「AIを使えば全員同じになる」 羽生善治九段が語るAI時代の差別化と意思決定

AIによる最適解が戦略の均質化を招く中、羽生善治九段は、あえて評価の低い手を選ぶことにこそ差別化の核があると説く。数字に翻弄されず、一貫性を持って決断し、責任を負う。AI時代における人間ならではの意思決定と真の個性の在り方とは。

» 2026年04月23日 07時00分 公開
[末岡洋子ITmedia]

 AIが初めて人間に将棋で勝利をしてから既に十年以上がたつ。棋士たちのAI利用は珍しくなくなり、誰もがAIを使い、「最善手」を学ぶ時代となった。均質化が進む中で、どう個性を保ち、どう差別化するか。そしてどうAIと向き合い、意思決定の質を高めるか。

 日本ヒューレット・パッカードが2026年2月に開催したイベントで、羽生善治九段が特別講演に登壇した。羽生氏の発言は将棋界の話であると同時に、AI活用の最前線に立つビジネスパーソンへの問いかけでもある。ここでは、対談形式で羽生氏が語った言葉を紹介したい。

羽生善治氏

1970年生まれ、埼玉県出身。小学1年で将棋を始め、6年のとき小学生名人戦に優勝。82年、プロ棋士養成機関『奨励会』に入会。85年に、史上三人目の中学生棋士となる。19歳でタイトル戦(竜王戦)を獲得。25歳で当時の七大タイトルである竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖を将棋界史上初、完全制覇。47歳で七大タイトル全ての永世資格を達成し、将棋界初の永世七冠となる。2017年、国民栄誉賞を受賞。18年に紫綬褒章を受章。2023年6月から2025年6月まで日本将棋連盟会長を務める。


AIを使いこなすほど、みんな同じになる

 IBMの「ディープブルー」が1997年に当時のチェス世界チャンピオンに勝利したように、AI開発の目標の一つはチェスや将棋、囲碁といった先を読むゲームで人間を負かすことだった。

 将棋界では今、十代から六十代まで、AIを使っていない棋士はほぼいない。「将棋はとても伝統的な世界で江戸時代から変わっていない部分もある一方で、技術面ではテクノロジーの世界と同じで次々と新しいものが出てきています」と羽生氏は話す。

 中でも「AIは一番大きな変化だと思っています」と続ける。羽生氏自身、対局の振り返り、発想の幅を広げること、そして評価が分かれる局面でのセカンドオピニオンとして日常的に活用しているという。

 「今まで漠然としすぎて分析できなかった部分が、AIによって研究できるようになった」と羽生氏は話す。「掘削技術が進んで、これまで取れなかったところを掘れるようになった感覚があります」と学習や研究に役立てていることを明かした。

 「一局を(AIで)振り返って調べると、1回は必ず何かしら驚かされます。そんな手があったのか、と。それを自分なりに取り込んで次に生かしていく。発想や考え方の幅を広げることを繰り返している感じです」

 ところが、そこに1つの問題が生まれる。

 「同じことをやっているとみんな同じ将棋になってしまう」と羽生氏。AIが高く評価する手は全部同じになる。違うことをやるということは、実はAIの評価が低い手を指すことになる。

 つまり、差別化やオリジナリティーを出すということは、AI評価においてマイナスの手を意図的に選ぶことを意味する。AIの評価が低いことをどこまで許容するか。羽生氏は「マイナス500点だとちょっと受け入れられないけど、マイナス200点ぐらいならいいかな」と話す。その線引きに個性が生まれるのかもしれない。

 このような”せめぎ合い”はビジネスにおいても無縁ではない。同じAIツールを使い、同じデータで分析し、同じ「最適解」を導き出す。均質化が進む中で、どこに個性と差別化の余地を残すか。将棋界が直面しているこの問いは、AI活用が本格化した企業にも同様に突きつけられている。羽生氏はこう続ける。

 「自分が指したい将棋というものもある。攻撃的な将棋を指したいといった自分のスタイルを、いくらAIの評価が低くても、それはそれで貫いて指していくことも大事だと思います」

 AIの最善手に従い続けることと自分のスタイルを貫くこと。そのバランスをどう取るかが、AI時代における個人の、そして組織の差別化の核心にある。

「AIは楽観的すぎる」 評価値に翻弄されない覚悟

 「将棋においては、とっくに人間の知能を超えている」と羽生氏が言うAIの評価値を使いこなす上で、同氏が強調したのが「あまり過大評価しない」ということだ。

 「AIの評価値は人間の目から見ると楽観的すぎるのです。AIが90%有利と出していても、人間の感覚では五分みたいなものがいくらでもある。(AIには)不安とか恐怖心が全くないので」と羽生氏。「正しい手をずっと指し続ければ90%だけれど、1個でも間違ったらゼロになるという局面もいっぱいある」と続けた。

 さらに、評価値は一定ではないという特性もある。1分考えさせるとプラス10点、5分ではプラス50点、10分ではマイナス100点に変わることもある。羽生氏はこれを株式市場に例える。

 「株式市場の動きと同じで、全体として上り基調なのか、下がり基調なのかを見極めることをとても気を付けています。AIも時間がたつと評価がよく変わる。そこに一気に集中すると翻弄される。自分自身が覚悟を持って対峙していくことが大事だと思います」

 AI活用において「数字を信じすぎない」という姿勢は、ビジネスの現場でも同様に問われる。ダッシュボードの指標、予測モデルの出力。それらをうのみにせず、全体のトレンドと文脈の中で読む力が、AIを使いこなす上での基本姿勢と言えそうだ。

 羽生氏はまた、AIとの付き合い方について「並列的な思考を身につけること」が大切ではないかと語った。

 「一手先を直線的に読む思考はできても、五手ずつ分岐を読み続けていくのはすごくしんどい作業。そういうことができるようになっていく必要があると思います」

 分かりやすい結論が出やすい局面は人間でも分かる。「そうじゃない複雑な、先が見通しづらいような場面や局面を考えることが、これから先はすごく大切になると思います」と同氏は考える。

30分の議論がAIに3秒で否定される それでも人間が議論する理由

 AIは圧倒的なスピードで分析してくれるが、AIのみによる研究の限界もあると羽生氏は考える。

 「3人で30分議論して出た結論がAIに3秒で否定される、そんなことも多く、結構がっかりすることもあります。ただ、議論した内容はそれなりに意味のあることかなとは思っています」

 議論の価値はどこにあるのか。ヒントになるのが、羽生氏が別の文脈で語った「枝刈り」の概念だ。AIは評価値が低い手を全て切り捨てる。しかし人間的かつ独創的な発想は、その枝刈りされた領域の中にこそあるかもしれない。だとすれば、人間同士の議論もまた、AIが切り捨てた領域に踏み込む行為として意味を持つ。

 「人間はこれまで積み上げてきた美意識や美学、こだわりの中から手を選んでいるので、見にくい手、生理的に受け付けない手、違和感のある手を選ばない傾向がある。もしかするとそこに本当の宝の山があるかもしれない」と羽生氏。「全然考え方が違う人が集まって議論したり研究したりすることで、AIの研究では得られないものがやはりあります」。

 AIが最適解を高速で示せる時代だからこそ、人間同士の議論の価値は変質する。「正解を見つける場」から、「AIが切り捨てた領域に踏み込む場」へ。会議やコラボレーションの意味を問い直す視点だ。

 「見切り」と「一貫性」。AIが増やす情報と、それでも決断する技術。意思決定に悩むビジネスパーソンへの示唆を求めると、羽生氏はまず時系列の一貫性を挙げた。

 「その瞬間その瞬間で評判の高いことをやっていくのは選択肢として悪くないですが、10回、20回の選択の連続で見ると、一貫性がなく何を考えているのか分からないということになりかねない。過去から現在に至るまでを総括して、どういう方針や選択ができていたかを振り返り、それを基に次に何をやるかを考えていく。首尾一貫していることも一つの基準になります」

 答えが出ない局面への向き合い方についてはこう語った。

 「答えが分からない局面だと分かること自体が大きな収穫なんです。無駄な時間を使わなくていいので。袋小路にはまらないように、見切りをつけて決断していくことも大事だと思います」

 情報とデータは膨大に増えた。しかし、それは同時に「迷う要素」の増加でもある。羽生氏は次のように指摘する。

 「資料やデータをもらえばもらうほど悩む。最終的にどちらにするかという決断は、今まで以上に難しくなっていく」

 そこで生きるのが、人間ならではの逆算思考だという。

 「なんとなくこういう結末になるんじゃないかというところから逆算していくアプローチがある。映画を見ていてこの展開はこう終わりそうと感じるように、全体を俯瞰(ふかん)して客観的に見てみる。完全に読み切れなくてもいい。これは多分、人間ならではの感じ方だと思います」

責任を負い、腑に落ちるよう説明する AI時代に残る人間の役割

 羽生氏はキャリアを振り返りながらこう語った。「棋士になって40年。その40年間の知識が全然役に立たないという、ちょっと物悲しいところはあります」。しかし、続けてこうも言う。「AIにとって人間の歴史は関係なく、百年前の将棋でも評価が高ければ選ぶ。昔勉強した形が突然リバイバルで復活して役に立つこともある。そんな時はうれしいですね」。

 AIエージェントが自律的に連携して判断を下す時代を目前にして、人間の役割はどこに残るのか。羽生氏は次のように考えを語った。

 「それが正しいとか意味があると説明するのは人間だと思います。AIはいくらでも説明文を出してくれると思いますが、腑に落ちるようにかみ砕いて伝える、プロセスを分かるように示す、それは人間の役割だと思います。そして責任を負うということも、どんなにAIが進んでも変わらないことだと思います」

 AI活用の方向性については「AIを活用するというと、面倒なことを代わりにやってもらうケースが多い。人間の才能や能力、ポテンシャルを伸ばすという使い方はあまりされていない。教育や才能を伸ばす方向にも活用していけたら、すごく可能性があるんじゃないかと思っています」と語る。

 効率化ツールとしてのAIから、人材・組織の可能性を引き出すツールへ。この発想の転換は、IT部門やDX推進担当者が今後取り組むべき課題の一つなのかもしれない。

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