一眼レフ市場のニコンVS. キヤノン――なぜキヤノンは“圧勝”できなかったのか?山崎元の時事日想(2/3 ページ)

» 2009年03月26日 07時00分 公開
[山崎元,Business Media 誠]

 またキヤノンのレンズは、カラーの発色が早くからそろっていたこと(ファッションカメラマンに好評だった)、非球面レンズなどを採用した高級レンズでリードしたこと、そしてオートフォーカスが速かったことが強みだった。レンズに関しては、ニコンがニコンF以来ずっと「ニコンFマウント」を変えずにいたのに対して(ボディとレンズの接合部分の基本仕様が不変だった。古いレンズが新しい機種でも使える)、キヤノンがF1やAE−1などで使っていたマウントを、EOSシリーズで一新したことで、レンズ設計上の自由度が上がったことが大きかったように思える。

 加えて、デジタル一眼レフでは、キヤノンが受光素子(光を電気信号に変換する電子部品)の自社開発で先行していたので、プロ・アマともに実用機はデジタルが中心になりはじめた2000年代の前半には、キヤノンの側に2歩くらいのアドバンテージがあったように思う。当時のキヤノンは、ニコンに新製品を先に出させておいて、間髪入れずに、これを性能と製造コストで凌駕(りょうが)する機種をぶつけて利潤を稼ぐような戦略を採っていたように見えた。余裕のある一番手の戦略だ。

キヤノン側に2つの戦略ミス

 デジタル一眼レフで、ニコンがキヤノンに追いつくのは大変であるかに見えたが、ニコン技術陣の猛烈な努力のほかに、筆者の見解ではキヤノン側に戦略ミスが2つあったように思う。

 1つは、普及機「EOS Kissデジタル」の最初の機械でスペックを落とし過ぎたことだ。電子部品も含めて量産技術に一日の長があるキヤノンは、普及機の量産には強いはずであったが、中級機との差を作ろうと意識しすぎたのか、「EOS Kissデジタル」の初代は、安っぽい感触に加えて反応が遅く、同時期のニコンの普及機に劣った。この時期に高性能な普及機を出していれば、シェア的にはキヤノンが圧勝できた可能性があったと思うが、競争の徹底を欠いたように思う。

 もう1つの失敗は、デジタルのフルサイズ機でニコンの追撃を間に合わせたことだったと思う。「EOS 5D」は35ミリフルサイズの受光素子を持っているのにボディの実売価格が30万円を切る価格性能比のいいカメラで、変遷の早いデジタル機でありながら3 年以上も現行品であり続けた名機だった。ひと回り小さいAPS-Cサイズ(撮像素子の大きさのこと)の素子を持つカメラに対して明らかにアドバンテージを持っていて、この機種の発売を機に、キヤノンのユーザーになったプロが何人もいた。ところが、キヤノンが価格性能比のいいフルサイズ機の新機種を出し惜しみするうちに、ニコンに「ニコン D3」「ニコン D700」と立て続けにフルサイズ機を出されて、ニコンユーザーを安心させてしまった。

ニコン D3

 つまりキヤノンは、もともと優位性を持って競争を戦いながら、普及機と上級機の分野でそれぞれ一度ずつもたついて、ニコンの追撃を許したように見える。

 もっとも、この間のニコンの努力も相当のもので、「ニコン D70」のようなバランスのいい中級機を出すかと思えば、「ニコン D200」「ニコン D3」のような機械的な感触のいい中上級機を出すなど、常に厚い製品ラインアップを維持した。ニコンはもともと優位性のある機械的な作りの良さやストロボの制御技術などを磨きつつ、キヤノンの後塵を拝していたかに見えた交換レンズでもプロ向けのデジタル対応の高級ズームレンズやシフトレンズなどキヤノンが優位だった分野に新製品を投入してきた。

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