メルカリの「CTOによるCHRO兼務」が話題となっています。AI時代を見据えた組織再編として注目されていますが、安易な模倣は危険を伴います。本稿はCTOとCHROの歴史、事業構造の違いから、その本質とリスクを整理します。
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DX推進、生成AI技術の進化が加速する今、企業のIT部門は戦略的な役割への変化が求められ、キャリアの転換点に立たされています。この現状を変え、真に企業価値を高める部門となるには新たな戦略が必要です。
本連載では、博士としてインターネット技術を研究し、情シス部長、SRE、エンジニアマネジャーとしてIT組織の最前線を知る久松剛氏が、ニュースの裏事情や真の意図を分析します。一見関係ないニュースもIT部門目線の切り口で深掘りし、IT部門の地位向上とキャリア形成に直結する具体策を提示します。
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メルカリは2026年6月1日付で、執行役員CTO Japan Businessの木村俊也氏を最高人事責任者(CHRO)兼最高AI責任者(CAIO)に就任させると発表しました。AI戦略と人事戦略の責任者を一体化し、「人と組織の運営基盤」をAI前提で再設計するとのことです。
CTOがCHROを兼ねるというこの人事は、AIネイティブ時代の組織モデルとして注目を集めています。しかし、この体制をそのまま自社に適用してよいのでしょうか。本稿では、CTOとCHROが歩んできた役割の歴史や、企業ごとの事業構造の違いを踏まえ、この人事が示唆するものと、安易な模倣がもたらすリスクを構造的に整理します。
メルカリのプレスリリースによれば、木村氏はCTO Japan Businessとして「AI Task Force」(全社的なAI活用、事業変革を推進するチーム)を率いてきた人物です。2026年6月1日からはCHROとCAIO、CTO Japan Businessを兼務し、同年7月1日に後任のCTOが就任する予定とされています。同社は「HR for an AI-Native Company」を新たなビジョンに掲げ、働き方や意思決定、承認プロセス、組織構造、リソース配分をAI前提で再設計すると説明しています。
前任のCHROである宮川愛氏は、デルやシスコシステムズで人事を担当してきた人事プロパーで、カルチャー変革やエンゲージメント、リーダーシップ施策を推進してきました。シスコ時代には「働きがいのある会社ランキング」大規模部門1位の獲得実績も持っています。今回の交代は単なる人事ローテーションではなく、CHROのバックグラウンドそのものが「人事プロパー」から「技術リーダー」へと180度切り替わったことを意味します。
AI戦略と人事戦略を同じ責任者の下に統合する動きは、メルカリ単独の特殊解ではありません。同じ2026年6月1日付でSansanもCHROがCAXO(最高AIトランスフォーメーション責任者)を兼務する再編を発表しており、AIと組織戦略の統合という点で並行する動きと言えます。
CTOというポジションが日本のIT業界で一般化したのは2012年前後のこと。当時、CTOを置くことは「経営層がエンジニアを理解している」というシグナルになり、採用市場で強い訴求力を発揮しました。プロダクト企業が拡大期に入ると、ソースコードの生産量を増やすためエンジニア採用の重要性が一段と高まります。
ところが組織が大きくなるにつれ、CTOには技術的方向性の決定だけでなく、数十人〜数百人のエンジニアに対するピープルマネジメントが重くのしかかってきました。両者を一人で背負うのは現実的ではありません。このギャップを埋めるため、2010年代後半以降はVPoE(VP of Engineering)やエンジニアリングマネジャー(EM)といった役割が広がります。CTOは技術と事業戦略に集中し、VPoEとEMがピープルマネジメントを担うという分業モデルです。
もっとも、2026年4月に開催されたEM向けイベントであるEMミートアップで約40人のEMに聞き取りをした際、純粋なピープルマネジメントのみを担当しているEMは5人にとどまりました。残りはPjM(プロジェクトマネジャー)やIC(技術スペシャリスト)と兼務しています。「分けたはずの役割」が実態としては再び溶け合っている、というのが現場の景色です。AI台頭に伴い、採用を中心としたピープルマネジメント業務の比重が下がり、ものづくりの側面が重視されているものと捉えています。
CHROというポジションがなぜ必要なのかを構造から考えると、その答えは事業の根幹がどこにあるかに行き着きます。
ヒトが事業運営の中核を占める企業――例えばクライアントワーク主体のSIerやSES(システムエンジニアリングサービス)、人月精算が前提のtoB IT企業、コンサルティングファーム、営業組織の比重が大きい事業――では、採用や労務、評価、研修といったいわゆる人事機能が事業のスループットを直接決めます。人事のスループットが落ちれば案件のデリバリーが詰まり、売り上げが止まります。こうした構造の企業では人事プロパー出身のCHROが必要であり、その存在価値は揺るぎません。
一方、toC向けプロダクトを軸とする事業では、究極的な省人化が技術的に可能になりつつあります。AIエージェントが業務プロセスの大半を担い、それを設計、管理する少数のエンジニアと、その結果に対する責任者としてのCTOが組織の主役となります。この構造下では、人事戦略はAI戦略と切り離せません。誰を雇うかではなく、どのAIに何を任せ、人を何に振り向けるかという問いに変わるためです。
メルカリはtoC事業を中核に持ち、AI利用率は全社員で100%、エンジニア1人当たりの開発量は前年比1.9倍に到達したと開示しています。この数字を額面通り受け取れば、同社が「AI戦略と人事戦略の統合」という解にたどり着いた背景は理解しやすいと言えるでしょう。
一方で、この人事を純粋な組織最適化として見ると、別の側面も浮かび上がります。2026年現在、AIネイティブを標ぼうする企業の時価総額は明確にプレミアムが付く局面にあります。「CTOがCHROを兼務する」という体制は、AIネイティブ経営の本気度を象徴的に示す、最もインパクトのあるシグナルだと言えます。
経営チームの肩書は、IR資料や決算説明会、メディア露出を通じて投資家と求職者の双方に向けて発信されます。「CHRO兼CAIO」という肩書は、組織を変革する意思を可視化する装置として機能します。実際、メルカリは新体制と同時にAIネイティブ人材の採用強化と「Mercari AI Career Fes 2026」の開催を発表しており、採用ブランディングと連動した動きであることが見て取れます。
組織再編が事業価値の再評価につながる以上、こうしたシグナリング自体は経営判断として合理的です。重要なのは、それを実装と切り離して評価できる目を持つことです。
ここまでを踏まえると、最も注意すべきは「メルカリがやったから」という理由で同じ体制をコピーすることです。toB事業を主軸とする企業がCHROを廃して技術リーダーに集約すれば、採用や労務、評価という事業のスループットを支える機能が空洞化します。AIエージェントは契約交渉や評価面談の最終判断を代替できる段階に達していませんし、コンプライアンス、労務トラブルの責任は人が負わなければなりません。
人事プロパーのCHROを置くべき企業と、CTOにCHROを兼ねさせ得る企業の違いは、繰り返しになりますが「事業の根幹がヒトにあるのか、システムにあるのか」という一点に尽きます。自社の収益構造を直視せずに肩書だけを模倣すると、人事機能が機能不全に陥り、エンジニア組織にもしわ寄せが及びます。
もう一つ見落とされやすいのが、社内のキャリアパスへの影響です。CHROが技術畑から出るようになると、人事プロパーの上位ポストが消えるか、性質が変わります。人事機能を維持しつつ技術リーダーをCHROに据える場合、人事部門のNo.2に当たる役割をどう設計し、どんなキャリアラダーを示すか――この再設計を怠ると、人事部門の優秀層から離脱が始まる可能性があります。
情シス、エンジニアリングマネジャー、CIO配下の戦略担当が今回の人事から読み取るべき示唆は、大きく3つに整理できます。
第1に、AIの社内浸透が進めば進むほど「組織運営基盤そのもの」が技術側の管掌領域に移っていく可能性が高いということです。承認フローや評価制度、リソース配分といったテーマは、これまで人事と経営企画の領域でしたが、AIエージェントが意思決定の前段を担うようになると、設計の主導権はシステム側に寄ります。IT部門は人事、経営企画との越境を意識した動き方が求められます。
第2に、「CTOにCHROを兼務させる」という解はあくまで事業構造への適合解であって、汎用(はんよう)解ではないということです。自社が「ヒト中心の事業」か「システム中心の事業」かを見極めずに導入を提案すれば、IT部門が組織混乱の発端になりかねません。
第3に、CTOの後任問題です。木村氏が7月1日にCTOを後任に渡すように、トップポジションを兼務する体制は必ず「兼務解消後」の設計を伴います。日本企業の場合、後継者育成が制度化されていないケースも多く、兼務人事はCTO育成のロードマップとセットで議論される必要があります。
メルカリのCTO兼CHRO兼CAIOという人事は、AIネイティブ時代における組織設計の先進事例として注目に値します。同時に、それを「全ての企業に当てはまる正解」と読むことには慎重であるべきです。
「自社の事業の根幹はヒトにあるのか、システムにあるのか」「省人化の余地はどこまで現実的なのか」「兼務解消後のCTO、CHROそれぞれの設計はどう描くのか」――これらに答えられないままに肩書だけを模倣すれば、組織は確実にきしみます。話題性のある人事ほど、構造から落ち着いて読み解く価値があると言えるでしょう。
エンジニアリングマネージメントの社長兼「流しのEM」。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学で大学教員を目指した後、ワーキングプアを経て、ネットマーケティングで情シス部長を担当し上場を経験。その後レバレジーズで開発部長やレバテックの技術顧問を担当後、LIGでフィリピン・ベトナム開発拠点EMやPjM、エンジニア採用・組織改善コンサルなどを行う。
2022年にエンジニアリングマネージメントを設立し、スタートアップやベンチャー、老舗製造業でITエンジニア採用や研修、評価給与制度作成、ブランディングといった組織改善コンサルの他、セミナーなども開催する。
Twitter : @makaibito
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