最終回・踊らされた堀江、黒幕だった村上短期集中連載・保田隆明の“村上裁判傍聴記”

» 2007年05月15日 09時00分 公開
[保田隆明Business Media 誠]

 証券取引法違反罪に問われた村上氏は「ほとんど証拠らしい証拠は出てこなかったじゃないですか」と、検察に主張した。一方の検察は、ライブドアがニッポン放送の株を大量取得が確実になったことで「確信犯」だと指摘する。果たして、インサイダー取引の境界線はどこにあるのか。

 村上インサイダー裁判のポイントを整理した第1回。村上ファンドが目指したもの、そして村上氏が嘘をついた理由を追った第2回に引き続き、検察側との攻防のほか、堀江氏との企みなどに迫る。

 →第1回・村上ファンドが行ったのは、本当にインサイダー取引だったのか?

 →第2回・嘘つき村上が嘘をついた理由

 →最終回・踊らされた堀江、黒幕だった村上

堀江氏と村上氏の付き合い

 最初は会食で知り合った。仕事の話はあまりせず、ライブドアの堀江貴文氏が「時空を曲げる」という表現を使って繰り出すいろんな話は、聞いていて楽しかった、と村上世彰氏は供述している。

 堀江氏がテレビを買収したがっていることをいつ知ったか、という弁護側尋問に対し、村上氏は2003年9月に、ライブドアからWOWOWが欲しいと聞いたのが最初だったと述べている。

村上ファンドによるニッポン放送買い増し

 村上ファンド側が目指したのは、自らと義勇軍となってくれる株主の合計が、ニッポン放送の株主総会で議決権の過半数を握ることだった。そのため、まず村上ファンド自身が株式を買い増すことになる。ただ、闇雲に株式を買い増しては株価がつりあがってしまうので、株価の推移を見ながらある程度低い値段の時だけ買いを入れていたという。同時に、村上ファンドが株式を買い増せば、大量保有報告書を提出する必要があるが、それを見た個人投資家などが追随買いをすると無駄にまた株価が上がるので、大量保有報告書の届出義務が発生する場合は、どうせならその時に買えるだけたくさん購入しようという作戦だったと村上氏は供述した。

 これに対し検察側は、村上ファンドによるニッポン放送株式の大量買い増しは、2004年11月8日のライブドアとのミーティングを受け、ライブドアによるニッポン放送株式の大量取得が確実となったことで、インサイダー取引の確信犯として行ったと指摘する。

 村上氏は、村上ファンドが11月13日から12月15日の間はほぼ買いをストップしていたことを取り上げて、「本当にインサイダー目的であればこの期間に買いをストップするのはおかしい、それなのにインサイダーとはおかしいじゃないか」と、検察に向かって耳を赤くして主張した。

どんなに悪くとも執行猶予?

 検察側は、村上氏がどんなに悪くとも執行猶予になるだろうと周囲に語っていたことを取り上げて、どうしてそう思うのか問いただした。それに対して村上氏は、「過去に日本でインサイダー取引で実刑になった例が存在しない」と述べた。すると検察側は「2000年3月28日、日本MICの件では実刑判決が下ったこと、また、別の事例でも一審で実刑判決が出たこともある」と指摘した。

私利私欲のために…?

 村上ファンドが運営していたニッポン放送株式に用いられたファンドでは、1つの銘柄に対してファンド総額の20%までしか投資することができないという取り決めが投資家との間で存在したことは第1回で述べたとおりだ(5月7日の記事参照)。2005年1月以降は上限に達してしまったこともあり、村上ファンドでは別のファンドからもニッポン放送株式に買いを入れている。その別のファンドとは、もともとは時価総額が100億以下の企業に対して投資することを目的として作られた「MAC Small Cap. Fund」である。

 このファンドは、129億円の運用資金のうち約半分が村上ファンド幹部や村上ファンド自身からの身内出資となっている。そのため検察側は、インサイダー情報を得たファンド幹部が私利私欲のために、このファンドからもニッポン放送株式を購入したのではないかと指摘した。

 これに対し村上氏は、そのファンドで購入していた分はライブドアによる大量取得公表前にライブドアに時間外取引で譲渡していたので、利益はあまり出ていないこと、そしてその行為はあくまでも委任状争奪戦に向けて、とにかく少しでも持ち分を増やすためにやったことだと主張した。一方、検察側はその後、村上氏が200億円の資産を有することや、その他村上ファンドの幹部も本案件で十分な潤いがあったことを指摘した。

2004年11月後半〜2月8日までの動き

 検察側と弁護側の争点となるポイントに関しては泥試合的様相もあるので、結局どちらの何を信用すればいいのやらということになってしまい、最終的な判断は裁判所に委ねることしかできない。しかし、本裁判の内容は、単純に1つのストーリーとしても十分に楽しむことができた(不謹慎な表現ではあるが)。そして、実は裁判で一番面白かったのは、2004年11月後半から翌年2月までに関する村上氏の供述である。

 まず、村上氏は六本木のバーで宮内氏と飲んだときのことを回想し、宮内氏から「あまり堀江を焚きつけないでください。堀江を止めるのが私の役割です」と言われたと供述した。なお、12月には村上氏と宮内氏は頻繁に会合を持ったり、連絡を取ったりしているが、それはライブドアが、木村剛氏が旗振り役を努める日本振興銀行の株式の取得を希望しており、村上氏に橋渡しを依頼してのものであったという。ただ、村上氏はその直前に木村氏とGMOインターネットの熊谷正寿氏との会合の席を設け、GMOによる株式取得路線を敷いてしまっていたので、難しいと宮内氏に言ってあったが、宮内氏もなかなか引き下がらず12月は頻繁なやり取りがあったと述べた。

 2004年12月5日には、堀江氏と偶然ジムで出会った村上氏が、自宅に堀江氏を招き村上氏自身が作ったおでんを振舞ったそうである。その時の堀江氏はベロベロになるまで酔っ払い、ひたすら「フジ欲しいですね〜」と言っていたという。「普通は人の家に来れば23時ぐらいには失礼するじゃないですか?でも、堀江さんは全然帰らなかったんですよ」という村上氏の供述に、傍聴席は沸いた。

 2004年12月20日、村上氏は鹿内宏明氏から突然の「さよなら」メールを受け取る。委任状闘争で一緒に戦うはずの鹿内氏がもしかするとフジテレビに寝返る可能性があるかもしれない、フジテレビはニッポン放送に対してTOBをしないかもしれないという大きな不安が村上氏の頭をよぎり、不安なまま年を越すことになったと村上氏は述べた。

 2005年1月6日、ライブドアと村上ファンドの会合が行われるが、堀江氏のTOBはどうですかという発言に対して、まずは市場で買うようにと言った村上氏の行動に関して、検察側は「インサイダー取引に引っかからないための口封じだったのではないか」と指摘した。

 また同日夜、ライブドアの案件担当者が社内関係者に流したメールでは、村上ファンドの態度が変わってきた、ライブドアがTOBをして世論、マスコミが騒ぐよりは、委任状争奪戦の方がスマートに映る、村上はあんなに市場で買えるとは思っていなかったようだ、買えすぎたので進むしかないらしい、というような内容が書かれていたという。

 それに対しては村上氏は、もともとこちらは委任状争奪戦をやる気満々であり、当然前に進む予定だったと反論した。

 2005年1月7日、大和証券SMBCが、鹿内氏が保有していたニッポン放送株式8%を取得と発表。村上氏は、「ファンド存亡の危機だと思った」と述べ、なんとかこの8%を取得できないか、と大和にアプローチを試みるも失敗に終わる。

 2005年1月17日、フジテレビがニッポン放送に対してTOBをするとプレスリリースを発表。これを見た村上氏は「狂喜乱舞し」日枝久氏に電話をかけ、お礼を言い、日枝氏も喜んでいたという。一方、堀江氏からは「これで終わっちゃうんですか?」と連絡があり、その後すぐに堀江氏と宮内氏が村上ファンドのオフィスを訪ねて来て「ファンドは値段が高い方に売るんでしょ?」「でも、TOB価格は上回れないでしょ」とのやり取りがあったという。

 検察側の主張では、村上氏はフジテレビのTOB価格に対して低いという不満を持っていたというが、村上氏はスタッフとともにシャンパンをバンバン開けて祝杯を上げ、二次会には六本木ヒルズのインドネシア料理屋に行ったと述べた。また、フジテレビのTOBを歓迎するというプレスリリースを村上ファンドのWebサイトにも掲載した。

 ただし、このリリースは1時間後には取り下げられている。その理由を村上氏はフジテレビがMSCB(特定条項が付いた社債)を発行するようだという情報が入り、それは株主に対する背信だと思い取り下げた、と述べた。

 この時点でライブドアは、ニッポン放送株を10万株程度保有しており、約1億円の特別利益が出ていた。

 2005年1月20日、ある投資顧問会社保有のニッポン放送株36万株を、以前村上ファンドに勤務していた青山氏の率いるファンドで購入予定だったものが、急きょ青山ファンドで資金手当てができないと村上ファンドに連絡が入る。そこで、村上氏はライブドアに連絡を取り買う気があるかと打診してみると、熊谷史人氏が一発OKの返事をしたという。それまで10万株しか購入していなかったのに、突然36万株の購入を即決したことで、村上氏は一体どうしたのだと思い、すぐに社内会議を開いたそうだ。

 内容は、ライブドアにそんなにお金があるのか、何か起こる可能性はあるのか、村上ファンドとしてニッポン放送株を売却せずに何かできることはあるか、などを話し合ったという。

 2005年1月28日、熊谷氏から村上氏へ、株式を売却してくれそうな外国人投資家を紹介してほしい、31日に村上氏とミーティングを持ちたいと連絡が入る。そして村上ファンドはニッポン放送株式の売買を停止する。

 2005年1月31日、ライブドアと村上ファンドのミーティングで、ライブドア側が資金調達ができるめどが立ったのでTOBをしたいと言い、それに対して村上氏は、フジテレビとのTOB価格の引き上げ合戦になるので、それよりは時間外取引で株式を取得したほうがいいと伝授し、もし10%以上購入するならば村上ファンド保有分の一部を売却してもいいと伝えた。そして、最終的に10%をライブドアに売却し、残りは堀江氏に承諾を得て市場で売却することになる。

 これら、11月後半から2月までの動きは、村上氏の供述によるものが中心であり、その内容の正確性、信用性に関しては外部からうかがい知ることはできない。

踊らせるつもりのライブドアに足をすくわれた村上氏

 検察は、村上氏への尋問のほぼ最後のあたりで、ライブドアが普通の会社ではないと分かっていたはずだ、無茶もやるんじゃないかと思っていたはずだと村上氏に詰め寄った。それまでのライブドアの素行、そして、裁判での村上氏の供述によれば確かにライブドアの奇想天外ぶりは明らかである。また同時に、村上氏の供述どおりであれば、ライブドアが株式の大量買付けやTOBに対しても、当時はほとんど無知であったことも伺える。結局、村上氏は、無茶&無知なライブドアに足をすくわれた形となっているが、本裁判がわが国でのインサイダー取引について規定する貴重な場となることだけは間違いない。

 裁判では、ライブドア事件の裁判時とは異なり、裁判長から被告人への質問は1つも行われなかった。裁判長は終始、検察側と弁護側のやり取りを静かに、そして時にはにこやかに聴いていた。弁護士の間では、ライブドア事件よりは村上裁判の方が無罪となる可能性は高いと言われており、村上氏も裁判中に検察側に対して「ほとんど証拠らしい証拠は出てこなかったじゃないですか?!」と主張した。果たして、夏に裁判所はどのような判断を下すことになるであろうか。

村上ファンドはグリーンメーラーなのか

 検察は、村上ファンドの運用方針に関して、投資した企業の経営陣に対してアクティビスト活動を行って圧力を加え、株価を上昇させ目標額に近づけさせたところで売却して利益を出すと主張している。これは暗に検察が村上ファンドを「グリーンメーラー」だと見ていることを示唆するものであるが、これについて弁護側が村上氏に対して「グリーンメーラー、新たな総会屋と見られていることもあるがどう思うか」と質問している。

 それに対し、村上氏は「自分の持っている株だけを企業経営陣に引き取れと迫るのがグリーンメーラーであり、自分だけが利益が上げるのが総会屋であるが、トータルとして会社の株主価値が上がることを考えて自分だけの利益を追求しない点でそれら二つとは異なる」と述べている。

 6月の株主総会シーズンを目の前にして、主に投資ファンド主導による株主提案が過去最高を記録しそうな勢いである。買収防衛策の導入に関しても再度議論が高まると思われるが、買収防衛策は、グリーンメーラーからの買収提案に対しては発動をしても良いというのが通説である。村上氏が去ってしまった後、ファンド業界、証券市場では何がグリーンメーラーで何がグリーンメーラーでないのかの明確な定義づけはまだされていない。村上裁判の行方も気になるところだが、今後のグリーンメーラー議論を含めたファンド対企業のあり方がますます複雑化していくことだけは間違いなさそうである。

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