茅ヶ崎で名を轟かせた“ワル”だった……日本にマラサダを持ち込んだ男(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(4/6 ページ)

» 2009年07月18日 07時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

居酒屋に転職して「修業」、そしてハワイビジネス準備

 「外資系企業を辞めたあと、ある居酒屋チェーンの専務取締役(現・副社長)から誘われまして、3年間の約束で神奈川県内で店長として働きました。年収はそれまでの3分の1になりましたが、マネジメントの全権を任されましたので、ハワイビジネスを行う前に実地訓練ができました」

 そのハワイビジネスだが、どんな風にして準備を進めたのだろうか?

 「基本的に飯物はやりたくなかったんです。ランチ、ディナーの時間帯に人を雇わないといけませんから。その点、スイーツなら1日を通じて1人でマイペースでやれると。しかしハワイで一番人気のパンケーキ店※は、残念ながら日本国内ではムリだと感じました。日本人には大き過ぎることと、当時、亜酸化窒素入りのホイップクリームが認められていなかったことが原因です。そしてパンケーキ自体、日本人にはまだ早いと思いましたし、日本でやる場合、14時から17時のビジネスになってしまうと感じたんです」

エッグスンシングス:ワイキキのカラカウア通り沿いにある、早朝から長蛇の列ができる超人気店。
マラサダカップ

 そこで候補に挙がったのがマラサダということ?

 「そうなんです。マラサダは当時、ハワイフリークにしか知られていませんでしたが、その風味は日本の学校給食の揚げパンに非常によく似ている。なので日本人に、どことなく懐かしさを感じさせると思いまして」

マラサダビジネス構築へ向け悪戦苦闘

 マラサダビジネスに取り組むと決意した神谷さんだが、日本での前例のないビジネスを立ち上げるのは困難を極めたのでは?

 「ええ、手探りの状況の中で、オアフ島中のマラサダを食べ歩きました。また英語のレシピ本と格闘して、自分で作り始めたんですよ。でも、どうしてもあの味や食感が出ない。試行錯誤して苦しんでいる時に、パンの冷凍生地を卸している会社がサンプルを作って送ってくれたんですよ。

 そこの専務はハワイ好きだったんですが、マラサダのことは知らなかったんです。それ以来、その専務と私の二人三脚で半年かけてマラサダを作り上げたんです。もちろん居酒屋の店長を務めながらのことです」

 ハワイとの往来もかなり盛んだったようだが、英語によるコミュニケーションは十分に機能したのだろうか?

 「学生時代から英語が大の苦手なので、当初はものすごく苦労しました。ホノルル国際空港では『How many days〜?』って聞かれていることが分からず、『サイトシーイング、サイトシーイング』って繰り返したり(苦笑)。ワイキキにあるハンバーガー店では、どう英語で注文したらよいか分からず、『ええっと、ハンバーガー!』って言ったら、8個のハンバーガーが出てきたりで(笑)。家内には『あなたは日本では肩で風切って歩いているのに、ハワイではハンバーガーの注文すらできないのね!』と、あきれられました。

 でもその経験が、私の負けず嫌い魂に火をつけました。それ以来、自分の興味のある海外ドラマのDVDを英語で鑑賞するというやり方で、英語を習得する努力を重ねたんですよ」

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