、業界の潮目を変えたのが「三菱ショック」だ。同年に三菱UFJフィナンシャルグループがクラウドサービスの本格採用を打ち出したことで、それまで「クラウドサービスはリスクだ」と考えていた国内金融業界の空気が一変した。
オリックス銀行の経営陣からは「伝統的な銀行でもクラウドサービスの採用が始まっている。当社で利用できない理由はない」という力強い後押しがあったと、清水氏は明かす。同行はクラウドサービスを使うことをリスクと捉えるのではなく、むしろ使わないことがリスクになると判断したのだ。
クラウドサービスの選定に際して、同行が活用した独自ツールがある。それが「クラウド基盤事業者カルテ」だ(図1)。クラウド基盤事業者カルテは、各クラウドサービスが金融機関での利用に適した要件を満たしているかどうかについて、「可用性/信頼性」「性能/拡張性」「BCP/セキュリティ」「制約」「実績」の5軸で評価する。
同行はクラウド基盤事業者カルテを使って、Amazon Web Services(AWS)をはじめとする主要クラウドベンダー4社を、105項目に及ぶ評価基準で詳細に比較した。サポートOSの選択肢や国内における拠点数、実績などを評価し、同行は2018年11月にAWSの同名クラウドサービス群を選定。2019年6月に本番稼働させた。
クラウドサービスの利用検討を始めた2017年末から、AWSの選定までには約1年を要した。清水氏は、この期間について「クラウドサービスに関する社内の知見を、ほぼゼロの状態から組織的に習得するために必要だった」と振り返る。この時期に構築したネットワークやセキュリティ対策、監視、ジョブ管理といった要素が、後の本格的なクラウドサービス移行における土台となった。
2019年6月のAWS利用開始後、オリックス銀行におけるクラウドサービスの利用は急速に進んだ。既存システムの更新や新規構築のタイミングで「まずはクラウドサービスを活用できないか」と都度考えるようになった。これが「クラウドファースト戦略」の始まりだ。システムのクラウドサービス化率は、2023年度末に86%に達し、2025年度末には95%の達成を見込む(図2)。
清水氏は、これらの数字の裏にある真実を冷静に見つめていた。同行におけるクラウドサービス移行の実態は、オンプレミスインフラで稼働する既存システムをクラウドサービスに載せ替えただけの「リフト」が中心だったのだ。「“脱オンプレミス”には至ったものの、クラウドサービス本来のメリットを享受できていない」と同氏は危機感を抱いた。
2023年度、同行はこれまでのクラウドファースト戦略を転換して「クラウドネイティブファースト戦略」にかじを切った。クラウドネイティブファースト戦略では、クラウドサービスの利用そのものではなく、クラウドサービスのメリットを最大限に享受できることに焦点を置く。
クラウドネイティブファースト戦略を進める上で、オリックス銀行が見直したのは、ITインフラを含むシステムの運用だ。従来のクラウドファースト戦略において、同行ではシステムをクラウドサービスに移行させる際、運用体制については「今もできているから」という理由で基本的に維持し、ベンダーに委託する状態が続いた。その結果、社内における運用のノウハウ・体制が“空洞化”する課題が顕在化したという。
社内に経験値がたまらない状況に危機感を覚えた清水氏は、運用を自社に引き戻す必要性を痛感。まずは自社の運用体制の現状を把握するために、日立製作所のアセスメントサービス「Hitachi Application Reliability Centers」(HARC)を活用した。HARCは、システムの信頼性や可用性をソフトウェアエンジニアリングの手法で継続的に高める運用・開発手法「SRE」(Site Reliability Engineering)の考え方に基づき、運用の成熟度を可視化する。
アセスメントの結果、同行におけるSRE観点での運用成熟度は、レジリエンス(継続性・回復性)観点ではまずまずだったものの、オブザーバビリティー(可観測性)やインシデント管理を中心に総じて低い状況だった(図3)。清水氏は「こうした現状認識こそが変革のスタートラインだ」と確信し、同行におけるSREの本格的な実践を決断した。
同行がSREの実践において、まず取り組んだのがインシデント管理の高度化だ。従来は監視対象のシステムでアラートが発生すると、オペレーターが電話で担当者を呼び出すなど、人力に頼っていた。そこで同行が構築したのが、アラート自動通知の仕組みだ。エラーメッセージやメトリクス(システムの状態を示す数値データ)を監視ツールの「Datadog」に集約。対処が必要なものはインシデント管理ツール「PagerDuty」で、担当者にインシデントとして通知する。段階的に運用を見直し、初動のスピード向上を図る。
SREを支える重要な要素に「IaC」(Infrastructure as Code)がある。IaCは、サーバやネットワークなどのITインフラ構成をプログラムとして記述し、ソフトウェアとして管理・自動化する手法だ。オリックス銀行は、構成管理ツール「Ansible」によるIaCに取り組んでいる。
同行には、社内でプログラムを書ける人材がごく一部しかいないことから、外部の支援を受けながらIaCを推進しているという。ただし単なる外注ではなく伴走型の支援とし、社内メンバーが自ら手を動かす経験を重視している。
清水氏は、これまでプログラムを書いた経験のない運用メンバーに対しても「主体性」「学習する意欲」「変化を楽しむ」という3つの姿勢を求めているという。メンバーの成長を泥臭く促しながら、SREという新たな概念や自動化を「文化」として社内に根付かせようとしている。
オリックス銀行のITインフラは、単一のクラウドサービスに依存しない。業務システムの特性に合わせて、クラウドサービスを使い分けるマルチクラウド戦略を採用する。具体的には、対顧客・業務系システムをAWSで、OA・社内系システムを「Microsoft Azure」で、勘定系システムを富士通の「FUJITSU Hybrid IT Service FJcloud」で稼働させている。
マルチクラウドによる適材適所のクラウドサービス選択はレジリエンスを高める一方で、複雑性の増大という副作用をもたらす。同行において、この複雑性を制御する心臓部が、専門組織「CCoE」(Cloud Center of Excellence)だ(図4)。CCoEは以下の4つの役割を担い、組織横断的なガバナンスを効かせている。
クラウドサービス特有のコスト変動に対処するために、同行はクラウドサービスのコストを可視化・管理する運用手法である「FinOps」にも着手した。財務部門や事業部門だけではなく、IT部門もクラウドサービスのコストの最適化に責任を持ち、ビジネスの価値を最大化することを目指す。
オリックス銀行はクラウドネイティブファースト戦略を継続しつつ、AIの積極活用を見据えた「AIファースト戦略」の実践に着手した。その中核が「AI for BCDE with FG」という独自の構想だ(図5)。AI(A)を用いて、ビジネス(B:事業)やカスタマー(C:顧客)、デベロッパー(D:IT部門)、エンプロイー(E:従業員)の4方向に対して持続的に高い価値を提供し、それらをフレームワーク(F)とガバナンス(G)で下支えする。
AIファースト戦略に基づく全社横断的な取り組みとして、同行は2025年6月に「AI CoE」を発足させた。同年末には、全社員の約3分の1に相当する約350人が参加した社内イベント「AI NOW」を開催。現場部門のAI活用事例の共有やハンズオンによる体験を通じ、ボトムアップでAIに対する熱量を高めている。
「ビジネス視点を持たないIT部門は、AI時代には存在意義がなくなる」と清水氏は強調する。システムを作るだけではなく、それがビジネスにどう貢献するかを語れない組織は淘汰(とうた)されるとの考え方に基づく。AIを単なるツールとしてではなく、ビジネスの原動力として位置付ける姿勢に、同氏の覚悟がにじむ。
清水氏は、技術革新の荒波に立つIT担当者に向けて、3つの重要なマインドセットを提言する。
同行が進めるクラウドネイティブファースト戦略やその先のAIファースト戦略への転換は、単なるITインフラの刷新ではない。「IT部門がいかにビジネスに貢献できるか」を問い直し、AI時代における組織の存在意義を懸けた挑戦だ。
「そうはいっても悩みは多い」と清水氏が明かすように、IT部門は人材育成や新技術へのキャッチアップなど、やるべきことが山のようにある。同氏はメンバーに変化を楽しむ姿勢を求めながら、社外とも情報交換をして、より良い金融サービスの提供につながるITインフラを追い求める。
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