なぜ『週刊現代』と『週刊ポスト』の部数は凋落したのか?出版&新聞ビジネスの明日を考える(2/5 ページ)

» 2009年03月25日 07時00分 公開
[長浜淳之介,Business Media 誠]

 『週刊文春』、『週刊新潮』の方が女性にも読まれて読者層が広く、暇つぶしとして手に取る機会が多い。それが比較的部数減が少なくて済んでいる要因なのだろう。

 「1990年代初頭のバブルが弾けたころ、サラリーマンの年功序列、終身雇用が壊れて、『週刊現代』と『週刊ポスト』がやってきた『色、カネ、出世』路線が厳しくなってきたということですね。色というのは、風俗を含めての遊び。これがエイズ問題で一気にしぼんでしまった。カネは給料以外のお金を稼ぐ、株も含めてのサイドビジネス。この株がバブルで弾けてしまった。出世は年功序列、終身雇用が揺らいだために約束されなくなった。出世第一主義がバブル崩壊とともに崩れたわけです」

サラリーマンに対する共感があったから売れた

 実際に、『週刊現代』の販売部数は1990年代初頭に低迷し、実売50万部を切るまでに落ち込んでいた。

 元木氏は、苦しんでいた『週刊現代』の救世主として、写真週刊誌の雄『フライデー』編集長から異動。『週刊現代』編集長に就任し、見事立て直して、4大誌トップの座を一時『週刊ポスト』から奪回してみせた。

 「いろんな試みがあったけど、サラリーマンが非常につらい時期だったので、特に中年のサラリーマンを応援しようと、健康不安、生活不安を含めて特集しました。あとはちょうどヘアヌードですね。そういうので『週刊現代』が『週刊ポスト』とともに、もう1度ナンバーワン雑誌になっていくのです」

 元木氏の言葉の端々から感じるのは、毎日満員の通勤電車や道路の長い交通渋滞に耐えて働き、明日が今日よりも良くなると信じて家族を支える、サラリーマンたちに対する共感と愛だ。そこにブレがなかったからこそ、元木氏の声は読者に届いたのではないか。

 しかし、その後の経済低迷により、若い人たちが出世に魅力を感じなくなったことで、『週刊現代』と『週刊ポスト』が部数を落としていく。『週刊文春』と『週刊新潮』はサロン雑誌的な側面もあって、サラリーマンだけでなく、もう少しターゲットが広いから、あまり影響を受けなかったが、今やこちらも落ちてきている。

 「総合週刊誌自体が存亡の危機です」と、元木氏は力を込めた。

元木昌彦著の『新版 編集者の学校』(講談社+α文庫)

 元木氏より帰り際に渡された氏の近著『新版 編集者の学校』(講談社+α文庫)の第三章より抜き出してみよう。

 「私は常々、『ものいわぬ新聞』『ものいえぬテレビ』といっている。テレビは電波法などでがんじがらめになっていて、いいたいことをいえないのはいわずもがなだが、新聞も、自称1000万部とか800万部といっているために、最大公約数のものしか載せられない。その上、記者クラブに頼りきっているから、役所の発表したものが全体の記事の六割以上にもなってしまうのだ。

 その点、記者クラブへも入れず、人数も少ない出版社系週刊誌は、そのための有効な武器としてスキャンダルを使うのだ。新聞、テレビは、事件が起きて警察が動き出すまでは、ほとんど書かないか書けない。雑誌は、事件化する前の『疑惑』段階から、動き出すことができ、追及することができる」

 しかし、同書にも書かれているとおり、名誉毀損の高額化、個人情報保護法などの雑誌規制が強まったことで、環境が厳しくなっているのも事実だ。だが、元木氏は「記者クラブにいて黒塗りのハイヤーで取材」するメディアだけではジャーナリズムは健全ではなく、「野良犬のように現場をほっつき歩き、何かをほじくり出して」くる雑誌ジャーナリズムが、これからますます重要になると、総合週刊誌を叱咤(しった)激励するのである。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.