明日ゾンビに襲われて死ぬとして、残された時間に皆さんは何をしますか? 好きな人への告白か、あるいは親友や家族との再会、中にはヒーローになるなんてある意味とぼけた夢を実現したくなる人もいるかもしれませんね。
『ゾン100〜ゾンビになるまでにしたい100のこと〜』はそんな私たちが本来持っていたけれども日々の忙しさの中で忘れてしまった、自分の夢や本質を思い出させてくれる傑作アニメです。
本作はブラック企業に勤める主人公・天道輝(てんどうあきら)が、ある日突然発生したゾンビ・パンデミックにより、仕事の義務から解放され、自分のやりたい100のことを実現していく一見すると現実味の無い物語。しかし、『ゾン100』には死ぬことを忘れてしまった現代人の魂を解放する、パワフルなメッセージが込められているのです。
今回はそんな最高のアニメ『ゾン100』についてネタバレを抑えつつレビューします。
フリーライターとして、家電、家具、アニメ等の記事を担当。大学時代から小説や脚本などの創作活動にはまり、脚本では『第33回シナリオS1グランプリ』にて奨励賞を受賞、小説では『自殺が存在しない国』(幻冬舎)を出版。なんでも書ける物書きの万事屋みたいなものを目指して活動中。最近はボクシングをやりはじめ、体重が8kg近く落ちて少し動きやすくなってきました。好きなのものは、アニメ、映画、小説、ボクシング、人間観察。好きな数字は「0」。Twitter:@kirimachannel
大学を卒業したら就職すべき、いい年齢なのだから結婚すべきなど……この社会で生きていると、いろいろな”べき論”を耳にすることがあるかと思います。『ゾン100』の個性豊かなキャラクターたちも、さまざまなべき論(もしくは常識)に苦しめられていました。
主人公のアキラは、大学を卒業したら何となく働くものだと考えて、とりあえず映像制作会社に就職するものの、残業&パワハラざんまいの地獄の日々を送ることになります。目の下にクマを浮かべながらそれこそゾンビのような顔で、みんな大変なんだから体調不良でもがんばらないとと言い聞かせて働き、徐々に正常な判断ができなくなってしまいます。
アキラの親友である通称・ケンチョも大手不動産会社の営業マンとして活躍する反面、客を騙してでも成績を上げるべき、夢は諦めて就職すべきという価値観に実は違和感を持っていました。ヒロインのシズカも好きなことより、合理性や効率性を重視すべきという価値観に支配されていました。
就職すべき、残業すべき、夢は諦めるべき、合理的に行動すべきと、3人ともべき論の檻に囚われていたのです。人生の中でいつの間にか刷り込まれてしまった前提事項に、むやみに従っていたとも言えるでしょう。
しかし、ゾンビ・パンデミックによってあらゆる前提が覆され、あらゆることがリセットされた時、彼らは囚われから解放されて自分が本来自由な存在だったことに気づきます。そして、自分が本来何をやりたい人間だったのかを見直すことになるのです。
べき論や前提事項に縛られているのは、現実に生きる私たちも同じです。”何歳になったら何をして”という人生設計が前提事項のように・スゴロクのように社会の側であらかじめ設定されており、しかも私たちはそれを『ゾン100』のキャラと同じように絶対のものとしてほとんど無自覚に従っています。
人生スゴロクのマスを進むたびに、成長したねと褒めてもらえるのでそれがある種の快感になり、前提事項(スゴロク)を疑えなくなるという構造もあります。しかし、それは本当に自分がやりたいことなのでしょうか?
バブル経済の崩壊やリーマンショック、各地で起こる災害、パンデミック、AIの台頭など予期せぬ事象によって、絶対だと思っていた前提事項が覆ってしまうことは多々あります。どんな常識もべき論も前提事項も絶対のものではないので、一度自分が囚われている概念を疑ってみて、べき論より自分のやりたいことを優先してみることが大切なのかもしれません。
前提の崩壊によって本来の自分に目覚めた彼らのように、私たちも自分に貼り付いている”〜すべき”という前提事項を一枚ずつはがしていき、内側で眠っていた自分の本質を再発見することで、人生がもっと自由で豊かなものになることもきっとあるはずです。
『ゾン100』のような「この支配からの卒業」的な話を作る人なら、ほぼ間違いなく好きであろう『ファイト・クラブ』という有名な映画があります。
『ファイト・クラブ』は、会社勤めの主人公が死んだ魚のような目で毎日デスクワークを行う中、飛行機内で偶然隣り合わせたタイラーと名乗る男(ブラッド・ピット)と仲良くなり、タイラーとの殴り合いをきっかけに素手で喧嘩する組織”ファイト・クラブ”を設立し、自分の野性を解放していく物語です。
会社勤めで病んでいる状態から、何かのきっかけで本来の自分を取り戻すという話の流れが『ゾン100』と共通していることが分かると思います。しかも、親友となるタイラーは主人公とは違い筋骨隆々でモテ男という設定であり、『ゾン100』のモテないアキラとマッチョでモテ男の親友ケンチョとの関係性にそっくりです。
このことから『ゾン100』は『ファイト・クラブ』の影響下にある作品であると推測されます。ゆえに『ファイト・クラブ』を下敷きにして考えてみると、『ゾン100』のテーマもおのずと見えてくるところがあるのです。
『ファイト・クラブ』の主人公・ジャックは仕事で稼いだお金で流行の家具を購入するなどして日々の虚しさを埋めようとしますが、親友のタイラーに”お前はものを買わされているだけだ”と説教されてしまいます。仕事で稼いだお金で欲しいような欲しくないような商品を買って、また仕事をして何かを買っての繰り返しにより、ジャックはただ生産と消費を反復するだけの資本主義の奴隷にされていたのです。
『ゾン100』のアキラも当たり前のように就職し、当たり前のように残業し、当たり前のように稼いだお金でカップラーメンを買い、翌日また出勤する毎日……。システムの中でハムスターのようにグルグル回されるだけの日々を送るうちに、本来の自分が置いてけぼりにされ心がどんどん疲弊していきます。彼もまた資本主義を回すための部品にされていたのです。事実『ゾン100』の中では人のことを”部品”と表現する場面が度々出てきます。
そして、ジャックはファイト・クラブという無法者集団の中で、アキラはゾンビ・パンデミック以降の無秩序な世界で同じように資本主義のループから脱出し、システムによって封じ込められていた無邪気な心や野生を解放させていきます。
いずれの作品も誰もが当然と考えている資本主義などのシステムによって、人間本来の野性や自由な心が抑制され、魂が抜かれた状態を表現していることが分かるでしょう。そして、たまにはそのシステムの外側で自由に楽しんでみてもいいのではないかというメッセージが、両作から同様に読み取れるのです。
私たちはどうしても安心・安全・安定の3つの”安”を守るべく、システムを維持する側に身を置きがちです。しかし、システムの中で同じことをただ機械的に繰り返しているだけでは、我々は機械でも部品でもなく人間なので当然ながら精神が持ちません。
だからこそ、かつてはみんなで騒いでシステムから自由になれる非日常体験としてのお祭りを大切にしていたわけですし、無礼講の時間が不可欠だったわけです。今はお祭りもずいぶん少なくなってしまいましたが……。
そういう意味では、男たちが殴り合うファイト・クラブやゾンビ・パンデミック後の世界はまさに無礼講の場(お祭りの場)であり、魂を解放していつもの社会的な自分とは違う本来の自分で居られる場であるとも言えるでしょう。
『ゾン100』のような作品がヒットする背景を考えると、人々は自分が思っている以上に今の社会に窮屈さを感じているのかもしれません。空気の圧力やシステムによってがんじがらめになり、SNSによる24時間相互監視状態にさらされ、偽りの自分を演じ続ける社会人としての時間が限りなく拡張される中で、野性を解放できるような非社会人になれる無礼講の場・時間がなくなっているのかもしれません。ゆえに、魂の解放を求めて無礼講全開の『ゾン100』を見たいという衝動に駆られるのだと推測されます。
システムによる規制(あるいは空気による自主規制)が厳しくなり、無礼講が禁じられる中、自分が自分で居られる野性を解放できるような場を、今私たちは意識的に確保する必要があるのかもしれません。
アキラは”ゾンビになるまでにしたい100のこと”をノートにリストアップして、実際に行動へ移し1つずつ潰していきます。昼間からビールを飲むといった庶民的なものから、CAさんと合コンするなど割としょうもないもの、スーパーヒーローになるという非現実的なものまで、やりたいことの内容はさまざまです。
アキラが素晴らしいのは、”スーパーヒーローになる”のようにどんなに無理そうな夢でも持ち前のポジティブ思考と行動力で実現してしまうところです。
いかにしてスーパーヒーローになったかは実際にアニメを見て確認してもらいたいところですが、自分なりに試行錯誤しながらヒーローになってしまうのだから驚きです。ここから、彼は夢と現実をそれほど区別していないということが分かると思います。
普通、子供のころは夢と現実が地続きだったとしても、大人になって働き始めると、いつの間にか夢は夢、現実は現実と区別するようになります。夢はアニメやマンガ、映画、小説、ゲームなどのコンテンツにお任せして、現実と切り離すようになるのが一般的でしょう。それが大人の対応だし利口でもあるが、少しつまらないような気もします。
実際に自分が憧れた夢について本気で実現方法を考えたことがあるのなら話は別ですが、それほど真剣に考えたこともないのに諦めているケースは少なくないでしょう。特に最近は経済不況も重なっていかにコスパ・タイパ良く出世するかしか考えなくなっている風潮もあり、夢や理想など実現可能性の低いものに時間を使うのはリスクだと考えられがちです。
あるいは、公務員や事務職を志望する人が年々増えており、安定を何より重視するという傾向が強まっているという現実もあります。しかし、本当にそういった効率の良い現実的なものだけに取り組んでいて、人生の充実感が得られるのでしょうか。
アキラのように実現可能性は低いがやってみたいこと、リスクはあるが挑戦しがいがあることを実現するのに真剣に頭を使って取り組んでみたら、正攻法では得られない・安定の中では得られないような深い感動が味わえるかもしれません。アキラは夢と現実とを区別しないがゆえに危険にさらされる機会も多いですが、その分彼の人生はエネルギーと感動に満ちており、彼の姿を見ていると挑戦しないのがもったいないように思えてきます。
ゾンビだらけのアキラたちの世界よりも幾分マシな世界に私たちは生きているはずなので、現実と夢を区別してリスクヘッジばかりしていないで、たまには現実の外側の夢や理想の実現に向けて行動してみるのもいいのではないでしょうか。失敗するにしても成功するにしても、それが自分の本当にやりたいことならば、アキラのように今に対して充実感を感じるようになるはずです。
私たちは生まれてから今まで、親に指示され、先生に指示され、上司に指示され、世間の空気に指示され……あらゆるところで指示されるのが当たり前という中で育てられた結果、私も含め自分で夢や理想を描くことができない指示待ち人間にされてしまったところがあります。アキラもかつてはそうでした。
しかし、ゾンビの出現によって自分に指示する他者が消えたことで、彼はリストを作って自分で自分に指示を出すようになり、ようやく夢や理想に向けた自分のための人生を歩むことになります。
もしかしたら、私たちはゾンビが現れるくらいのことが起きないと変われないほど、強固な受け身体質を身に着けてしまったのかもしれません。しかし、『ゾン100』の冒頭にさりげなく出てくる言葉”メメントモリ(死を意識せよ)”が表すように、私たちは必ず死にます。どうせ死ぬのなら、アキラのように冒険心と行動力を発揮して、やりたいことをやってから死んだ方がいいのではないでしょうか。
『ゾン100』を見てビビッと琴線に触れるものがあったのなら、皆さんもノートを買って”死ぬまでにしたい100のこと”と題してやりたいことをぜひ書き出してみてください。少し大げさかもしれませんが、人生の見方が変わるかもしれませんよ。
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