茅ヶ崎で名を轟かせた“ワル”だった……日本にマラサダを持ち込んだ男(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(3/6 ページ)

» 2009年07月18日 07時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

陰謀に巻き込まれた外資系企業での日々

神谷さん

 “できる営業マン”として活躍していた神谷さんに、次の転機が訪れた。誰もがその名を知る外資系企業からのヘッドハンティングである。

 「営業職で入社しまして、法人営業部門で契約社員たちを動かすポジションに就きました。実績を挙げたこともあって、20代で年収は1800万円になりました」

 しかし順風満帆だった神谷さんの営業マン人生に、いつしか暗雲がたち込める。同社内で組織的に進行していた不適切なデータ処理に、神谷さんも組織の一員として巻き込まれたのである。そして、それが表沙汰になりかけるや、同社は神谷さんに全責任を負わせた。いわゆる“トカゲの尻尾切り”をすることで事態を収束させようと謀(はか)ったという。

 精神的に追い込まれ、自殺も考えたという神谷さんだが、首謀者たちが何も関係がなかったような顔をして安全な場所に身を隠していることに対し、釈然としなかった。そう思った彼は同社の米国本社に自ら電話して、今、日本法人で進行しつつある状況について訴え、善処を求めた。内部告発である。

 その後、上層部で何がどのように話されたのかは分からないものの、トカゲの尻尾切り話はうやむやになっていった。窮地を脱したかに見えた神谷さんだったが、もはや彼には、社内に居場所は残されていなかったという。そして彼は退職を決意する。

 こうした事態と併行する形で、神谷さんには、別の意味で人生観を大きく変える出来事が待っていた。

運命を変えたハワイでの体験とは?

 「外資系にいたころは若いのにお金だけはいっぱい持っていましたから、ハワイに行っても泊まるのは最高級ホテル。そして高級ブランドを身にまとい、ロールスロイスに乗って島内ドライブをしていたんです。

 そしてあるビーチで、質素にバーベキューをやっている連中がいて、私を誘ってくれるんですよ。現地の労働者みたいな人たちで、当時の私からすれば、絶対に付き合うことのないような人たちですよね。それでいぶかしく思いながらも加わってみると、やたらと歓迎してくれるんです。『食べろ、食べろ!』といって勧められたんですが、これまで何人もの死者が出ている断崖絶壁でしか取れないオピピという希少な貝だったんですね。

 当時の私は“お金の基準”しか持っていなかったので、『オレなんかをもてなして、彼らに一体何のメリットがあるんだろう』と不審に思えて仕方がなかったんです。でも、ふと思ったんです。『この人たちは幸せなのかもしれない。オレの今までの価値観は一体何だったんだ』と。そう思うと、涙が浮かんできましてね。すっかり落ち込んで、ロールスロイスでホテルに逃げ帰りました」

 これを機に、神谷さんはハワイに特別の思いを寄せるようになる。

 「ロコ(=ハワイアンローカル)と仲良くなりたいと思うようになったんです。ですから食事をするのも、観光客向けの高級レストランではなくて、ロコ御用達の店に行くようになったんです」

 神谷さんが「これからの人生を、ハワイとともに過ごしていこう」――。そのために脱サラして、ハワイビジネスをやろうと決意したのはこの時期であった。

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