投資信託は“コンビニ弁当”?――誠世代は、自分で料理すべし 山口揚平の時事日想

» 2007年05月15日 02時19分 公開
[山口揚平,Business Media 誠]

 前回のコラム「生命保険は悲惨なギャンブル――ヤクザのばくち場は、一番公平!?」は、大きな反響をいただいた。

 日本人は、生保・年金を合わせて、家計の約10%(月額平均4万7000円)を保険に使っているが、その仕組みについてはあまり知らない。

生命保険の仕組み

 保険に入る意義は、人生の大きなリスク(死・事故)を補完して、本来、行いたい(行うべき)ことに集中する点にある。保険会社は、加入者を集めて個別の加入者のリスクを分散する、一種の卸業者だ。ただ、卸の運営にかかるコスト(多くはマーケティング)は加入者が負担することであるため、われわれは、リスクを補完するに見合う妥当なコストを払っているのかを見極める必要があるというだけだ。

 保険会社は、卸によるリスク分散以外にも、預かっている保険料を資産運用して増やすという側面を持っている。生命保険は、死ぬまで加入者に返却されないため、それを運用するものだ。

 私は個人的には、リスクヘッジと運用は切り離して考えるべきだと思っている。つまり保険は「掛け捨て」だけにして、資産運用については別の機関にゆだねるか、自分で行う。なぜなら「保険」と「運用」という2つの機能は、規模によって相反するからだ。

 一般に、保険は規模が大きいほど良く、運用は規模が小さいほど有利である。

 リスクをヘッジするためには、「大数の法則

」といって、より多くの原資を集めることで確率は高まる。つまり、大きな保険商品ほど個々のリスクをヘッジしやすい。

 半面、運用は身軽なほうが成果が上がりやすい。運用資金規模が巨大だと、その分だけ機動性を失うからだ。

 保険と運用という2つの機能を持つことから、保険商品はややこしさを増すことになる。ややこしさに付け込んで、高い金融商品をつかまされるのは我々消費者なのだ。

金融商品はパックで買うな

 金融商品は、パックで購入するのは極力避けたほうがいいだろう。

 高い金融商品の代表格が、投資信託である。ここ数年、団塊世代の退職金を見込んだ投資信託の販売ラッシュが起こっている。投資会社は、あの手この手でなんとか投信を販売しようと頑張っているようだ。しかし、日本の投資信託には、普通に考えればおかしなものが多い。

 たとえば資産額5兆円以上とダントツ1位の「グローバル・ソブリン・オープン」(通称グロソブ)や、1兆円以上で2位の「ダイワ・グローバル債券F」は、「毎月分配型」と言われるものだ。これは毎月、一定額が購入者に分配されるので、その「お小遣い」的魅力や安心感に魅かれて加入する人も多いのだろう。

 だが、毎月リターンが出て出資者にすぐに分配できるような投資案件などありえない(あればすぐに他人が参入する)。すると、出資者から集めた投資の原資を単に還元していることになるが、預けたものをすぐに返してほしいのならそもそも投資信託になど入らなければいいし、新規加入者からの原資を旧加入者に分配しているなら、これは立派なねずみ講ということになる。それに、分配するということは税金がかかるということなので、資本効率が悪くなる。資本は寝かせておくほど育つものなのだ。こんな毎月分配型の投信が売れる国は、日本ぐらいである。

 手数料無料型(ノーロード型)の投信も人気だが、世の中、タダより高いものはないというのは真理。これは販売手数料がゼロの代わりに、信託報酬で上乗せされているだけだ。だから長く持つほどコストが高くなるわけで、これも長期運用を目指す投信の性格上ふさわしいといえない。

誠世代にあった、資産運用のスタイルとは?

 このように今の日本の投資信託の仕組みには、よく考えるとおかしなものが多い。それは預かり資産を増やすことよりも、投信そのものを売ることを主眼においているからだ。

 しかしこれまで資産運用について考える機会のなかった日本人(とくに団塊世代)が、目に付くキャッチコピーに誘われてコストの高い投信を買ってしまうのはやむをえないと思う。

 だが団塊世代よりぐっと若い、誠の読者はどうだろうか? この世代は年金に対して不安を抱えながら、自分自身で退職後のために資産運用を行う必要がある。しかし日中は、一生懸命働いているから、デイトレのようなガツガツした投資をするわけにはいかない。ゆったりかまえ、これから定年まで長期にわたって確実に資産を増やしていくにはどうすればいいのだろうか?

誠世代に向けた5つの提言

 今回は、誠の読者世代で比較的時間がある人たちに向けて、資産運用についての提言を5つ述べたいと思う。

1.時間を生かせ

 誠世代は、資産は小さくても幸いなことに退職までまだまだたっぷりと時間がある。そこで投資信託を買う前に、せっかくなら、みずから株式投資をやってみてはどうだろう?人生においてお金はもっとも重要な問題の1つである。結局、私たちは人に財布を預けて生きてゆくことはできないのだ。

2.失敗を生かせ、投資は資産の10%

 投資を始めると、最初は失敗して痛い目に会うこともあるだろう。だが失敗は、ひとつの体験であって終わりではない。問題は失敗しないことではなく、失敗から学んで改善しないことだ。投資する時には、どんなことでもいいから必ずその根拠を書いておくとよい。そして、投資後にそれを見直して、チェックしながら進めるのがコツだ。

 もちろんいきなりゲームオーバーになって市場から退場しないように、投資額は最初はせいぜい資産の10%にとどめておくべきであるのはいうまでもない。

3.基本は学べ

 失敗は仕方ないと言ったが、最低限は学んでおいたほうがいい。投資にも“義務教育”とでもいうべき基本がある。1つは、会社の成績表である財務諸表を読めるようになること。もう1つは、ビジネスモデルを理解できるようになること。要するに、結果(財務)と(ビジネス)を見抜く力を養おうということだ。

 投資というと、株価を予測することに焦点が当てられがちだが、短期の株価にはさまざまな要因があり、とても見極めることはできない(と私は思う)。だが、株式市場が効率的であれば、最終的に株価は企業の実態的な“価値”に収斂していくのであるから、適切な投資スタイルとは企業の価値を的確に見極める力を養うということになる。そのために、財務やビジネスの知識が不可欠なのである。

 またこれらの知識は一見地味ではあるが、もっとも普遍的で応用が利く。すぐに役立つ知識はすぐに役に立たなくなるので、安易な投資指南書や推奨銘柄紹介に惑わされずぜひ腰をすえて本質的な知識を得るべきだ。私自身も、微力ながら個人投資家向けにシェアーズという投資教育事業を運営しているので、コラムなどを参考にしてもらえると嬉しい。

4.利益は、「差」から生まれる

 投資の利益はあくまでも他の市場参加者との知識と情報の差から生まれる。だから、先に挙げた“義務教育”は別としても、戦う土俵は自分の得意分野に限定すべきだ。

 トヨタや花王に勤めている人が、あえてIT企業の株を買う必要はないということだ。投資で本当に大事なことは、リターンを得ることではなくリスクを減らすこと。そのためには、不確実な部分は極力省いて、自分のよく知っている分野に投資するのがよい。

5.感情の罠にはまるな

 投資の損失は、実は、銘柄選択ではなく、感情によって生まれる。その意味で、「上がる銘柄を教えて」というのはほとんど意味のない問いだ。我々は、買値よりも大幅に株価が下がると、非常な苦痛を感じるものだ。そして、その苦痛に耐えられなくなったときに、株を手放し、損を確定すことになる。このような感情の罠にはまらないように、株価ではなく、常に「価値」に基づいて判断し行動するよう習慣づけるべきだ。

投資信託はコンビニ弁当――“素材”を買えばコスト削減

 投資を自ら行えば、長い間には成功することも失敗することもあるだろう。だが確実にいえるプラスの要素がひとつある。それはコスト削減につながるということだ。

 銀行にお金を預けるということは、銀行という“投資信託”を買っているのに等しい。なぜなら我々の預けたお金は、実際には銀行が、企業に投資したり融資したりしているからだ。しかもこのファンドは、大きな本社と高い人件費のおかげで、やや手数料が高めである(おかげで我々の利息はわずかである)ということは誰でも知っている。

 確かに銀行預金の元本は保証されているが、それは“名目”上の残高であって、“実質”的な価値ではない。インフレによって、100万円の“価値”はこの30年間で約半分まで低下していることを忘れてはいけない。

 このように考えれば、銀行には手元に必要なお金を預けておき、残りは自ら投資するという考えを持つことは、ギャンブルでも何でもなく自然なことだといえる。

 投資信託は、加工の施されたコンビニの「お弁当」だが、株式投資は、素材そのものを買うことである。料理が不得手な独身男性ならコンビニ弁当を買うのも仕方ないが、将来のために今のうちに料理を学ぶというのはいかが? というのが今回の提案の趣旨である。

 最後に。投資は慎重に。慣れない包丁を使うと、手を切ってしまうこともあるので、要注意。

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