インタビュー
» 2009年08月21日 11時30分 UPDATE

あなたの隣のプロフェッショナル:ラーメン界をリードしてきた男は何を作ってきたのか? 「博多 一風堂」河原成美物語(前編) (2/6)

[嶋田淑之,Business Media 誠]

25歳で味わったどん底が人生の原点

 河原さんは1952年、福岡県の城島町(現在は久留米市に併合)に生まれた。4人兄弟の末っ子。父親は有名進学校の美術教師で、母親は教育に厳しい人だったようだ。

 「う〜ん、ほんとお袋の教育方針は、僕には窮屈でしんどかったなぁ……」

 良い学校、良い会社、そして安定した社会的地位と高収入――。親や周囲の人たちは「それが幸福な人生だ」という当時の社会の価値観を、河原さんに期待していたという。そして3人の兄たちはまさにそういう価値観に沿って、自分の夢を実現しつつあった。

yd_family.jpg 家族と(手前父の前が河原さん)

 自分を取り巻くその状況に対し、河原さんは苦痛でならなかったようだ。高校を出て上京。美大を目指して美術学校に通いながら、俳優になるべく前進座の養成所にも入った。しかし夢破れて1年半後に帰郷。特にこれといった目標もないまま、福岡県にある九州産業大学の商学部に入学。劇団活動と飲食店でのアルバイトに明け暮れて卒業し、当時は流通業が花形ということで何となくスーパーマーケットに就職。

 しかし長い年月をかけて河原さんの心の中に澱(おり)のように溜まっていった負のエネルギーは遂に爆発する。悪友と窃盗にのめりこみ、逮捕。数カ月にわたって拘置所に収監されてしまう。

 「警察署で僕の調書を見た父は涙をポロポロ流して、『何百人も教えてきたけどたった1人、自分の子どもを教育しきれんかった』と言って、僕の身柄を警察に託したそうです。そして裁判に証人として出廷したんですが、教師としてのプライドを捨て『すべて私のせいです』と涙ながらに謝っていました。その姿を見て、何とも言いようのない感情がこみあげてきました」

 結果は、執行猶予3年が付いた有罪判決。

 「でも正直言えば、自分の陰の部分がすべて白日のもとに晒(さら)されたことで『これでようやく自分は本来の自分でいられる』という、肩の荷が降りたような、ホッとした気分になったんです」

 社会的な地位・名誉・お金を目的とし、それに執着するような古い世間的尺度から解放され、自分本来のあるべき生き方を追求していく人生へのシフト。もちろん社会的には大きなマイナスを抱えての再出発であったが、河原さんの「原点」はまさにここにあったと言えるだろう。

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