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» 2007年05月10日 08時00分 UPDATE

短期集中連載・保田隆明の“村上裁判傍聴記”:第2回・嘘つき村上が嘘をついた理由

「もの言う株主」――村上世彰氏の裁判がヤマ場を迎えている。記者会見ではインサイダー取引の罪を認めた村上氏が、裁判では一転して無罪を主張した意図とは……?

[保田隆明,Business Media 誠]

 保田隆明氏による村上裁判傍聴記第2弾。ニッポン放送株を巡って村上世彰氏と、楽天・フジテレビ・ライブドアとのやり取り。さらにインサイダー取引はあったのか、なかったのか――第1回に引き続き、村上氏と検察側との攻防に迫る。

 →第1回・村上ファンドが行ったのは、本当にインサイダー取引だったのか?

 →第2回・嘘つき村上が嘘をついた理由

 →最終回・踊らされた堀江、黒幕だった村上

楽天とのやり取り

 楽天とのやり取りは2003年秋に始まる。まずは、「楽天がニッポン放送のホワイトナイト※になるの?という問い合わせが来ているがどういうこと?」と三木谷浩史氏が村上世彰氏に連絡をしてきたのが始まりだったという。

※ホワイトナイト……敵対的買収を受けた際、買収対象となっている企業の株を友好的に買い取る第3者または第3者企業。

 次に2004年1月、村上氏がフジテレビ会長の日枝久氏と会った際、日枝氏が「三木谷さんいいね」と発言。その流れで、4月に村上氏が楽天を訪問しニッポン放送株式の買取を打診。5月、村上氏はニッポン放送への社外取締役導入に関する株主提案に関して再度日枝氏を訪問するが、その際も楽天への印象は引き続き悪くなかったとのことで、村上氏は日枝氏との会合後三木谷氏に連絡を取り「可能性はあるようだ」と伝えた。また、かつてニッポン放送の筆頭株主だった鹿内家の鹿内宏明氏も三木谷氏と会ったことはなかったものの、周りの評判をもとにポジティブに興味を持っていたとのこと。

 2004年7月2日、村上氏は楽天を訪問し、2つの提案を行う。1つはフジテレビが了承する形での友好的なニッポン放送株式の大量取得。もう1つは、対外的に楽天とは分からない形で、数パーセントのニッポン放送株式を取得(村上ファンドの委任状争奪戦への味方を増やすためだと思われる)。三木谷氏は前者に関しては面白いと反応したものの、後者に関しては即答でNOと表明。

 2004年7月26日、先日の楽天とのミーティングを受けて、村上氏が日枝氏と会合。楽天にニッポン放送株の20〜30%を保有してもらうのはどうかと打診。日枝氏は考えさせて欲しいと回答。

 2004年8月某日、日枝氏と三木谷氏の会談。

 2004年8月下旬、フジテレビの了承が出ないということで、三木谷氏がニッポン放送株式の買い取り断念を村上氏に伝える。

 2004年9月6日、村上氏は先のニッポン放送株主総会で社外取締役に選出された3人と会談するも、資本のねじれの解消に対しての意見では村上氏と3人は必ずしも意見の一致を見なかった。

 自らの保有するニッポン放送株式を取得してくれる事業会社も、社外取締役に期待することも消えたことで、村上ファンドにとって残る選択肢は、フジテレビによるニッポン放送子会社化、もしくは委任状争奪戦ということとなった。2005年6月のニッポン放送株主総会の議決権は2005年3月末時点での株主に与えられるものなので、村上ファンドに残された期間は、2004年9月から2005年3月までの実質半年強という期間であり、株式取得の意思決定にはある程度の時間がかかることを想定すれば決して長い期間ではなかった。

日枝氏とのやり取り

 今まであまりメディアでは報じられなかった部分だが、裁判では村上氏はフジテレビ日枝氏と頻繁にやり取りを行っていたことが明らかにされた。ニッポン放送とフジテレビの資本のねじれを解消したいと思いながらも、様々な社内事情でなかなか手を打つことが出来ない日枝氏に対して、村上氏は自らがその資本のねじれを解消する行動を取ることにより、日枝氏から感謝されると思っていたと裁判では供述した。

 また、2004年6月のニッポン放送株主総会で村上氏を含む社外取締役3人の選出を提案する株主提案を行う前にも、村上氏は日枝氏の意見を仰いでいる。その際、日枝氏は社外取締役の導入に関しては反対はしなかったとのことだ。

 ただ、最終的に、検察の日枝氏の調書では村上氏に「裏切られた」と書かれており、村上氏への恨みが見られる。それに対し、彼は村上ファンドが保有していたニッポン放送株式を、フジテレビのTOBに応じるべきだったと裁判で述べた。

フジテレビの動き

 2004年9月10日、フジテレビはニッポン放送株式の一部取得を行った。これを見た村上氏は、フジテレビがニッポン放送の子会社化に向けて本格的に動き出したと判断し、村上ファンドの負けはなくなったので更に株式を買い増すよう社内で号令をかけたと裁判で供述した。

 同時に、万が一の場合にも備えて、同ファンドは今まで以上に委任状争奪戦に向けた対応に力を入れることにしたとも供述している。その取り組みの1つは自らのファンドの買い付け可能制限金額内での更なる株式の買い付けであったが、ライブドアを味方に引き入れることにも本腰を入れることとなる。

ライブドアとのやり取り

 2004年9月15日、村上ファンドとライブドアの会合が開かれた。この時村上ファンドが持っていった資料「N社について」というタイトルのものは、以前、楽天に持って行ったものをリメイクしたものだったが、内容を少し変えてあった。楽天には楽天1社で株式の大量取得を想定したもの、ライブドアにはライブドア他数社で買うこと(=ライブドアは村上ファンドの援軍の1社という位置づけ)を想定したものとなっており、つまり、ライブドアには楽天同様の1社買い取りを期待してはいなかったと裁判で村上氏は主張した。

 しかし、最終的には村上氏は作戦を変更する。堀江氏がテレビ局に興味を持っていたので、援軍要請などというスケールの小さな話ではなく、ニッポン放送の過半数を握ればフジテレビの株式も22.5%手に入ることを強調し、夢を見させて少しでもニッポン放送株式を購入する気持ちを喚起しようとしたのだ。そこで、その楽天とライブドアとの位置付けが明らかに異なるページはミーティングでは使用しなかった。

 村上氏はライブドアに提示した「N社に関して」という資料をもとに、村上ファンドは18%程度のニッポン放送株式を保有しているので、追加で3分の1を取得すれば合計で過半数を超えニッポン放送の経営権の取得が可能と説明。この点について、検察側は「ライブドアに援軍として数パーセントの購入しか期待していなかったのならば、その説明はおかしい」と指摘する。経営権を取得出来るよとけしかけておいて、実は数パーセントの取得しか期待していないのではつじつまが合わないではないかということだ。これが村上氏の裁判での弱い部分であることは間違いない。

 

 それに対し村上氏は、あと3分の1を取得すれば経営権が取得できることは一般論として説いたこと、また、堀江氏、宮内氏、またはライブドアという存在は、自らが主体となって動きたがる性格なので、数パーセントの株式を取得して村上ファンドが主導する委任状争奪戦の味方になってくれとお願いしても動いてくれないはずであり、ライブドアに踊ってもらうにはそういうセールストークは必要だったとも説明した。そうして村上氏は、このライブドアとのミーティングでは村上節満開でライブドアにニッポン放送の株式取得の魅力を物語ったのだ。宮内氏は裁判でこの日の村上氏を「前のめりだった」と証言している。

 検察側主張によると、このミーティングの直後、堀江氏、宮内氏らライブドア幹部はニッポン放送株式の大量取得を決定し、すぐに金融機関に対して融資の依頼を開始。10月中旬にはスイス系金融機関から200億円の融資が可能との見通しが伝えられたとなっている。そして、資金調達の見通しが立ったので、再度ライブドア、村上ファンド間で株式取得に関して11月8日に会合が持たれたと続く。そして検察側は、11月8日のミーティングにおいて、ライブドアは資金調達のめどが立ちニッポン放送株式の大量買付けの決定を行ったことを村上ファンド側に伝達したとしている。

 これに対し村上氏は裁判で、資金調達の話は絶対に出ていないと真っ向から反対主張を行った。また、11月8日のミーティングの趣旨は、9月15日のミーティング時から何かの発展があったので行われたものではなく、むしろライブドアから9月15日と同じ内容のことを新たなメンバーに説明して欲しいという依頼を受けて行われたミーティングだったと主張する。

 なお、もし、ライブドアで大量取得の決定があった場合は、TOBの準備など具体的なアクションに入るはずだが、2005年2月8日の株式大量取得の直前までライブドアはほとんど何の準備もしていなかったので、大量取得の決定が2004年11月という早い時期にあったわけがない、と村上氏側は裁判で主張した。

 当然ながらこの2つのミーティング内容が裁判での重要なポイントとなるので、検察と村上氏の意見は全くかみ合わないものであった。双方の主張を十分に聞いた裁判所があとは判断することになる。

大量取得直前までほとんど株式購入をしていなかったライブドア

 村上氏は、当時(2004年秋)のライブドアが株式大量取得を決定していたとは思えないと主張する理由の1つに、ライブドアがほとんどニッポン放送の株式を買っていなかったという点を挙げる。

 そもそも村上氏が堀江氏にニッポン放送株式の取得を勧めたのは、9月15日より半年以上前のサイバーエージェント藤田晋社長の結婚披露宴の席であり(5月7日の記事参照)、その直後にライブドアは少しニッポン放送株式を購入したものの、その後は村上氏が「買ってよ」と何度お願いしてもライブドアはほとんど買い増していなかったという。

 11月8日の会合では、「堀江さん、買ってないでしょ?」「買ってません、すいません、やりますやります」というやり取りがあり、11月下旬には、今度は宮内氏に「買っていないだろう?」と電話で聞くと「すいません、買っていません」とわざわざ謝りに来たと村上氏は供述。また、翌年1月6日のライブドアとの会合時でも変化はほとんどなかったが、堀江氏が「TOBはどうですか?」と発言し、4.9%までであれば市場で買える(大量保有報告書の届出の必要がない)にも関わらずそうしていないライブドアに苛立ちを覚えたので「ガタガタ言わずにまずは市場で株を買え!」と堀江氏、宮内氏に言ったと村上氏は供述した。

 大量取得の意思を対外公表すると株価は跳ね上がるので、確かに村上氏が主張するように、株式を大量取得するならばまずは市場で4.9%まで買い進めるのが常とう手段である。また、ニッポン放送株式は売買高が元々少ない銘柄なので、市場で4.9%まで買い進めるにもある程度の期間が必要であり、ライブドアが本当に大量取得を内部で決定していたのであれば、市場で株価の推移を見ながら株価が下がってきた時に株式を随時市場から買っていてしかるべき、という村上氏の主張は一理ある。

ライブドアの企業体力と株式購入力(資金調達力)

 そのような背景に加えて、村上氏は当時のライブドアの企業体力を勘案するに、数百億円ものM&A案件を仕掛けるのは客観的に見て無理だったと主張する。1つは当時のライブドアのM&A実績では数十億円の案件しか存在しなかったこと、もう1つは資金調達力が十分でなかったことを挙げる。

 実際には、村上氏も裁判で認める通りライブドアは2004年11月に弥生を買収しており、これが200億円以上のものであった。ただ、弥生買収は買収相手先企業を担保としてM&Aを行う一種のLBO(キャッシュフローなどで返済するM&Aの手法)的要素があったため、純粋にライブドアが200億円超の資金を全額自らが用意したのとは趣が異なる。

 資金調達に関しては、大きく分けると借入金と新規株式の発行(増資)があるが、借入金に関してはライブドアのキャッシュフローがさほど多くはなかったので、村上氏は借入可能金額はせいぜい50億円程度であると見ていたという。また、ライブドアが同年春に増資したばかりだったので、再度の増資による資金調達は無理だと思っていた(大幅な希薄化を伴うので)とも述べた。

 MSCB(特殊条項が付いたCB)に関しては、そもそも経営苦境にある会社が採る資金調達手段であり、成長段階にあったライブドアがこのような資金調達手段に走るとは全く思わなかったとのこと。

 確かにあのライブドアによる800億円の資金調達は市場関係者をも仰天させたので、村上氏の言う通り当時のライブドアの資金調達力からはニッポン放送を本当に買収できるとはなかなか思えなかったという意見に同意する市場関係者も少なくない。

 一方、検察側は、2004年9月末にライブドアが連結ベースで450億円の現金を持っていたことを挙げて、これにあと少しの資金調達を上乗せすればニッポン放送株式を大量に取得しうる金額になっただろうと反論する。村上ファンドはそれに対し、それらの現金の一部は借入金の担保になっていたものや、すでに決定していたM&A案件のために使えなかったものも存在したと主張した。また、事業会社なので、持っている現金全部を1つの企業の株式の中途半端なパーセントの取得には使えないと思っていたとも述べた。

 ほかに、検察側は、村上氏が盛んに楽天は収益的にもニッポン放送株式の大量取得が可能だったが、ライブドアに関しては2003年9月期実績を基準としてキャッシュフローが低かったがために大量取得が困難だったと主張したことに対して、2004年11月18日に発表された2004年9月期のライブドアの決算では営業利益が50億円に達した(前年同期では15億円弱)ことを取り上げ、決してキャッシュフローが低くはなかったと反論。

 話がややこしいのは、最終的にライブドアは800億円もの資金を調達し、ニッポン放送株式の大量取得に成功してしまったためだ。それは果たして当時の証券界や企業財務の世界では、到底無理だと思われていたウルトラC的なものだったのか、もしそうならそれをどのように裁判官に納得してもらうかという点がポイントになる。

 当時のライブドアがどの程度の借入金が可能であったか、また増資を引き受ける証券会社が存在しえたか、MSCBは本当に健全な企業が発行することは証券市場では想像外のことだったのか、それらに関して銀行や証券会社の引受審査部の人間から証言を得ることが出来ればより双方の主張が裏付け出来たと思われるが、果たして裁判所はどのように当時のライブドアの資金調達力を判断するであろうか。

日本では敵対的買収成立は不可能…

 村上氏がライブドアによる株式の大量取得が不可能だと思っていた理由の1つとして、当時は(そして今も)日本では敵対的買収が出来ない環境だったということを挙げている。その具体例として、村上氏が自ら仕掛けた敵対的買収案件であった、昭栄、東京スタイルの案件での惨敗を元に、いかに日本で敵対的買収が難しかったかを実感したことを述べている。この点、楽天に関しては日枝氏が一度は前向きに検討する姿勢を見せたことにより、友好的な株式取得が可能と見て株式大量取得を持ちかけたが、ライブドアの場合は敵対的となってしまうので大量取得が本当に実現可能だとは思っていなかったと述べた。しかし、そんな村上氏が最終的にはライブドアに対して時間外取引という奇襲策を伝授することにより、敵対的な株式の大量取得が可能になったのは、興味深い。

嘘つき村上

 2006年6月5日、村上氏は逮捕直前に東証の記者クラブでインサイダー取引を認める記者会見を行った。1時間以上に及んで村上氏はまくし立てたわけだが、あの場で罪を認めておきながら、今さら無罪主張の裁判とはどういうことだとは誰しもが思うところだろう。当然検察もその点は裁判で問いただした。それに対して村上氏は、申し訳ございません、嘘をつきましたと供述した。

 そして、検察側はこの点を巧みに利用することとなる。つまり、正々堂々とウソの記者会見まで開いた「嘘つき村上」の言うことのうち、一体何を裁判所は信じればいいというのだ、ということだ。いくら一生懸命尋問で主張したとしても、それらは皆ウソの可能性もあるじゃないかと。

 また、あの会見ではカッコよすぎるセリフがどんどんと出てきた上、何よりも「自分自身罪を認め、反省しなければいけない」と言ったじゃないか、と検察側は指摘した。

なぜ村上氏は一度は罪を認めた形を取ったのか

 なぜ村上氏は、あの迫真迫ったウソの記者会見まで村上氏は開いて、当時は罪を認めると言ったのか。それは、ファンドと村上ファンドの主要メンバーを守るためだったと述べた。

 2006年6月3日の取調べの時には、完全否認をしたライブドアでは多くの幹部が逮捕され、西武の堤氏は罪を認めたことで自分たちの部下を守ることが出来たのだと、地検から言われ、これは罪を認めろという圧力だと思った、と村上氏は裁判で供述した。

 それでも村上氏の主張によると、6月3日に地検の取調べを受けた直後は完全に無罪を主張する予定だったという。実際、弁護士に相談し、無罪を主張するプレスリリースを村上氏個人名で出すこととし、家族にも弁護士経由で無罪主張をするのでそのつもりでいて欲しい、と連絡を入れたそうである。

 しかし6月3日の夜、箱崎のホテルで泊まっていると、村上ファンドのオフィスから電話がかかってきた。そこでファンド幹部が、「弁護士から4人逮捕と聞いている、ファンドは潰れるだろう。村上氏1人で罪を認める形を取れば他の人たちは守られる」と伝えてきたという。村上氏は、「オレ1人が逮捕されろということか?」と絶句したと裁判で述べた。最終的には、無罪を主張し戦うことを選択すれば長期戦は避けられず、ファンドの投資銘柄に対してヘッジファンドから大量の空売りをかけられてファンドの資産がみるみる目減りしていくのは容易に想像できたので、ファンドを守りたいという思いから村上氏は罪を認める形にすることを選択したと説明している。

 そこで、「みんながそう言うなら」ということで、「分かった」と、ひとこと言って村上氏は電話を「ブチッ」と切った。

 検察側は、無罪のプレスリリースまで出そうとしていた村上氏が、社員みんなからの電話ぐらいであっさりと罪を認めるように心変わりがするというのではおかしいと指摘した。「これはどうやら否認できなくなりそうだ、そして、部下を守り切れなくなりそうだ、ということで罪を認めることにしたのではないか」と検察が村上氏に詰め寄ると、「違います! 検察様なんです!」と村上氏は検察側を睨み付けた。検察に「様」をつけることで、検察が何でも出来る権力を持っていることに憤慨した。

 果たして、2006年6月4日の読売新聞朝刊では村上ファンド幹部4人逮捕の見出し記事が掲載されていた。(続く)

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 →第2回・嘘つき村上が嘘をついた理由

 →最終回・踊らされた堀江、黒幕だった村上

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