H&Mの店舗分析やRay-Banのスマートグラスに見る「自律型エンタープライズ」への先行事例「SAP Sapphire Madrid in 2026」現地レポート

AIが自律的に業務をこなす未来に向けて、企業は今どう動いているのか。SAP Sapphireで発表された次世代ビジョンを解説し、店舗分析を行うH&M、スマートグラスを活用するレイバンなど、先行3社による最新のAI導入事例を紹介する。

» 2026年06月04日 07時00分 公開
[末岡洋子ITmedia]

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 SAPが2026年5月19〜21日(現地時間)にマドリードで開催した「SAP Sapphire Madrid in 2026」では、AIが自律的に業務を動かす「自律型エンタープライズ」のビジョンが提示された。

 本稿では、このビジョンの実現に向けて、既に具体的なAI活用を進めているグローバル企業3社(H&M、Essilor Luxottica、Fonterra)の最前線の取り組みを紹介する。

「80%では足りない」 自律型エンタープライズが目指す精度とガバナンス

SAPのクリスティアン・クラインCEO(筆者撮影、以下同)

 基調講演に登壇したクリスティアン・クライン(Christian Klein)CEOは、自律型エンタープライズの下で「SAPはソフトウェア企業からビジネスAI企業へと進化する」と宣言した。

 自律型エンタープライズは、新たに発表された「SAP Business AI Platform」を基盤とし、その上で展開する「SAP Autonomous Suite」によって構成される。基盤は、モデルへのアクセスを提供する「AI Foundation」、開発と拡張を担う「SAP Business Technology Platform(BTP)」、データ層の「SAP Business Data Cloud」(以下、Business Data Cloud)の3つで構成される。その上に載るSuiteには、財務(Finance)、支出管理(Spend)、サプライチェーン(Supply Chain)、人事(HCM)、顧客体験(CX)の5つのコア業務ドメインや、業種別の「Industry AI」などが含まれる。

 これら基盤とアプリケーション群の2層の間に、ナレッジグラフである「SAP Knowledge Graph」を介在させることで、AIに対してビジネスの文脈(コンテキスト)を提供する。合わせて、現場の暗黙知を構造化してAIエージェントに学習させる知識管理レイヤー「Company Memory」も用意。そして、これら全ての仕組みを統合するインタフェースとして、生成AIアシスタント「Joule」が存在する。

 全エージェントはSOX準拠、ISO認証の開発プロセスに基づいて構築されており、「Verified Agent」(検証済みエージェント)のみが実行環境で動作する設計となっている。エージェントが自律的に動くからこそ、人間がコントロールを失わないための仕組みが不可欠だというのがSAPの立場だ。

H&M:リアルタイムの店舗インテリジェンスとAIコンシェルジュで小売を刷新

 基調講演では、アパレル大手のH&M Hennes & Mauritz(H&M)でグローバルCTOを務めるヤン・ジスカセン(Jan Ziskasen)氏が登壇し、SAPとの共同開発の成果を披露した。同社は世界81市場に4100店舗以上を展開するファッション大手だ。

 H&Mはストア運営にAIを導入するため、「RISE with SAP」を利用して、Business Data Cloud、「SAP Commerce Cloud」「SAP SuccessFactors」を組み合わせたデジタル基盤を整備し、その上にAIを段階的に積み上げている。ジスカセン氏は「テクノロジーをH&Mの真の成長エンジンにするため、まず強固なデジタル基盤を構築することに注力してきた」と説明する。

右からH&Mのヤン・ジスカセンCTOのとSAPのセバスチャン・スタインハウザー(Sebastian Steinhaeuser)COO

 その成果として披露したのが「Store Intelligence Agent」だ。店舗の販売フロアにおけるパフォーマンスをリアルタイムに追跡し、店長に対して「次に取るべきアクション」を提案する。単一のエージェントではなく、複数のエージェントがバリューチェーン全体にわたって連携する「マルチエージェントシステム」として設計されている。

Store Intelligence Agentがフロアのパフォーマンスをリアルタイムに表示

 デモでは、マドリードで大規模なスタジアムイベントが開催される1週間前というシナリオを設定。エージェントは市場のシグナルとローカルの需要データをスキャンし、どの商品を何点、どこに配置すべきかを自動的に推奨する。「店舗が常にフレッシュで、顧客が求めるものに完璧に対応した状態を維持できる」とジスカセン氏は語る。

エージェントがローカルイベントに合わせてアイテムの配置変更を提案した
H&Mの店舗スタッフがアプリで「この顧客はSapphireで基調講演をするが、どんなアイテムがよいか」と尋ねると、おすすめを提案した

 さらに、顧客向けのソリューションとして開発中なのが「Store Concierge Agent」だ。H&Mアプリの店内モードに統合され、オンラインと実店舗の顧客体験を連続したジャーニーとして統合する。例えば、オンラインとオフラインの顧客体験を統合し、リアルタイムの在庫情報と個人のスタイルに基づいたコーディネート提案などが可能になる。文脈に応じたアドバイスをAIが提供し、「全てのインタラクションを、関連性があり、役立つものに変える」ことを目指している。

EssilorLuxottica:Ray-BanのAIグラスがJouleとつながった

 グローバルに事業展開するアイウェアグループであるEssilorLuxottica(以下、Luxottica)は、Ray-Ban、Oakleyなどのブランドを擁し、世界に60の製造拠点と119の流通センターを運営する。同社のダヴィド・シモーネ・スキネッティ(David Simone Schinetti)COOがカスタマーキーノートに登壇し、SAPとの共同開発ユースケースを発表した。

 ユースケースの中心は、同社のRay-Ban AIスマートグラス「Ray-Ban Meta Glasses」へのJoule統合だ。同グラスにはオンボードカメラとスピーカー、マイクが内蔵されており、着用者がJouleに話しかけることで、SAPのバックエンドシステムにリアルタイムでアクセスできる。

 デモのシナリオはこうだ。来店した顧客が「昨年買ったPersolのサングラスを息子のためにもう一度注文したい」と伝える。Ray-Ban Meta Glassesを装着した店舗スタッフが、同グラスが内蔵するカメラを使って顧客のQRコードを読み取り、「注文履歴を確認して」とグラスに向かって声をかける。するとグラスのスピーカーからJouleの声が返ってきた。「2024年7月にサングラスを2本ご購入。1本は店舗受け取り、もう1本はミラノへ配送済みです」。スタッフが「同じ商品をミラノに送って」と続けると、再注文と配送先の登録まで瞬時に完了した。

 さらにJouleは、顧客の注文履歴からランニングへの関心を検知し、新しいOakley Meta Vanguardのサングラスを提案。店舗スタッフがグラスを使って商品を撮影すると、Jouleは「Oakley Meta Vanguard Prism Sapphire White」と商品を特定し、店内在庫の棚番号まで案内した。最終的に商品の発注と配送先の登録まで、全て音声とグラスのカメラだけで完了した。

SAPのマノス・ラプトプロス氏(左)がRay-Ban Meta Glassesを装着し、ダヴィド・シモーネ・スキネッティ氏(右)が顧客という想定でデモを進めた

 シームレスに見えるこのデモの裏側では、「音声認識AIとJouleの連携、SAPバックエンドへのリアルタイム接続、店舗在庫・購買データの統合という複数の技術レイヤーが同時に動いている」とSAPのマノス・ラプトプロス(Manos Raptopoulos)氏(カスタマーサクセス担当グローバルプレジデント)は説明する。さらには、このユースケースはLuxotticaとSAPのチームによってわずか2週間で共同開発したことも明かされた。

Ray-Ban Meta GlassesとJouleの連携デモのアーキテクチャ。SAPのインストアエージェントを組み合わせて実現している

 今後は店舗での日常利用に向けてさらなる精度向上を進めるとともに、LuxotticaのサプライチェーンにおけるSAP活用も深化させていく予定だという。

Fonterra:ECCからの移行を実現、AIの価値享受も同時に実現

 ニュージーランドの乳業協同組合であるFonterraは、世界100カ国以上に乳製品を輸出し、フリート(輸送車両)の年間走行距離8600万キロ(月と地球の往復110回分)に達する。同社のトビー・クランウェル(Toby Cranwell)CIOが語ったのは、RISE with SAPを使った移行とAI活用を並行して進める戦略だ。

右からFonterraのトビー・クランウェル氏とSAPのトーマス・フィスター氏

 Fonterraは現在、長年の基幹システムであった「SAP ECC」からRISE with SAPを通じて「SAP S/4HANA」への移行を進めている。工場ごとに順次ロールアウトするアプローチを採用し、クリーンコア原則――つまりカスタマイズを最小限に抑え、拡張機能はBTPに載せる方法を一貫して守っている。

 現時点で米国の2拠点が稼働済みで、新旧システムの並行運用という難しい局面にある。「CEOも取締役会も強くこの原則を支持している。これが私たちに柔軟性を与え、過去の複雑さへのバックスライド(後戻り)を防いでいる」とクランウェル氏は語る。

 特徴は、「移行が完了するまでAIの活用を待つ必要はない」(クランウェル氏)という姿勢だ。Fonterraは既に3つのAIのユースケースを本番稼働させている。請求書の照合、消込の自動化(Cash Application)、設備メンテナンス発注の推奨、そして輸送管理の会話型プランニングだ。

 これらのユースケースを特定するに当たり、同社はSAPのForward Deployed Engineeringアプローチを採用した。製品とサービス、インダストリーの各チーム、Fonterraのビジネス部門が一堂に会し、ホワイトボードを使って業務プロセスを可視化、整理しながら課題を掘り下げていくというものだ。「アイデアが足りなかったわけではない。どこに本当の価値があるかを見極め、今すぐデプロイできるものを正直に見つける作業が必要だった」とクランウェル氏は振り返る。

 例えばCash Applicationでは、SAPの製品チームがFonterraの財務部門と請求書マッチングの課題を深く掘り下げた。「問題の本質を語れば、適切なAIの機会を見つけることがずっと簡単になる」とSAPのトーマス・フィスター(Thomas Pfiester)氏(カスタマーエンゲージメント&アダプション担当トップ)は語る。

 このような経験を通じた学びの一つとして、クランウェル氏が強調したのが変革管理の重要性だ。

 「テクノロジーは課題ではない。BTPにカスタム開発を一部加えながら、標準SAPでニュージーランド最大の組織を運営できることは証明した。課題は、新しい働き方を日常業務に定着させることだ」。その手段としてSAPのデジタル・アダプション・プラットフォーム(DAP)である「WalkMe」を活用し、ユーザーが新しいAIツールを自然に使いこなせる環境を整備している。

 3社に共通するのは、テクノロジーありきではなくビジネス課題から始めるアプローチだ。基盤を整え、価値の出るユースケースを見極め、現場に定着させる。それが自律型エンタープライズにつながる。

 「SAPが描く自律型エンタープライズビジョンは、遠い未来の話ではない。既に動き始めている」とラプトプロス氏やフィスター氏ら幹部は強調した。

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