因縁の地で“優しい男”は何をしたのか? インドネシア味の素 山崎一郎さんひと物語(1/5 ページ)

» 2009年04月20日 07時00分 公開
[GLOBIS.JP]

 タラップに足をかけると、熱気が頭からつま先までを包み込んだ。思ったより、空気が優しい。2005年4月10 日、山崎一郎さん(当時39)はインドネシアのスカルノハッタ国際空港に降り立った。これから、インドネシア味の素グループの人事、総務責任者として、組織改革に挑む。上司から与えられた使命は、「グループを、会社として体を成す組織に変えて欲しい」。従業員約2800人、営業拠点は180カ所、大きな土俵を預かる日本人はたった、14人。ここ数日、大きな不安にさいなまれていた。

 「労組で組織と人をサポートする裏方役を担ってきた自分にピッタリの職責とは思いましたが、異国の地で、ましてやリーダーとして現地のスタッフを引っ張っていけるのか」

味の素にとって因縁の地

 インドネシアは、味の素にとって因縁の地。あれは2001年。まだ松もとれない1月4日のことだった。

 衝撃的なニュースが飛び込んできた。インドネシアで、味の素製品がイスラム教の戒律で禁止されている豚肉成分を使用しているとして、騒ぎになっているらしい。当時のメディア各社は連日、波紋が次々に広がっていく様を大きく報じている。

 全製品の回収命令、現地当局による従業員の聴取、工場の操業停止など……。最終的には、原料を替え認証を取り直すことで、1カ月後に事態は収束した。

 アジアは重要な戦略地域。海外食品事業の売上高は全社売上構成比の約10%を超え、その約8割がアジア地域に集中している。1950年代後半からのこの地域への進出により、一気に家庭の調味料として東南アジアで普及が進んだ。一時期は、日本人観光客が街を歩いていると、「AJINOMOTO」と声をかけられるとも言われたほどだ。

 豚肉成分騒ぎから数年間は、1000人以上の営業担当者がインドネシア全土をくまなく回り、味の素の製造法を説明、地方の農村での巡回映画会にも出向き、イメージ回復に躍起になった。その結果、「味の素」やインドネシア市場向け風味調味料「MASAKO(MASAK=料理する)」は業績を回復した。

 社内のリソースが売上及びイメージ回復へと向けられたため、いくつかの組織構築や人事施策は実施されていたものの、十分ではなかった。業績が回復し、こうした人事、組織の取り組みに地道に取り組める人材が必要とされ、労働組合を経験した山崎さんに、白羽の矢が立った。

健全な組織を目指して

山崎一郎さん

 闘いは、社内で起きた不正事件への対応から、始まった。

 インドネシアなど途上国では、数多くの企業が現地スタッフの不正に苦しんでいるといわれる。手口はさまざま。完成品を持ち帰る。領収書を書き換えたり、売り上げをごまかす。会社の規模が大きく、歴史が長ければ長いほど、監視の網のすき間も、大きくなる。

 インドネシア味の素グループもまた、例外ではなかった。山崎さんは、さまざまな情報や噂、内部告発などから不正の端緒をつかむと、外部の警備会社に内部調査を依頼した。背景や真相が徐々に浮かび上がってくる。10月には、直属の部下である人事部長が不正に関っている可能性があることが分かった。

 人事部主催の3日間の幹部研修の後。人事部長をホテルのカフェへ呼び出した。「研修ご苦労さん」と声をかけた後、つたないインドネシア語で、異動の話を切り出した。実質の解雇通告。「全く理解できない」。大声でまくしたてられた。文化の違い、考え方の違いにより、理解しがたい溝を感じたが、何とか通告した。

 帰りの車の中。携帯電話で、上司に報告した。「よく頑張ったな。お疲れさま」。人を解雇する経験は日本ではほとんどといっていいほどない。その痛みを知っての、ねぎらいの言葉だった。携帯電話を握り締めながら、涙が溢れてとまらなかった。

 最終的には翌年の1月に関係者がはっきりした時点で、複数の従業員に退職してもらう形で、この事件は一応解決した。

 当時内部調査を行った警備会社の担当者(46)は言う。「インドネシアだけでなく、多くの途上国で現地スタッフの不正が起きます。背景にあるのは貧困なんです。子どもが産まれた、家族が病気になった。目の前に1カ月分の給料の商品が流れている。つい手をだしてしまう。そういうきっかけで始まります。山崎さんもそのことを分かっていたから、つらい決断だったと思います」

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