なぜ『週刊現代』と『週刊ポスト』の部数は凋落したのか?出版&新聞ビジネスの明日を考える(5/5 ページ)

» 2009年03月25日 07時00分 公開
[長浜淳之介,Business Media 誠]
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中高年サラリーマンはまだ週刊誌を求めている

 さらに清丸氏に電話インタビューを試みたところ、当時と今で違ってきた点があると語り始めた。

 「『週刊現代』、『週刊ポスト』に関しては、読者のコアになっている団塊世代のサラリーマンが退職して、通勤しなくなったのが大きいです。それに駅のキヨスクがなくなって、どんどんコンビニに転換しています。同じことは夕刊紙やスポーツ新聞にも言えることだけど、コンビニで買うには、ガラスドアの中に入って、レジに持って行かなくてはならないから、買うための二重の障壁があります」

キヨスクのコンビニ転換が週刊誌には逆風に

 キヨスク側の論理としては、週刊誌、夕刊紙、スポーツ新聞が売れないからコンビニに衣替えするという理屈であり、鶏が先か卵が先かの話らしい。それに、駅前書店がどんどんつぶれて、クルマで乗り付ける郊外型書店に替わっているのも、手軽に買う機会損失になっているだろう。暇つぶしに目にするチャンスがなくなってきているのだ。

閉店して駐車場業に転じた元書店

 「不況によるサラリーマンの抱えている問題は、編集者が考えるよりもっと深刻で、お金を払って買う行動に結びついていません。部数減とともに広告も減って経営を圧迫しています。『週刊文春』と『週刊新潮』は、日本人はこうでなくちゃいけないというアジテーションがうまく、『あいつは馬鹿だ』と権力者、有名人を攻撃してうっぷん晴らしにいい記事になっています。記事のつくりも、『週刊現代』、『週刊ポスト』に比べれば全般にていねいです。それにヘアヌードの後遺症も大きい」

 元木氏はヘアヌードという言葉の生みの親でもあるが、『週刊現代』、『週刊ポスト』の両誌が、次は誰が脱ぐのか、ライバル心むき出しで競い合った何年かで、両誌はすっかり中を開けると赤面するような雑誌というイメージを一般消費者に定着させてしまった。

 今ではヘアヌードが飽きられてグラビアも大人しくなったが、女性誌がどぎつい性的描写によって自滅していった同じ道を歩んでいるのかもしれない。

 「結局、ヘアヌードに替わるようなコンテンツを今まで生み出せなかったのではないか」と、元木氏は語った。『週刊文春』、『週刊新潮』はヘアヌードに手を染めなかったのが良かった。しかし、この米国のサブプライムローン問題に端を発した世界同時不況の影響で、『週刊文春』と『週刊新潮』までもが部数を落とし始めたのが、今の状況のようだ。

 総合週刊誌の部数減を食い止めるにはどうしたらいいのか。筆者のような浅学非才では解決策など思い浮かびようもないが、まだ実売が20万部前後以上もあるのだから、総合週刊誌は捨てたものではない。いまどき新創刊して、3万部の雑誌を作るのも大変なのである。それに、中高年サラリーマンも消えてなくなったわけではないのだ。

 編集者は高給をもらっていれば、リスクも取りたくないだろうが、そもそも秀才なのだから、もうほんの少しでも一般サラリーマンと交流してみれば、彼らが抱えている問題が鮮明になってくるのではないかと、無責任にも思ってみたりする。

著者プロフィール

長浜淳之介(ながはま・じゅんのすけ)

兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。業界紙記者、ビジネス雑誌編集者を経て、角川春樹事務所編集者より1997年にフリーとなる。ビジネス、IT、飲食、流通、歴史、街歩き、サブカルなど多彩な方面で、執筆、編集を行っている。共著に『図解ICタグビジネスのすべて』(日本能率協会マネジメントセンター)など。


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