「こんなことをやりたい!」――夢を実現するために、会社という組織の中で目標に向かって邁進する人がいる。会社の中にいるから、1人ではできないことが可能になることもあるが、しかし組織の中だからこそ難しい面もある。
本連載では、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏が、仕事を通して夢を実現するビジネスパーソンをインタビュー。どのようなコンセプトで、どうやって夢を形にしたのか。また個人の働きが、組織のなかでどう生かされたのかについて、徹底的なインタビューを通して浮き彫りにしていく。
洋の東西を問わず、女性なら誰しも、ロマンチックなシチュエーションでプロポーズされることを夢見るのではないだろうか。男性とてそれは同じで、愛する女性のために最高のステージを演出したいと思うもの。もし、そんな願いをかなえてくれる場所が本当にあるのなら……
その場所はニューヨークにあった。セレブ御用達の高級インド・レストラン「ニルヴァーナニューヨーク」(NIRVANA New York)である。
1970年、バングラデシュ初代首相の甥に当たるシャムシャー・ワデュードが、緑豊かなセントラルパークを一望する素晴らしい眺望のペントハウスに店をオープン、その歴史が始まった。 ワデュード自身が上流階級の出身ということもあり、レストランのコンセプトは「品格のあるインド料理の提供」。先鋭なコンテンポラリー・アートを取り入れた店作りと、ホスピタリティにあふれたサービスを加えることにより、ニルヴァーナニューヨークは瞬く間にセレブに最も愛されるレストランへと成長した。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、KISS、ノラ・ジョーンズ、レオナルド・ディカプリオ、アンソニー・ホプキンズ……きら星の如き大スターたちが常連客として出入りし、また若き日のマドンナがウエートレスとして働いていたというエピソードを持つ。
気品ある料理と並んで愛されたのは、そのロマンチックな雰囲気だ。「お店に入ったとたん、まるで別世界に入り込み、天国でディナーを楽しんでいるような気分になれる」と評判を呼んだ。「ニューヨークでプロポーズするならここ」と言われ、バレンタインの予約は1年前から満席になった。
しかし、たくさんのお客を楽しませてきたこのレストランを突然の悲劇が見舞う。2002年、建設会社によるリフォーム施工ミスが原因でキッチンの外壁が崩落するという事故が発生。それを機に、伝説の名店は32年の生涯を終えた。
ニューヨークはもとより、世界中のニルヴァーナファンから惜しまれての閉店だった。そして5年が経ち、「ニルヴァーナ」は甦る。ニューヨーク・セレブ御用達にして、プロポーズの名所。そのDNAを継承し、2007年3月、東京ミッドタウンのオープンとともにその1階ガーデンテラスに復活したのである。
ニルヴァーナの復活劇を仕掛けたのは、マルハレストランシステムズ代表取締役の小島由夫氏。シュラスコレストラン「バッカーナ」や、タイの「コカレストラン」「マンゴツリー」など、数々の海外の老舗レストランを日本へ誘致し、運営してきた実績を持つ“カリスマ経営者”である。
小島氏が手がけたレストランの中で、最も有名なのはタイスキ・レストランチェーンの「コカレストラン」だろう。実績のあるタイ料理ではなく、なぜインド料理レストランに取り組むことになったのか。
「三井不動産が社運を賭けた事業として東京ミッドタウンを開発するという話になった時に、オファーをいただきました。『これからは中国・インドの時代だから、中華料理かインド料理の老舗レストランを海外から誘致してオペレーションしてくれないか』と言われたのです。
ただ、中華料理には新規性が感じられなかったので、やはりインドかなと思いました。しかしインドから直接誘致するのは、時期尚早だと判断しましてね。それで、ニューヨークで洗練されたインド・レストランにしようと考えたんです」
ところが、ニューヨークで最初に紹介されたレストランは、ヨーロッパ調の古いタイプの店。小島氏のイメージからはかけ離れたものだった。そして、ここからドラマは動き始める。
この時、小島氏のパートナーとしてニューヨークの案内役を務めたのが、ウォーレン氏(Warren Wadud)だった。ウォーレン氏は慶應義塾大学で日本語やビジネスを学び、米国に帰国後、JETRO(日本貿易振興会)に1年間勤務。その後、2005年に日米間での起業に関するマーケティングと戦略コンサルティングの会社「EN GROUP INTERNATIONAL LLC」を設立していた人物だ。「EN」とは「ご縁」のことで、ウォーレン氏の大好きな言葉だった。
「紹介されたインド・レストランが私のコンセプトと合わないことが判明した時、ウォーレンが、実は、自分は『ニルヴァーナニューヨーク』の創業者の息子だと話したのです。ニルヴァーナをミッドタウンでオープンしたいと思うがどうだろうか? って言い出したんですよ。ニルヴァーナには以前私も行ったことがあり、強い印象を受けていました。それで話を進めることにしたんです」
ウォーレン氏は、父親が体を壊したのに伴い日本から帰国し、1998年から2002年までは、「ニルヴァーナ」を自ら経営していた。こうした偶然の“縁”の導きにより、小島氏とウォーレン氏の思いが重なって、ニューヨーク時代のDNAを継承した新生ニルヴァーナが東京にオープンしたのである。
東京ミッドタウンのニルヴァーナは、たちまち連日行列ができる人気店になった。米国の定評あるレストラン・ガイド「ザガットサーベイ 東京版 2008」でも、初登場でいきなり21点を獲得している※。
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